最初で最後の恋


あたり一面、真っ白だった。
右を見ても左を見ても、白、白、白。
まるでそれ以外の色が全てなくなってしまったのではないかと言わんばかりの風景に、ああここは夢の中の世界なんだなと一人結論付ける。
現実の世界でこんな空間、あるはずが……いや、ある。そうだ、何を忘れていたんだ。僕はこれに似た空間を一度経験しているではないか。

「誓太くん」

小さくて、か細くて、消えてしまいそうな声。だけど、ちゃんと僕の耳には届いていて、それを頼りにゆっくりと振り返る。
そこに居たのは――



「佐弥子姉ちゃん!」

色のある景色。
目の前には驚いた顔で僕を見る徹。
首を左右へやって、ここが演劇部の部室であることを確認する。

「いきなり大声出すなよ」
「ごめん。ちょっと……夢見が悪くて」
「お前が部活中に居眠りだなんて珍しいから写メってやろうと思ったのに」

もっと早くに撮っときゃよかった、と続けて徹はどうやら僕が途中でやめてしまっていたらしい背景の色塗りを始める。
それを見て、手元に置いてあった筆を取り、僕も作業を再開する。

「徹は体育館に行かなくていいの?」
「ん? ああ、俺今回も悪役だし、今日やる練習も出番なさそうだしこっち手伝ってた方がいいだろ」
「僕にしてみればありがたいことこの上ないけど、また雪葉に怒られるよ」
「怒られるのは慣れてるからな」
「確かに」

声を出して笑えば、徹から不満そうな声が上がる。
自分で言うのはいいけれど、人に言われるのは嫌らしい。
ペンキ独特の臭いが室内に充満しないように窓もドアも全開にしているというのに、やっぱり近くで作業をしていると段々頭が痛くなってくる。
毎度のことながらこの作業は辛い。

「そういえば、お前って姉ちゃんっていたっけ?」
「いないよ。…………いないけど、お姉ちゃんみたいな人はいた」
「お姉ちゃんみたいな人?」
「うん。でも、もういないんだ」

徹はそうか、とだけ言って口を閉ざす。
こういう、空気を自然と読んでくれるところ、好きだなあ。普段は鈍感なのに。
人によっては面白がって、それでそれでと無遠慮に聞いてくるけれど、徹と雪葉はそんなことはしない。付き合いが長いから察してくれるのかもしれないけれど、僕があまり話したくないという空気を作っていることを感じとってくれる。
そう、佐弥子姉ちゃんのことはあまり口にしたくないことだ。
そもそも彼女のことを話すとなれば、あの怖かった空間のことも話さなければならない。
自分自身でもにわかに信じがたい話なのに、それを他人が聞いてどこまで信じてくれるものなのだろうか。いや、徹なら案外信じてくれるのかもしれないけれど、それにしたって口が重いことに変わりはない。
話さなくていいのなら、そのままでいい。積極的に話したい話題ではないのだから。

「誓太は、その人のことが好きだったんだな」
「え……?」

沈黙を破ったのは徹の方だった。
視線はいまだに大道具の方に向いているし、作業している手も止めていない。
言葉だけを僕に向けているようだった。

「だって、その人のことを話してる時のお前、すごく嬉しそうだった」
「そう、思う?」
「ああ」

短くそう言って、今度こそ徹は閉口して作業に集中する。
僕はといえば、言われたことを心の中で反芻する。
“誓太は、その人のことが好きだったんだな”
僕は、佐弥子姉ちゃんのことが好きだった……。
ストンと、綺麗にパーツが嵌ったというか、妙に納得してしまった。
徹に言われて、初めてこの感情に気が付いた。
ああ、そうか。あの時から佐弥子姉ちゃんを想い続けていたのは、そういうことだったのか。ずっと……好きだったから。だから今日までずっと想い続けてきたのか。
家族から疎まれて、邪魔者扱いされて、ストレスのはけ口とされて、結果施設にまで入れられてしまった僕を、佐弥子姉ちゃんは――あの空間で起きたすべてのことから――護ってくれた。ほんの少しの間しか一緒に居なかったけれど、それでも本当のお姉ちゃんみたいだった。
僕に家族の温もりを教えてくれた。強かった。優しかった。温かかった。……好きだった。
好きだったよ、佐弥子姉ちゃん。……好きだよ、佐弥子ちゃん。

「誓太。俺、ちょっと体育館の方行ってくるわ」
「……うん。いってらっしゃい」
「たぶん今日は終わりまでむこうにいるから」

そう言って、徹は足早に教室を出ていく。
ありがとう。心の中でそう呟いて、瞳からとめどなく流れ落ちる雫を手のひらで受け止めた。



(あなたが、初めてで最後の恋)

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