傍に誰かが居てくれるということ


頭がぐらりと揺れた。
そういえば朝から体調が優れなかったなあ、なんてぼんやりと考えている間に、私の体は自分の意思とは関係なくまるでバナナの皮を踏んで足を滑らせたかのごとく綺麗に後ろに倒れる。
その際に後頭部を床に思い切りぶつけたけれど、痛いと感じる間も無く私の意識は闇に沈んでいった。

*

『エヴァ、大丈夫か?』

小さい頃、私が風邪をひくと必ずお父様がベッドの脇に座り手を握っていてくれた。どんなに多忙な日であっても、私が目を閉じ夢の世界へ旅立つまでその手を離さないでいてくれた。
それがとても嬉しくて、体の節々が痛んで熱で意識が朦朧としているというのに笑みがこぼれた。
ただ、手を握ってもらっているというだけだというのに。たったそれだけのことなのに、私はひどく安堵したのを覚えている。
風邪をひくとどうしても人恋しくなるのを、きっと両親は知っていたのだろう。それはたぶんあの人たちも経験したことがあるから。たった一人で病気と闘ったことがあるから。
そして、それと同時に誰かが側にいてくれることの安心感も知っていたのだろう。
大きな部屋にたった一人でベッドに眠ることがたまらなく寂しくて悲しかった。
だけど、手を握ってくれていたことが、一緒に病気と闘ってくれているという錯覚が、一人でないという安心感がとても嬉しかったのを覚えている。
落ちていく意識の中、最後の最後まで繋がれたぬくもりを感じていたくて、力の入らない手で懸命に握れば、それに応えるように向こうからも優しく握り返してくれた。
ああ、嬉しい。私は一人じゃない――。

*

重い瞼を開ければ、見慣れない天井。
どこだろう、と考えを巡らせてみるも自分でここにたどり着いた記憶がない。というより、そもそも何故私はベッドに横になっているのだろう?
色々と思考を巡らせてみて、おそらく風邪をひいて倒れた私を誰かがここに運んで寝かせてくれたのだろうという結論に至ったけれど一体誰がそんなことを?
とりあえずここが一体どこなのかを知りたい。
幸い倒れる前と比べて今は随分と調子が戻ってきている。きっと寝ている間に回復したのだろう。
一度大きく深呼吸をして、起き上がろうと上半身を起こした時だった。

「寝ていろ」

ベッド脇に座る小難しい顔をした班長から短く発せられた声に思わず目を丸くする。てっきり私一人だけしかいないだろうと思っていたのに……。
予想だにしない人物の登場――というと変だけれど。きっと班長は私が寝ている間もそこに居たのだろうから。
驚きの表情のまま何も口にできない私を見て、班長は手元の書類に目を落とす。

「あの、班長……、私」
「風邪をひいてぶっ倒れたところをイザベラが見つけて救護室へ運んでくれたんだとよ。後で礼を言っておけ」
「あ、はい……。ありがとうございます」
「何でオレに言うんだ」
「班長、私が寝ている間ずっと看病してくれていたんですよね?」
「勘違いするな。たまたまデスクワークが溜まっていて、イザベラにお前のことを見ていろと言われたからここにいるだけでオレは自分の仕事をしていただけだ」
「そう、ですか」

何かを期待していたわけじゃないけれど、こうも正面から否定されてしまうとなんだか寂しさにも似た感情が渦巻く。
てっきり夢で見た――昔のお父様のようなことをしていてくれたのかと思ったのに。
18歳にもなって風邪をひいて人恋しくなってしまったなんて口が裂けても言えないけれど。

「エヴァ」
「はい」
「言っておくが、オレはお前の“お父様”じゃないぞ」
「え、え……?」

書類から目を離さず、班長はぼそりと呟く。
もしかして寝言で何か言ってしまっていた? それを聞かれてしまった?
私の心中を察してか、班長は「聞きたくて聞いたわけじゃないからな」と自己弁護と共に小さくため息を吐き出す。
それと同時に私の頬は赤く染まる。
寝言で父親を呼ぶだなんて、呆れられただろうか。まだまだ子どもだと、思われただろうか。――法令的に18歳は大人と認められてはいるけれど、班長からしてみてたら私はまだまだ子どもの域を出ないのだろう。

「すみません……」
「何故謝るんだ」
「あ、いえ……その」

言いよどんでいると、班長はまた小さくため息をこぼして書類を私の手元に投げ置く。
何で……? と思ったのもつかの間。
班長は救護室を出ようと、足早にドアへ向かって歩き出す。
その背中に思わず声をかけてしまう。

「班長、待っ……」

何故私はいま班長に声をかけたのだろう? 寂しくて? 心細くて? また一人にされるのが怖くて?
言いたいことがまとまらない。考えていることの整理がつかない。
そんな状態で声をかけてしまったのだから、当然言葉なんて出てこない。
引き留めて――何を言うつもりなのだろう。

「なんだ?」
「な、なんでもない……です」

言いながらどんどんと首が下がる。
終いには俯いて自分の手とにらめっこする形になった。
そうこうしている間に、がちゃりという音と共に私は一人部屋に取り残される。
途端に襲いくる孤独。一人にされることが、こんなにも悲しかったことを漸く思い出す。
ああ――一人は寂しい。悲しい。
涙で視界が滲みかけたときだった。

「ほら。水だ」

声に顔を上げれば、そこにはほんの少し困ったような表情でコップを差し出してくる班長。
出ていったはずじゃなかったんですか?

「言っただろう。オレはまだ仕事の途中なんだ。お前が快復するまではここにいるから安心して寝ていろ」

その言葉についに涙が溢れる。
目の前で私に泣かれ、班長はすごく慌てているけれど、ごめんなさい。今だけは――大好きな人に看病してもらえる幸福に、泣かせてください。



(おい、どうした……どこか痛むのか!?)

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -