あなたの涙をください


煌帝国に居た時からずっと続け、もはや日課とさえ言える槍の鍛錬を終え、小休止とばかりに木陰に入る。暑さに滅入り、手を団扇代わりにして煽いでみるも、来るのは生暖かい風ばかりでちっとも涼しくならない。
シンドリアは母国と違い、どちらかというと熱帯の地域に入るため、日中は雲が出ていない限り燦々と輝く太陽がこれでもかと地表を照りつける。
それに加えて湿気もそれなりにあるため、少し動いただけで服に汗染みを作る始末。おまけに魔力操作で腕を動かしているために以前までの鍛錬とは比べ物にならなくらい疲労度が大きい。
大きく深呼吸をして顔を空へと向ければ、そこに広がるのは青、青、青。見渡すばかりの青色。
綺麗だとは思うけれどそれ以上の感情はない。
ちょっと気の利いた人間ならば、この空を見て何か素敵な言葉なり歌なり紡ぐのだろうけれど生憎俺にそんな感性はない。
空はどう見たって空で、そこから湧くインスピレーションなんて持ち合わせていないのだ。
木の幹に背を預け、そのままずるずると腰を落としていく。
小休止のつもりだったけれど、こうして座り込んでしまうと疲労と気候とで立ち上がることがなかなかに難しい。
俺の思っている以上に、自分の体は疲労を蓄積していたのだと感じる。
体力回復とかこつけてこのまま眠ってしまおうか。普段は決してそんなこと思わないけれど、今日の俺はどうかしてしまっている。瞼を下ろすとすぐさま焼付く赤毛の少女の姿。
葬儀の後に見せた、彼女の涙が今も忘れられない。

「……モルジアナ殿」
「何でしょうか」
「え!?」

独り言のはずだった。
慌てて目を開ければ、目の前には首を傾げるモルジアナ殿の姿。
何時の間にこんなところに――というより、聞かれていた?
つい口にしてしまった彼女の名前。意図があったわけでも用件があったわけでもないのに、つい口から出てしまった名前をまさかその本人に聞かれようとは。
混乱して頭が真っ白になる俺とそれを不思議そうな目で見るモルジアナ殿。
何か、何か言わなければ……。

「モ、モルジアナ殿。本日もよい天気ですね」
「そうですね」

会話が続かない。
話題の選択をミスしたのは明白だし、そもそもモルジアナ殿はお喋りな方ではない――はず。ならば必然的に訪れるのは沈黙の時間。……気まずい。
名前を不用意に呼んでしまったことを詫びるべきだろうか。というか、謝ったところでむこうは何に対して謝られているのかわからないだろうから余計混乱を招きそうな気もする。
考えているうちに鍛錬と魔力操作の疲労からどんどん頭が落ちていく。それを意識して戻そうと顔を上げた時だった。

「――え?」

見ればモルジアナ殿が泣いていた。
何で、どうして……? 何か気に障ることを言ったのだろうか? それとも知らないうちにモルジアナ殿を傷つけてしまったのだろうか?

「モルジ……!?」

名前を言い終わる前にバケツの水をひっくり返したような雨に見舞われ、訳も分からぬまま反射的にモルジアナ殿の手を引き、引き寄せる。
座っている体勢だったので必然的に俺の上に彼女の体が落ちてくる形になったけれど、致し方ない。
こちらとしてはとても心臓がもたない状況ではあるけれど、非常時にそのようなことは言っていられない。
俺の想いと、モルジアナ殿の体調とならば迷うことなく後者をとる。
いくらファナリスの強靭な肉体を持つとはいえ、モルジアナ殿は女性だ。女性はむやみやたらと体を冷やすものではない。
この雨のせいで風邪をひくということはないのかもしれないけれど、目の前でずぶ濡れの人間を見る趣味はないし、それにほかの誰でもないモルジアナ殿だ。そんな姿、見ていられるはずがない。
反射的に手を引いたとはいえ、やはり少し濡れてしまったようで所々服や髪に水滴がついてしまっている。
丁度部屋から持ってきていた代えの着替えで簡単ながらも水分を取る。

「は、白龍さん! これはお着替えではないですか」
「そうですが……ちゃんと洗ってあるので汚くはないですよ」
「そうではありません! こんなきれいな着物で私のことを拭いたりなどしないでください。汚れてしまうかもしれないではありませんか」
「どんなにきれいな装飾を施してあろうと服は所詮服ですよ。それよりも俺はあなたが濡れたままでいる方が嫌なのです」
「でも」
「俺が自分で勝手にやっているだけなのでモルジアナ殿が気に病む必要はまったくありませんよ。はい、とりあえずこれで水滴は拭き終わりましたので後は早めに着替えてください」
「……ありがとうございます」

別に俺が見ていられなかっただけで、本当に自己満足に等しい行為だったのに。
こうして改めて感謝されてしまうと正直困る。こんなにも深々と頭を下げる程度のことをした覚えはないというのに。

「雨、すごいですね」
「雨ですか?」

何も話さないのは気まずさに拍車をかけるだけだと思い、世間話にも似たことを言えば、モルジアナ殿から疑問符付きで返答される。
もしかしてモルジアナ殿は雨を見たことがない……のか? いや、そんなことはないはずだ。彼女の正確な年齢は聞いたことがないけれど、少なくとも十数年も生きてきて雨を見たことがないなんて人間がいない。どんなに降水量の少ない地域であろうと、一年の間に一回も雨が降らないなんてことはたぶんありえない。
では、何故いま疑問符をつけたのだろう。

「モルジアナ殿はこれを雨だと認識しておられないのですか?」
「はい」
「何故ですか? こんなにも空から大量の――」

言いかけて俺は唖然とする。
少し上げた視界に映るのは先ほどと同じ、晴天という言葉がとても似合う青々とした空だった。

「アラジンが今日は特に暑いから水魔法を使って水浴びをしようと言いだしまして、それで白龍さんもお誘いに来たのです」
「そう、だったのですか」

とんだ早とちりもいいところだった。
よく耳を澄ませば、なるほど確かにアラジン殿の声がうっすらと聞こえる。
それに混じって楽しそうなアリババ殿の声も聞こえるから、本当に水浴びをしているのだと実感する。
それにしたって、スケールが大きすぎる。
こんなにも強大な水魔法を操るとは、さすがアラジン殿。

「白龍さん。一緒に水浴びをしましょう」

ゆっくりと立ち上がって、モルジアナ殿は俺に手を差し出してくる。
にこりと優しい笑みを浮かべられては断ることもできない。
はい、と小さく返答をして、俺は彼女の小さな手を取った。



(泣いている顔も美しかったけれど、やはりあなたは笑顔が一番美しい)

――俺だけに見せてくれたあの涙を、もう一度見せてください。

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