「なるべく優しくします」


月明かりが部屋を照らし出す。
青白い光の中でもモルジアナ殿の美しさは相も変わらず、湯浴み後だということもあって普段よりもずっと色っぽく映る。
髪がまだ乾ききっていなかったのか、シーツに染みが広がるのさえ気にする余裕が持てない。
押し倒されたモルジアナ殿は当然驚いているだろうし、かく言う俺自身も驚いている。
一体このあとどうしたものか。
すみません、と謝ってすぐどいてしまうのはどこか惜しい気もする。
眼下には艶やかな姿のモルジアナ殿。押し倒した際に少々着物がはだけてしまったようで普段よりも肌の露出が高い。
目に毒とまでは言わないけれど、このままの状態で俺の理性が持つかと言われれば、はっきり言ってその自信はない。
これでも、男なのだから。
不慮の事故でこんな体勢になってしまったわけだけれど、だからといって流れに身を任せてきちんとモルジアナ殿の気持ちを確認せず、己の欲望のままに彼女の体に触れるわけにはいかない。
晴れて夫婦となったわけだけれど、そこはきちんと確認すべきことだと思う。
俺はあなたの体に触れてもいいか、と。
あなたを己の欲望のままに汚してしまってもよいか、と。

「…………」
「…………」

互いに何を言うべきか悩んでいる間に時だけがどんどんと過ぎてゆく。
後になればなるほど言い辛くなるのもわかっているのに、どうしてもきっかけが掴めない。

「……肩」
「え?」

モルジアナ殿から小さく呟かれた単語に視線を自らの左肩に向ける。
そこにあったのは醜い火傷の痕。
しまった――と思った瞬間、倒していた体を起こし着物を整える。
俺の動作に、モルジアナ殿は心底不思議そうな顔をしている。

「火傷の痕……肩まで続いていたのですね」

今までこの傷を見た者は皆少なからず、言葉に出さずとも不快なり嫌悪なり同情なり抱いていたのを知っていただけに、彼女のただただ純粋な言葉だというのが何故だか嬉しい。

「醜いものをお見せしてすみません」
「醜い……のですか? それは白龍さんが生き抜いてきた証なのではないのですか?」
「生き抜いてきた証……ですか」
「私は白龍さんが一体どのような状況でそのような傷を負ってしまわれたのかはわかりません。ですが、その傷は過酷な状況から今まで生きてこられた何よりの証拠なのではないのですか? 白龍さんはご自分のことをどう思われているのかはわかりませんが、私は少なくとも醜いだなんて思いません」

真っ直ぐ射抜くような視線。
胸の奥をぎゅっと握られるような感覚。
苦しい。息ができない。
だけど、真剣な眼差しから逃れようとは思わない。
いま、モルジアナ殿の視線は他の誰でも、どこにでもなく俺だけに向いているのだから。

「そのようなことを言っていただけたのは初めてです。ありがとうございます、モルジアナ殿」

ゆるりと頭を下げればモルジアナ殿から慌てた声が返ってくる。
普段の冷静な態度も、こうして時々見せる慌てた態度も本当に愛おしい。
控えめに手を伸ばせば、それを拒否するわけでも歓迎するわけでもなくじっと見つめられてしまう。
別に何かしたくて伸ばしたわけではないけれど、このままでは収まりも悪いので細い腰に回して引き寄せる。
その時に小さな悲鳴が聞こえたけれど、都合よく聞かなかったことにする。

「我愛イ尓」
「え?」

そっと囁けばモルジアナ殿は何を言われたのか全く分からないという風に首を傾げている。「なんと言われたのですか?」と問われたけれど適当にはぐらかすことしかできなかった。
聞こえるか、聞こえないかくらいの声量だったし、恥ずかしさが先に立って再び口にできそうにもない。

「もう夜も深まってきましたので寝ましょう」

窓から差し込む月光も、いつの間にか垂直に入ってきている。そんなに長話をしていたわけでもないというのに、愛する人との時間はこんなにも早く過ぎ去ってしまうものなのだろうか。
引き寄せた体を解放して寝る準備をするために寝台を整えれば、未だきょとんとするモルジアナ殿。

「……寝る、とはどちらの寝るでしょうか」
「どちらの……とは?」
「夫婦が使う“寝る”には二つ意味があるとアリババさんから聞きました」

アリババ殿、俺はいま心底あなたのことを殴りたいです。
心中の動揺を悟られないように努めて冷静に事の次第を聞けば、どうにも昼間アリババ殿と偶然会ったらしく(向こうも新婚でいろいろと大変だろうになんで外になんてほっつき歩いてるんだ)、そこで言われたそうだ。
「寝るって二つの意味があるの知ってるか? 睡眠の方と夜の営みの方」と。
これをモルジアナ殿に言った時のアリババ殿の顔が脳裏にはっきりと浮かぶ。
ああ、ものすごく殴りたい。
本当余計なことを――とまで考えたところで、ふと思い至る。この際この流れに乗ってしまうというのもありなのではないか? と。
モルジアナ殿にどこまで話したのか定かではないところが一番の不安要素ではあるけれど。

「モルジアナ殿はどちらがよいですか? その、睡眠の方と、よ……夜の営みの方と」
「私はどちらでも構いません」

この言葉から察するに、彼女はおそらく言葉の意味を理解していないのだろう。わかっていたなら頬を染めるなり言いよどむなりするはずだ。いや、これは俺の勝手な言い分だけれど。
アリババ殿もさすがに夜の営みがどのようなものなのかを教えてはいないようだし、焦らずとも期はまた来る。
今日は大人しく“睡眠”の方の寝るを選択しよう。
そう決心してモルジアナ殿を見やれば、何かを考え込んでいる様子だった。

「モルジアナ殿?」

俺の呼びかけに漸く何かを閃いたようで、表情が一気に明るくなる。
何かいいことでも思いついたのだろうか。

「先ほどアリババさんに言われていたことを漸く思い出しました」

そう言うなり、モルジアナ殿は大きく手を広げる。
その行動の意味するところがわからなくて首を傾げていると、次の彼女の言葉に絶句することになる。

「白龍さん。抱いてください」

こんなことを面と向かって言われて、俺の理性が機能するわけもなく。
すみません、モルジアナ殿と心の中で詫びて彼女の体を抱きしめて今度は自分の意思で押し倒す。

「モルジアナ殿。なるべく優しくします」

俺の言葉の真意を測りかねているのか、少々眉根を寄せるモルジアナ殿。
これから何をされるのか、何をするのかきっとわからぬままなのだろう。
それでもゆるりと背に回された腕を了承と勝手に解釈して、薄く開いた唇を自分のそれで塞いだ。



(白龍にさ、抱いてくださいって言ってみな。きっと赤面して面白いものが見れるぜ)

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