「誰にも渡したくありません」


「いいんじゃないか?」
「……ありがとうございます」

紅炎にモルジアナ殿との婚儀を執り行いたいという旨を話したらそんな軽い返答が返ってきた。
何故そんなにも簡単に了承したのかと尋ねれば「奴隷にだって家族はいる。罪人にいちゃいけない道理はないだろう」なんて言った後に続けて「それに再生要員が増えるのはこちらとしても好都合だからな」と言うものだから、殴りたい気持ちを押し殺すのが大変だった。
モルジアナ殿は手伝うと言って聞かないけれど、俺としてはそんなことしてくれなくてもただ傍にいてくれるだけで、どんなことも頑張れるというのに。
灰色の空が、彼女のおかげで青く見えるようになったのだから。

「失礼しました」

扉を閉めて、ふと視線をずらせば何とも複雑そうな表情を浮かべた義姉上と目が合った。
処罰が決まって早々に宮殿から出てしまったから、実質こうしてお会いするのは久しぶりと言っても過言ではない。
そういえば、まだお礼を言っていなかった気がする。
俺が今もこうして生きていられるのは姉上と義姉上が紅炎に必死の嘆願をしてくれたおかげなのだから、きちんと謝罪と感謝をしなければ。

「義姉上」
「な、何かしら白龍ちゃん!? わ、私決して盗み聞きしていたわけではなくってよ!?」

聞いてもいないことをぺらぺらと喋ってしまっているところをみると、義姉上は相当焦っておられるのだろうか。
別に盗み聞かれたところで何一つ困るような内容ではないし、そのことで義姉上が後ろめたさを感じる必要はないというのに。

「義姉上。ありがとうございました」

ゆっくり頭を下げれば、向こうからは困惑した声。
俺が何に対して感謝の意を表しているのかわからないようだった。

「義姉上と姉上のおかげで俺は今こうして生きていられるのです。本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません」
「……なのだから」
「え?」

聞き取りづらく顔を上げれば、今にも泣き出しそうな顔をした義姉上と目が合う。
その顔に今度はこちらが困惑する。
どうしてそんな顔をしているのですか。

「家族なのだから当然でしょう! 身内同士の争いはもうこりごりなのよ」

やっと平和になったのだから、と付け加えて義姉上は薄く笑う。
その言葉に、そうですねと返して再び頭を下げる。
そうだ――やっと平和になったのだ。
長かった争いの日々からの脱却。平和な世の中の到来――俺を除いて。
俺だけはまだ平和と呼ぶにふさわしい世の中に身を置いていない。
そのことに何ら思うことはないし、妬んだりすることもない。
これは俺自身が招いた結果なのだから。
それくらいはきちんと受け止めて納得しなければならない。
それすらできないほど子どもではないのだから。

「ところで白龍ちゃん。あなた婚儀を交わすの?」
「はい、そうですが」
「どちらの方と?」
「……モルジアナ殿です」
「モルジアナ……? 確かアリババちゃんの眷属の子よね?」

顎に人差し指をやって、義姉上は少々悩む仕草を取る。
何か含むところがあるのだろうか。
暫く同じポーズでいたと思ったら、今度は眉を寄せて困った表情を見せる。

「アリババちゃんはなんて言ってたの?」
「え……? 何故アリババ殿の名前がそこで出てくるのですか?」
「もしかして白龍ちゃん、聞いてないのかしら?」
「何をですか?」
「アリババちゃんはね……」

義姉上の言葉を全て聞き終わる前に、俺は現在居住地としている場所へとって返す。
背後から義姉上の声が聞こえるけれど、それも今の俺の耳にはきちんと言語として聞き取れない。
それくらい、今の俺は心中穏やかではない。
早く。早くモルジアナ殿のところへ戻りたい。戻って真偽を確かめたい。
その一心だった。
汗だくで扉を開ければ、驚きの表情を貼り付けたモルジアナ殿と目が合う。
俺の様子がおかしいことを一瞬で理解した彼女はすぐさま駆け寄って心配そうにまずは汗を拭ってくれる。

「白龍さん。どうかしたのですか? そんな汗だくで血相を変えて……」
「…………」

勢いで戻ってきたはいいものの、どう切り出そうが、どう問えばいいのか何も考えないでいたため、閉口する。
考えなしで行動するものではないと反省しながらも、押し黙ってしまった俺を気遣うようにモルジアナ殿が椅子に座るよう促してくれる。

「大丈夫ですか? 少しは落ち着きましたか?」
「……はい。ありがとうございます。だいぶ落ち着いてきました」

言いながら一度大きく深呼吸をする。
控えめに彼女の方を見やれば、優しい視線とかち合った。

「そういえば、お話はどうだったのですか?」
「え、あ……はい。無事承諾を得てきました」
「そうですか。よかったです」
「はい。よかった、です」

言いながら頬が染まるのが自分でもわかる。
実質煌帝国のトップである紅炎から婚儀の執り行い許可を得られたのだから、もう誰に邪魔されるわけでもなく堂々と俺とモルジアナ殿は夫婦となることができるのだ。
ただ一点。先ほど義姉上から聞いたことが気がかりではあるのだが。
本人を目の前にしているのだからこれ以上のチャンスはないし、今ちょうど彼女の方からそういった話題を振ってきたのだからこれに乗っからせてもらえたらとは思うけれど、聞いてそれがもし事実だったら?
俺はそれを受け入れられるのか?

『アリババちゃんはね、そのモルジアナって子に交際を申し込んだことがあるそうよぉ。まあ、その時点では保留みたいな形にはなったらしいけれど、アリババちゃんは彼女のことを今はどう思っているのかしらねぇ』

不安を煽るような言葉だった。
義姉上に全くその気はないとは言え、今さっき婚儀を許可された身の上としてはその手の話には神経が敏感になる。
もし、モルジアナ殿の中にまだアリババ殿の交際の話が生きていたら?
何か気が変わってやはりアリババ殿の元へ戻ることになったら?
そうなった時に俺は耐えられるのか? また一人になることに、たった一人で生きていくことに耐えられるのだろうか。
一人で使命を果たすと決意した矢先にモルジアナ殿と再会して、彼女から想いを聞いて一人舞い上がっていたのではないか?
好きだと言ってもらえた。一緒にいてくれると言ってもらえた。
嬉しかった。幸せだと感じた。
彼女を疑うわけではないけれど、だけどやはり確証がほしい。
俺の元にずっといてくれるという確たる証拠を。
その口から聞きたいと、願ってしまうのは狡いことでしょうか。
過去にはアリババ殿から交際を申し込まれたけれど、今は俺の元にいることを選んだと、そう言ってほしい。
俺を安心させてください――モルジアナ殿。

「モルジアナ殿。一つお聞きしたいことがあります」

意を決して言葉を紡ぐ。
俺の態度に若干身をこわばらせながら、モルジアナ殿は頷く。

「アリババ殿から交際を申し込まれたことがあるというのは、本当ですか?」
「はい」
「アリババ殿のこと、どう思いますか?」
「大切な人だと思っています」
「……そう、ですか」

どんどん頭が項垂れていく。
決定的な言葉ではないにしても、彼女の中でアリババ殿は特別な位置にある人物というのだけはひしひしと伝わってきた。
俺とアリババ殿、どちらが好きですか――なんてのど元まで出かかった言葉を必死に呑みこんで、何か言葉を探す。

「白龍さん?」

モルジアナ殿が心配そうに覗きこむ。
ああ、今俺の顔を見ないでください。
泣きそうになるのを必死に我慢しているのですから。

「大丈夫ですか? どこか具合でも、」

彼女の言葉を遮ってその小さな体を腕にしまいこむ。
突発的な行動に目の色を白黒させながら、それでも拒否するでもなくされるがまま、彼女は俺の腕の中でじっとしている。

「俺、あなたのことが好きです」
「はい」
「大好きなんです」
「はい」
「誰にも渡したくありません」
「はい」
「アリババ殿にも渡したくありません」
「はい」
「あなたがアリババ殿から交際を申し込まれたことがあるということを義姉上から聞いて、いてもたってもいられなくて戻ってきてしまいました」
「はい」
「不安だったのです。もしかしたらまだアリババ殿の交際の申し込みが生きているのではないかと、不安で……不安で……」
「前にも言ったじゃないですか。私は白龍さんのことが好きなのです。アリババさんから交際を申し込まれたことはありましたが、昔の話です。それに今ではアリババさんにも綺麗なお嫁さんがいますよ」
「……え?」

今度はこちらが驚く番となる。
え……? アリババ殿に綺麗なお嫁さん?
耳を疑う言葉だった。

「もしかして聞いていなかったのですか? アリババさんつい先日婚儀を執り行ったのですよ。えっと、確か……白龍さんの義理のお姉さんの紅玉さんと」
「こうぎょ……義姉上!?」

そんな、先ほど話したときはそんなこと一言も――いや、義姉上の言葉を最後まで聞かずに飛び出してきたのだった。
そういえば背後で義姉上が何か言って気がするけれど、それはこのことだったのか?
ちゃんと義姉上の話を最後まで聞いていればこんなことにはならなかったのかと、今更ながらの後悔。

「てっきり聞いているものだとばかり思っていました……。すみませんでした」
「モルジアナ殿は悪くありません! 俺が先ほど義姉上から言われていたのにも関わらず聞く耳持たずで飛び出してしまったことが原因なのです。だから謝らなければならないのは俺の方です。すみませんでした」

ほんの少しでもモルジアナ殿のことを疑ってしまった自分を心底殴りたかった。
思えば、最初から彼女は言ってくれていたではないか。
好きです、と。
たった一人でここまで来てくれたことが何よりの証拠ではないか。

「白龍さん」
「はい」
「そろそろ夕飯の時刻になりますが」
「そうですね」
「あの、炊事を……」
「俺がやります」
「でも、」

腕に力を入れて、少し強く彼女の体を抱きしめる。
それに抗うことなく、それどころかおっかなびっくりではあるが、むこうからもそっと背に腕を回してくれる。
嬉しくて、尚腕に力が込められる。

「今日は俺が全部やりますので。モルジアナ殿は座っていてください」

お願いです、と言えばわかりました、と簡潔な答え。

「全部やりますので、もう少しだけこうしていてもいいですか?」
「はい。どうぞ」

彼女の優しさが身に沁みるようだった。



(もう、白龍ちゃんったらせっかちねぇ)

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