ツユクサ―ノスタルジー(a)


【今回だけの注意事項】
玉艶さん(この話では故人)を“実は子ども想いのいいお母さんだった”という原作丸無視(とまではいきませんが、白龍くんが幼かった頃の記憶の中の優しかった玉艶さん)の設定で書いています。
これとは違った設定(原作に割と近い悪女)でも同じ話を書いています。それは⇒ツユクサ―ノスタルジー(b)としています。
どちらも最終的に同じ展開になりますが、玉艶さんのキャラ設定が違うので真ん中あたりの話がこちらとあちらで違っています。
こちらは割と白龍くんの心の救済をしているつもりで書いています。
以上のことが許せる方のみスクロールプリーズ。

























モルジアナ殿が滞在を始めてから6日目の夜。
早いもので明日はとうとうサルージャ邸へ帰る日となっていた。
帰る日、というのは表現がおかしいか。
サルージャ邸へ戻る……か?
ここ最近毎日、会いに行かなくてもすぐそばに彼女がいたのに、明日からは会いに行かなければならないし、会いに来てもらえるのを待たなければならないのか。
今まではそれが当たり前だったのに、いつのまにか傍にいることが普通になってしまっていて、離れてしまうのが本当に寂しい。いっそのこと、ここに住んでもらうのはどうだろうか……というところまで考えて、それでは結婚するしかないではなかというところに落ち着いてしまって頭を抱えるしかない。
一週間前、プロポーズ――と俺は思っているけれどモルジアナ殿はたぶんそうは思ってくれていない――をした直後に恥ずかしさのあまり逃げ出してしまったのだ。
そんな俺がどの顔でまた言えるというのだ。
あの時のこと、気にしていないと言ってもらえたけれど、やはり自分自身の中で消化しきれていないのも事実。
ああ、でもずっと傍に居て欲しい。隣に居て、笑って、泣いて、怒って、一緒に手を取って生きて欲しい。
何時の間にかこんなにもあなたのことを好きになっていただなんて……。

「白龍さん?」

急に視界が暗くなったかと思えば突然目の前にモルジアナ殿の顔が現れる。
驚き仰け反って、リビングの中央に位置するちゃぶ台に足を引っかけてそのままバランスを崩した。
思い切り背中から転びそうになったところを、寸でのところでモルジアナ殿に助けられる。
細い腕だというのに男の俺を抱えることのできる腕力。
大丈夫ですか? と心配そうに見下ろしてくるその表情。
こんなにも胸が苦しくなるのは、あなたのせいです――モルジアナ殿。

「すみません、ぼうっとしてました。何かご用でしょうか?」
「特に用事があるわけではないのですが、白龍さんがどこか遠くを見ていたので何か気になることでもあるのかと思いまして」
「何もないですよ。ご心配をおかけしてすみません」
「そうですか? それならよいのですが」

そう言うとモルジアナ殿は姉上に呼ばれ風呂場へと向かう。
もうそんな時間なのかと時計を見やれば、あと10分ほどで日付が変わる頃であった。
道理で先ほどからぐるぐると思考が回るわけだ。
日中は意識して考えないようにしているというのに、夜になるとどうもそちらの方へ思考が傾いてしまう。
このままでは本当に余計なことまで口にしてしまいそうで怖い。
早く風呂に入って部屋に行って寝てしまいたいけれど、今入ったばかりの二人を急かすようなことはできない。
仕方なしに時間つぶしと横になる。
その時、見計らったかのように睡魔が襲ってきた。
丁度いい。あと30分は出てこないだろうし少し仮眠でもして待っていようか。
瞼を下ろしてすぐ、俺は意識を手離した。


*


“白龍”

誰かが俺の名を呼んだ。
一体、誰が……?
辺りを見回してみても誰もいない。

“白龍”

聞き覚えのある、優しい声。
ああ、この声は――、

「父上、兄上……」

そこにいたのは今は亡き父と二人の兄。
あの日、あの事故の日と同じ服装で、否が応にも思い出したくない記憶を想起させる。姉上と俺を残して、この世からいなくなってしまった家族。
途端に三人の姿が霧のように消え、見覚えのある――今まで忘れたことのない女の姿が現れる。
目が見開かれるのと同時に、妖しく笑うその姿がこちらに手を差し伸べてくる。

「白龍。そんな怖い顔をしてどうしたのですか?」
「――っ!」

掴みかかってそのまま地面に叩きつける。
夢の中なので当然手ごたえもないし、向こうが痛がる様子も苦しむ様子もない。
ただ、妖しく笑っているだけ。

「白龍」
「黙れ! お前のせいで父上は! 兄上は!」

首に手を掛けて力の限り締めようとしても何故か力が入らない。
どうして……。俺は夢の中ですらこの女を――


*


「白龍さん」

体を揺すられて目が覚める。
気付けばモルジアナ殿が心配そうな顔をしてこちらを見つめていた。

「モルジアナ……殿?」
「大丈夫ですか、白龍さん。随分魘されていましたけど」
「そう、ですか……。俺、寝ている間に何か言ってましたか?」
「……いいえ」

嘘をついてくれている、というのはわかったけれどそこを深く追求すべきかどうか迷う。
きっと、魘されている間にみっともないことを言っていたのだろう。
だけどそれを俺に言っていいものか悩んでいるようでもあった。

「風呂に入ってきますね」
「……はい」

何かを言おうとしているモルジアナ殿に先んじてそれを遮るように立ち上がる。
申し訳なさもあったけれど、魘されている間に言っていた言葉を聞きたくなかったというのが本心。
みっともなくて恥ずかしいことを言っていたのだろうということは想像に難くなかったから。

「モルジアナ殿、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい。白龍さん」

小さく呟かれたその言葉がどこか寂しげで心を引かれる。
湯船に浸かり、体と髪を洗いぼんやりとしている間もその言葉が、表情が気になっていた。
モルジアナ殿は何を言おうとしたのだろう。
風呂場から出て、タオルで適当に髪を乾かす。
鏡台に映る自分の顔を見て、ため息を一つ。
なんて顔だ。こんな顔で先ほどモルジアナ殿と話していたというのか。
みっともないにも程がある。
さっさと寝てしまおう。
リビングにまだ電気が点いていることを不思議に思って見てみると、モルジアナ殿が先ほどと全く同じ場所で蹲っていた。

「モルジアナ殿? 寝たのではないのですか?」

気になって声をかけると、彼女の背中がびくりと震え、そして――

「白龍さん。一つお尋ねしたいことがあります」

と、ゆっくりこちらへ振り返る。
ただならぬ雰囲気。立ち話で終わりそうにないことを察して彼女の隣へ腰を下ろす。

「何でしょうか」

真っ直ぐ視線を合わせて問えば、彼女は一瞬言いよどみ、そしてとても言い辛そうに口を開く。

「白龍さんの、ご家族は……」
「父と兄が二人、いました。でももう10年以上前に事故で亡くなりました」
「お、お母さんは……?」

ああ、そうか。
そこが聞きたかったのか。
このタイミングであの女のことを尋ねるということは、魘されていた時に何か言ってしまっていたのだろう。
それをずっと気にして、でも訊いてよいものか悩んでいたのだろう。
申し訳なさそうに眉根を寄せて、俺に遠慮していたのだろう。
本当に優しい人だ。

「母親も――もうこの世にはいません。あの女は保険金目当てに父と兄たちを事故に見せかけて殺し、再婚したかと思えばついこの間病死しました。…………本当なら俺がこの手で――」
「殺したかった、ですか?」

言おうとしたことを先んじて言われ、言葉に詰まる。
まさか、まさか――言ってしまったのか。
魘されていたとはいえ、姉上にも言ったことのない心の内を。本心を。
それも、こんな悲しそうな表情で見つめてくるモルジアナ殿に。

「こんなこと、私が言っていいかどうかはわかりませんが……本当に白龍さんのお母さんは白龍さんが思っているような人なのですか?」
「え……?」
「私にはそうは思えないのです。失礼と知りながら、そこに飾ってあるお写真を拝見しました。あそこに写っている方がお父さんとお兄さんたちとお母さん、ですよね? とても優しい人に見えます。それに――」

そこでモルジアナ殿は一旦口を閉じ、目を伏せる。

「それに、以前白瑛さんに内緒でお母さんのことをお聞きしました。事故でお父さんとお兄さんを亡くして、それでも白瑛さんと白龍さんを育てていかなければならなくて再婚をしたのだと。一人では、どうしてもお二人を育てることができなかったそうです」
「なん、で……、姉上はそんなこと……一度も言ってくれませんでした」
「話したかったそうです。でも、白龍さん……お母さんのお葬式に出なかったんですよね? それで、白瑛さんは白龍さんがお母さんを快く思っていないのではないかと思ったそうです。事故の直後に再婚されたのですし、無理もないと思います。保険金の受取人もお母さんになっていましたが、あれはお父さんが自分で掛けたもののようです。だから、きっと白龍さんが思っているようなひどい人ではないと思います」
「そんな……そんなこと……じゃあ俺が10年以上あの女に抱いてきた殺意は無駄なことだったのですか…………俺の人生は何だったんですか」

ショックを隠しきれない。
俯く俺の頭をモルジアナ殿が優しく撫でる。
今にも泣きそうになるのをぐっと堪えて、顔を上げれば慈愛の表情に満ちた彼女と目が合った。

「お母さんのことはショックだったと思います。10年以上ずっと恨み続けるというのはとても大変なことです。でも、白龍さんの人生は嫌なことばかりでしたか? 楽しいこととか嬉しいこととかなかったのですか?」
「…………」

そこで彼女は小さく深呼吸をして、真っ直ぐ俺の瞳を見て言う。

「白龍さんはまだ18年しか生きていないじゃないですか。確かに10年以上という月日を無駄にしてしまったのかもしれません。でも、白龍さんにはこれからの人生があります。……この前私のことを幸せにしていただけると仰られたじゃないですか。あれは嘘だったのですか? 嘘でないのなら――あなたが今、暗闇で苦しんでいるのなら、今度は私がそこから引き上げてみせます。白龍さん、私があなたを幸せにします」

にこりと笑ったその言葉が突き刺さる。
本当ですか? 本当に……幸せにしていただけるのですか?
こんな、暗闇に呑まれて身動き取れなくなった俺を、引き上げてくださるのですか?

「モルジアナ殿」
「はい」
「ありがとう、ございます。10年以上恨んできたあの女――母上のことを許せるかどうかはわかりません。……許せるようになるまで時間がかかると思います。それでもあなたのおかげで前を向けるようになるかもしれません」

ずっと後ろばかり見てきたけれど、もう、前を向いていいのだろうか。
どす黒い欲望にまみれ、悪女のような印象を無理矢理自分に押し付けていたけれど――優しくて、聡明で、美しかった母上の面影を思い出してもよいのだろうか。
もう、恨まなくても――素直に……いなくなってしまった母上のことを想って、泣いてもよいのだろうか。

「泣いても、いいですか」
「はい」
「――っ、母、上…………うわあああああ!」

大の男がみっともなく泣いた。夜も遅いなんて気にせずに。近所への迷惑も一切考えずに。
18年生きてきて、こんなに泣くのは初めてかもしれない。
モルジアナ殿は、引きもせず俺が泣き止むまでずっと隣りにいてくれた。

「気は済みましたか?」

漸く泣き止んだ俺に彼女はそう声をかけてくれた。
はい、と小さく首を縦に振り、涙で真っ赤になった目を擦る。

「情けない姿をお見せしてすみませんでした」
「情けないなんて思ってません」

その言葉が純粋に嬉しかった。
今なら、何の装飾もせずに言えるかもしれない。
こんな醜態をさらしておいて、尚も俺のことを好いてくれているかはわからない。だけど、この気持ちをあなたにお伝えしたい。受け止めてもらいたい。

「モルジアナ殿――俺の妻になっていただけませんか?」
「はい」
「……え?」

二つ返事で頷かれてしまい、言ったこちらが慌ててしまう。
当のモルジアナ殿はきょとんとした顔で見ているのが不思議でならない。

「え……そんな簡単に言ってしまってよいのですか!?」
「簡単というわけではありません。でも、この前白龍さん仰ったじゃないですか。私のことを幸せにするって。それにさっき言いましたよ、白龍さんは私が幸せにしてみせますって」

それで返事はしたものだと思ってました、とあっけらかんに言われてしまう。
驚いた事に、この間のプロポーズもどきは彼女の中で有効だったのだ。
それなら、なおさらあの場で逃げ出してしまったことが悔やまれる。
だけど、もしあの場で返事をもらえてしまっていたら俺はずっと母上のことを恨みがながら彼女の隣に居続けることになっていたのかもしれない。
それはやはり心苦しいし後ろめたい。それに人を恨み続けることは案外精神力を必要とするものだし、そうなるといずれは精神的に不安定になって彼女を傷つけてしまっていたかもしれない。
ならば、あの時逃げ出しておいて正解だったのかもしれない。
こうして真実を聞かされなければ、絶対あのまま母上を恨んでいただろう。

「白龍さん」

夜も深い時間だからだろうか。
モルジアナ殿は少し眠そうに目を擦りながら、それでもその目は真っ直ぐに俺を捉えていた。

「私、今すごく幸せです。この幸せをどうかずっと感じさせてくださいね」

普段無愛想な彼女の精一杯の笑みは俺の心を締め付ける。
ああ、嬉しい。
俺も今、すごく幸せです。モルジアナ殿。

「抱きしめてもいいですか?」

俺の問いに彼女は両手をいっぱいに広げて、

「どうぞ」

と言ってくれる。
ぎゅっと細い体を自分の腕に閉じ込めると、彼女の腕が俺の背に回される。

「白龍さん。これからは苦しいことと辛いことは半分です。嬉しいことと楽しいことは二倍です」
「はい」

初めてのキスは唇が触れるか触れないかという、そんな曖昧なものだったけれど――嬉しさと幸せをかみしめるには十分すぎるものだった。



(アリババさんとアラジンにも報告しなくてはいけませんね)

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