ボタン―恥じらい


「不束者ではありますが、どうぞよろしくお願いします」
「モルジアナ、それでは結婚の挨拶に来たようですよ」

姉上は笑っているけれど、俺は内心そんな状況ではなかった。
モルジアナ殿は姉上を見て、そして俺に視線を合わす。
ニコリと微笑まれたけれど、ちゃんと笑みで返せたかはわからない。
彼女の足下にはおよそ一週間分の荷物とは思えない小ささのリュックサック。
背丈があまり大きくないから背負えば普通サイズのものに見えなくもないのだろうけど、それにしたって一週間他人の家に泊まるのには不十分な量の荷物に思える。

「モルジアナ殿、荷物はそれだけですか?」

一応確認のために訊いてみるも、簡素な「はい」という返事で終わってしまった。
女性の旅行姿をたまに見かけるけれど、大抵の人は大きなスーツケースやら旅行用の大きめの鞄をさげている。今のモルジアナ殿の荷物と比較するとおよそ二倍くらいになるのだろうか。確かにそんなに大きな鞄に何を入れているのか不思議で仕方がなかったけれど、彼女の荷物も何が入っているのか不思議で仕方がない。
必要最低限、本当に要るものだけしか入っていなさそうだ。

「白龍、いつまでもモルジアナを暑い日の下に立たせていてはなりません。早く部屋に案内しなさい」
「はい、姉上。気付かずにすみません、モルジアナ殿。お部屋にご案内します」
「お願いします」

持ちますよ、と彼女のリュックサックを持ち上げるもやはりそれは外見同様軽いものだった。
本当、何が入っているのだろう。
居住スペースへの階段を昇り、今は使われていない兄上の部屋へ案内する。
少々埃っぽいのはご容赦いただきたい。

「この部屋です。自由に使ってください」
「ありがとうございます。すみません」
「いえ、気になさらないでください」
「ではごゆっくり」

言って部屋から出る。
大きくため息を吐き出して、どうしてこんな状況になってしまったのか昨日のことを思い返す。
“白龍さん、一週間私をここに置いてもらえませんか?”
昨日の午後。
モルジアナ殿から妙な提案があった。
理由もなくそんなことを言うはずがないと詳細を訊いてみれば、アリババ殿からこんなことを言われたらしい。

『アラジンが修学旅行の付き添いで一週間留守にするんだってよ。俺もちょうどシンドバッドさんと一緒に遠方に行く約束をしててよ。その間モルジアナ一人で屋敷にいるのも寂しいだろうから、白龍のところに一週間ほど厄介になってもらってもいいか? 話は俺が通しとくから』

そんなこと俺一言たりとも聞いてませんよと言えば、アリババ殿は姉上に話したのだと言った。
アリババ殿……できれば俺にも話を通していただきたかったです。こちらにもいろいろと準備しなければならないことがあるのですし。
今頃は飛行機の中か、それともきままな電車旅をしているのかは定かではないけれど、ほんの少しの恨み言を言ってやりたい気分だ。
もう一度ため息を吐き出して、ひとまず店を開けるために階下に下りれば、姉上が心配そうな顔でいるのが窺えた。

「白龍。今日からモルジアナが好きな料理を作って差し上げなさい」
「勿論そのつもりですが」
「それならよいのです。慣れないところに一週間も滞在するのです。気が休まらないと思います。せめて好きな料理で和ませることができればよいのですが……」

姉上の言うことは尤もで、同意見だ。
いくら見知った仲だからと言っても、アリババ殿やアラジン殿のように共に暮らしているわけじゃない。一週間、言うなれば他人の家で寝泊りをするのだ。気が休まるはずがないし、落ち着くなんて以ての外だと思う。
だから、というわけではないけれどせめて好きな料理でその気持ちを和らげていただきたい。
勝手な言い分はわかっている。でも、少しでも彼女の気持ちが軽くなるのなら俺にできることならなんでもして差し上げたい。

「あの……」

上からの控えめな声に俺と姉上が同時に顔を向ければ、そこにいたのはどうにも居心地が悪そうな顔をしたモルジアナ殿その人であった。
慌てて階段を二、三段駆け上がる。

「どうかしたのですか? どこか具合でも悪いのですか?」
「あ、いえ……何かお手伝いをさせてもらえませんか? じっとしてるのは性に合わないので」

そう言ってモルジアナ殿は「何でもしますので仰って下さい」と握り拳を作る。
俺も姉上も力がないわけじゃない。だけど重量のあるものだとどうしても二人がかりで作業しなくてはならない。その分時間のロスもあるし効率も悪い。
その点、モルジアナ殿は俺なんかに比べてはるかに力が強いし任せてもよいのなら力仕事を一任したいとは思うが……。何分、彼女は客人である。
この間の手伝いとは違う。おいそれと仕事を任せていいはずがない。――はずがないのに。

「ではお手伝い願えますか? ちょうど重い物を運ぼうとしていたところでしたので」

モルジアナ殿が軽快に階段を下りて、姉上の元へ向かう。
それを制止することができず、ただただ困惑するばかり。
いいのですか、姉上……。彼女は客人なのですよ、と音にならない言葉を呑みこんで、二人の後を追った。


*


「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」

結局夕飯は焼き魚にした。
アリババ殿から事前にモルジアナ殿の好物――と言っても魚全般という曖昧で大雑把なことしか聞いていなかった為、無難なところで焼き魚というわけだ。
簡単で手間もかけていないのに、それでも美味しいです、美味しいですと言って食べてくれたことが嬉しくて、ついつい見入ってしまったのは本人には内緒だ。
後片付けを終え、リビングに戻ってくると眠そうに目を擦る彼女と目が合った。

「もうお休みになられますか?」
「あ、いえ……だい、じょうぶ……です」

どう見ても大丈夫ではないし、睡魔がすぐそこまで迫っているのが見て取れた。
舟まで漕いでいるのだから素直に眠いと言ってもいいのに……。

「モルジアナ殿、お先に風呂に入ってください」
「いえ、そんな……。私は……あとで、いいです……ので」
「ほら、もう半分寝かかってるじゃないですか」
「寝て、ないです」
「もう二人一緒に入ってしまいなさい」

姉上の言葉に顔が真っ赤に染まるのがわかる。

「モ、モルジアナ殿と一緒に風呂など入れません! 姉上、何を仰るのですか!?」
「何って、あなたたちは恋人同士なのでしょう? なら何の問題があるというのですか」
「問題ありまくりじゃないですか! 俺は男で、モルジアナ殿は女性で、その……」
「そうこうしている間にも、モルジアナは寝そうですよ」
「モルジアナ殿! 寝てはなりません! せめて風呂に入ってからにしてください!」
「うー……ん」

重力に抗うことなく、彼女の瞼はどんどん落ちていく。
まずい、まずい。このままでは本当に俺が彼女と風呂に入ることになりかねない。
まだ恋人らしい営みを一つもせずにいきなり風呂を一緒に入るだなんてできるはずがない。
姉上を見やれば、仕方がないですねと嘆息される。

「モルジアナ、私と一緒に入りましょう」

助け舟ならもう少し早く出してもらいたかったけれど、この際贅沢は言わない。
もうほぼ眠りに落ちている彼女の体を姉上に任せる。
色々な意味で熱くなってしまった体を冷ますために大きく深呼吸をする。

「白龍も男の子なのですね」

にこやかに笑う姉上の言葉に顔を真っ赤にしながら、叫ぶ。

「もう放っておいてください!」

風呂場から聞こえる音が妙に耳に届いて、辛かった。



(あら、モルジアナ。あなた意外と……)

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