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 世界は美しいだけではなくて、昏い影があることを知った。その中で懸命に生き抜いてきた人がいることも。

 空の果てまで広がる世界はアリシアには大きすぎて、重すぎて――怖れを抱かせる。

(――わたしは、どうすればいいんだろう)

 自分の手が届く範囲だけを守ればよかった、旅に出たばかりの無知な頃とは違う。知らなかった『世界』を知って、大切だと思うものが増えた。失いたくないと思うものが増えた。

 何ひとつ犠牲にしないで、大切なものを守り通すことがどんなに難しいことなのか。それを思い知って、アリシアは戸惑う。

 母のことを教えてくれ、今も自分を導いてくれようとするラウルのことも。親身になって世話を焼いてくれるミラのことも。いつ終わるともしれない恐怖と密やかに戦っている、この村の人々の心からの安寧を、確かに自分は願っているのに。

(……願うだけ?)

 本当に、それでいいのだろうか。それで自分は後悔しないだろうか。

 だけど怖いのだ。自分は弱いから。一人、危険に飛び込めるほど戦いに長けているわけではないし、無茶ができるほど馬鹿でもない。だから一人で動けない。いつも守ってくれる誰かがいないと。

(傷つくのは、わたしじゃないから)

 いっそ、知らないふりをしてしまえばいい。自分のいちばん身近な大切な人を傷つけないために、見なかったことにしてしまえばいい。いずれファルスティアから司祭がやって来るのだから。今、アリシアが行動を起こさないからといって、誰かが責めることはない。誰も自分を責めたりしない。

 だけど、こんなにも心苦しいのは――。



「アリスっ」

「はいっ」

 突然響いた呼び声に、アリシアは身体を揺らした。そんな彼女を呆れたように眺めつつ、声の主であるライズが言う。

「食事中に意識飛ばしてんな。冷めちまうぞ」

「う、うん。……ごめんなさい」

 手にしていたナイフとフォークを握り直して、謝罪する。どうやら随分と深く考え込んでいたらしい。

 目の前の皿には宿の女将であるミラが作った料理が、手付かずのまま残されていた。ミラの料理は冷めても十分美味しいが、やはり温かいものは温かいうちに頂くのが礼儀というものだろう。



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