9 グレイ=ランダール
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 視界に映る空が否応なしに眩しくて、椎菜は顔を伏せる。そして深々と、全身全霊でもってため息をついた。――胸の奥に留まったままの、鉛のような思いをそのまま吐き出すようにして。

 魔物の襲撃で【扉】を開き、気を失って――目覚めてから、ずっとその繰り返しだ。いい加減、自分の不甲斐なさに嫌気が差してくる。一晩休んだおかげで、体調のほうは出歩けるほどに回復したものの、気持ちのほうは浮上する兆しが見られない。気晴らしになるかと外へ出てみたのはいいが、目に映る街の風景があまりに平穏で、眩しすぎて――いかに自分が沈みきっているのかを思い知らされた。そして気がついたら、足が此処に向いていたのだ。

 ゆっくりと面を上げて、椎菜は少し離れた場所に突き立てられた剣に目をやった。――師の、グレイの剣だ。九年前のどさくさの中で失われることのなかったそれが、墓標代わりに大地に突き刺さっている。その下に、当人の亡骸があるわけではないのに。

 明るい世界から逃げるようにして、椎菜がやって来たのは墓地だった。九年前に自分を守ってくれた人たちの、眠る場所。けれど、実際に誰がどこに眠っているのかは分からない。あまりにも遺体の損傷が激しくて、ほとんど人の身元を確認することが出来なかったのだという。だから、剣の下にグレイが眠っているとは限らない。本当に、この地面の下にいるのかも分からないのだ。グレイはあのとき、開いた【扉】の近くにいたから。もしかしたら巻き込んで、魔物と共にどこかへ消してしまったのかもしれない。だから、ああやって墓標代わりに形見の剣を立てているのは、生きている人間の自己満足に他ならない。

 あれは、戒めだ。椎菜が失ったものの重さを――自分のせいで亡くなった人々の無念を、忘れることのないように。そして唯一弱音を吐いて、縋れる場所でもあった。あの剣を見ていると、グレイの笑顔を思い出せるから。豪快で、鷹揚で、優しい表情。柄に手を添えれば、あの無骨な手が幼い自分の頭を撫でる感触が蘇ってくる。大好きで大切だった人の一つひとつの仕草を思い出して、切なくて、でも少しだけ幸せな気持ちになれるから。そうすれば、また立ち上がることができる。前だけを見て、走り出せる。だから気持ちが沈んだときには、椎菜はよく此処へ足を運んでいた。――けれど、今はなかなか浮上できないでいる。

 グレイの剣がある場所から少し離れた木陰で、椎菜は膝を抱えて座っていた。鼻先を掠める草の匂いも、耳に届く涼やかな葉擦れの音も、みんなみんな他人事のように思えた。まるでこの世界から一人、隔絶されているような、足許がおぼつかない感覚。その中に、椎菜はいた。もう、ずっとずっと前から――この世界に来たときから。

 両目を細めて空を見上げてみる。流れる雲を追いながら、椎菜は思った。空の色は変わらない。雲の色も。空に太陽という星があることも、雨が降ることも。人や獣、そして植物がその恩恵を受けて生きていることも、椎菜が生まれた世界とは何も変わらない。違わない。けれど、此処はひどく遠い場所なのだ。椎菜のいた世界とは。



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