5 覚悟 しおりを挟むしおりから読む目次へ ――こんな簡単なことも見えなくなってしまうなんて、情けない。 椎菜は唇を噛んで、アレスの背中を見つめた。もう、彼の意識はこちらにない。魔物と対峙することを決めた後ろ姿は、揺らぎなく堂々としていた。まるで、在りし日のあの人のように。 だけど、今度は誰も死なせたりしない。喪わないためにできることがある。それを為すだけの力ぐらい、あたしは持っているはずだから。 椎菜は拳を握った。そして、走り出すための言葉をアレスの背中に告げる。 「――行ってくる」 言外に、無事を祈る思いを込め、それだけを告げて椎菜は身を翻した。余計なものは視界に入れず、ただ真っ直ぐに駆け出す。 すぐに魔物の咆哮と、剣が何かに弾かれるような音が聞こえたが、椎菜は一度として振り返らなかった。自分が為すべきことを、もうちゃんと知っていたから。だけど。 だけど、一度でも振り向いてしまったら。自分を守ると言った彼が戦っている姿を見てしまったら――走れなくなってしまうかもしれない。二度と、足を動かすことができなくなるかもしれない。 その思いだけは、どうしても捨てきることができなくて――椎菜は顔を歪めたまま、街に向かって走り続けた。 * * * 屋敷に残ったランディは一人、窓際に立って外を眺めていた。街の中心から少し離れた場所に建っているせいか、この周辺は静かだ。そして、この邸内も。 屋敷の主人であるロディオは家を飛び出したらしい娘を捜しに行ったまま、まだ戻らない。「外の風に当たってくる」と出ていったアレスも同様だ。先程、ロディオの妻であるマーサが少し顔を出した以外、応接間に人の出入りはなく、室内は実にひっそりとしていた。ランディはため息をついて、部屋の中央に目をやる。 中央の卓に置かれたカップの中身は、すっかり冷めきっていた。今更、口をつける気にもならない。一人、この場に残されて――もう半刻近く経っただろう。いい加減に退屈してきた。こんなことならアレスと一緒に外に出て行けばよかったと思い、ランディは肩を落とす。 今からでも外に行ってみるかと考える。しかし今更出ていって、行き違っても馬鹿馬鹿しい。そう結論づけて、ランディは何気なく再び外を見やった。そして、誰かが屋敷に向かって走ってくることに気づいた。 「――何だ?」 近づいてくる人影に見覚えがあった。シーナだ。黒い髪を振り乱して走ってくるその姿に尋常ではない気配を察して、ランディは傍らの剣を掴んだ。そして窓枠をひらりと飛び越える。 |