5 覚悟 しおりを挟むしおりから読む目次へ 「大丈夫なんてうそだ。みんな死んじゃったもの、魔物にころされちゃったもの。あたしをにがすのにみんなしんじゃって、」 グレイだって――椎菜が知る限り、いちばん強くて頼りになったあの人だって、死んでしまった。大丈夫だって言ったのに。言ってた、のに。 皆があたしを置いていってしまう。あたしを守ろうとして。あたしが居たせいで。あたしが我が儘を言ったせいで。グレイも、街の人も――お父さんも、お母さんも――みんな、 「落ち着け」 不意に、目の前が暗くなった。何かに頭を包み込まれて――それが、アレスに抱き寄せられたからだと気がついて、椎菜は息を呑んだ。片腕で頭を抱えられ、彼の胸元に顔が当たっていて――そして、聞こえてきた。 規則正しい、彼の心音が。 生きている人の、生命(いのち)の音が。 耳を傾けているうちに、落ち着いてくる。赤く紅く明滅を繰り返していた過去の光景が、遠のいていくのが判った。代わりに戻ってくる――現実。 「今は、九年前とは違う」 アレスの低い声が聞こえてきた。それはひどく快くて、椎菜の中に生まれた激しい感情の渦を鎮めてくれる。もっと、声を聞かせて欲しい。椎菜はそう思いながら目を閉じた。アレスが慎重な口調で続ける。 「あなたには、戦う力がある。ここから街まで、一人で走っていける。街の人間に警告できる。助けを呼んで来れるんだ、あなたは」 その言葉を聞きながら、椎菜はゆっくりと目を開けた。わずかに息苦しさを感じて身動ぐと、アレスの腕の力が緩んだ。面を上げた刹那、青灰色の瞳と目が合い――アレスが微かに笑ってみせた。 「俺なら、あなたを守ってやれる。あなたが走り出すなら、その道を切り開いてやれる。そして今、あなたは俺を助けられる唯一の人間だ」 「あたし、が?」 掠れた声で聞き返すと、アレスは大きく頷いた。 「この街で育ってきたあなたの声なら、届くはずだ。皆を逃がすことも、助けを呼ぶこともできる。余所者の俺より、ずっと適任だろう。だから、」 行ってくれ、とアレスは言った。そっと椎菜から腕を外し、隙のない動作で立ち上がる。そして油断なく剣を構えて、口を開いた。 「九年前の、逃げるしかなかった子どもの頃とは違うんだ。だから、大丈夫。俺を死なせたくないと思うんだったら、行ってくれ」 アレスは、逃げろとは言わなかった。そのことにようやく気がついて、椎菜はゆらりと立ち上がった。ああ、そうだ。今はあのときとは違う。今、あたしが走って警告しに行けば、街の人間を守ることができるのだ。そして、一人でこの場に残って無茶をしようとしているこの青年を助けることもできる。迷って、取り乱して、ここに留まっているより、ずっといい。 |