あの頃の私たちはなんにも知らなくて、寝て起きたら当然のようにやってくる日々を生きるだけだった。
それが当たり前だったし何も疑問には思わなかった。無邪気なままでいられた時間。
ぬるま湯に浸かっていたような、まやかしの平和だったかもしれない。それでも幸せだった。
今となってはただひたすら前を向いて歩くことしか許されないから余計にそう思うのかもしれない。
でもこんな世界だからこそ、時々振り返って懐かしく思うことぐらいは許されてもいいと思う。
眩しい思い出に浸って、そしてまたあの頃には考えもしなかった美しくも残酷な世界を踏みしめる。





家から出て清々しい空気を吸ってうーんと伸びをする。見上げたら空は快晴で、そこから少し視線を落とすといつものように圧迫感のある高い壁が目に入った。それは生まれた時からそこにあって、今更まじまじと眺めるものでもなくあって当たり前のものだけどあの壁がなくなってしまったら私たちなんてすぐに壁の外にいる巨人の餌になっちゃうらしい。今日も壁は私たちを守ってくれている。
特にあてもなく近所をふらふら歩いていたら、石畳の階段に腰掛けて何やら熱心に本を読んでいる背中が目に入った。
にやりと笑ってから抜き足差し足でそーっと近付いてみる。真後ろまで来たというのに気付く気配はないので、両手を突き出して目隠しをしてみた。

「えいっ」
「うわぁっ!?」

大げさに驚く声が面白くてぷくく、と笑うと慌てた様子で私の手を引き剥がそうとしてきた。
ぐ、と手に力を入れて抑えそれを阻止する。

「誰でしょう?」
「こんなことするのはモニカしかいないよ!離して!」
「えーエレンだってするかもよ?」
「エレンはすぐに離してくれるよ!」

バタバタ暴れる様子をもっと見ていたかったけどべり、と手を掴まれ剥がされてしまったので解放した。
振り返った顔は暴れて興奮したからか少し上気していてそれが更に面白くてにやにやしてしまう。

「あはは!アルミンかわいー」

拗ねたように唇を尖らせたアルミンはぷい、とそっぽを向いた。

近所に住むアルミンという男の子は、男の子のくせに見た目が女の子のように可愛くて背が小さくてひょろひょろとしていて細っこい。
かけっこや鬼ごっこをして遊ぶよりも、どっちかと言うと本を読むことの方が好きらしくてこうして見掛けると熱心に本を読んでいることの方が多かった。
そのせいか、よく近所のいじめっ子たちからいじめられているのを何度か見たことがあるけれど、その度にエレンとミカサが飛んで来ていじめっ子たちをやっつけていた。主にミカサが。
年は私と一緒だけどアルミンの方が小さいし、力もないし、体力もないし、ついつい構いたくなってしまう。
私的には可愛がってるつもりなんだけど、顔を合わせる度にアルミンは私を見るとびく、と怯えた顔をした。そんな表情を見たらもっと構いたくなっちゃうだけなのに。
アルミンにとって私はいじめっ子たちと何ら変わらないのかもしれない。

「なーに?今日も本読んでたの?」

そっぽを向いたアルミンが腕に抱えている古びた本に視線をやる。

「別になんだっていいだろ」
「ふーん?あ、わかった、また外の世界について書いてある禁書ってやつ読んでたんでしょ。持ってちゃいけない本」

アルミンの顔を覗き込みながらそう言うと、肩をびくつかせて大きな目を更に見開いた。わかりやすい。

「だ、だったらどうするの…?」
「憲兵さんに言いつけちゃおっかなー」

くるりと背を向けて足を一歩前に出すと、待ってモニカ!と焦った声が聞こえた。
もう一度振り返ってにしし、と笑ったらアルミンはびっくりした顔をして私を見た。

「冗談だよ!焦らなくてもそんなことしないって。私だってちょっとくらい外の世界に興味あるし」
「え……」
「でもアルミンってば私には本見せてくれないし」

いじけた風を装ってそう言えば、だってモニカが外の世界のこと知りたいなんて知らなかった…と下を向いてもごもご言った。

「私のお父さん調査兵団だしね。たまに外の話は聞かせてもらうけど、本の中の話にも興味あるよ」
「じゃあ…本、読む?」

自分の好きなことに興味があると知って嬉しかったのか、目をキラキラ輝かせながら言ってきたアルミンの表情に不覚にもきゅんとときめいてしまって、なんだか悔しくなって思わずアルミンの両頬をつまんだ。

「な、何するの!」
「アルミンは可愛いねー」
「離してよ!」
「わーほっぺたよく伸びる」
「モニカなんて嫌いだよ!」
「ふーん?そんな生意気なこと言うのはこの口か」

更に痛くない程度にぐい、と引っ張る。頬をつまんでいる私の手を引き剥がそうと必死になっている姿が可愛くて、ふふふと笑みが零れた。

「楽しい」
「楽しいのはモニカだけだよ…」

そろそろやめないと泣いちゃうかな。アルミンは泣き虫だから。
それにこうやっていじめている所をエレンやミカサに見られたらまた何か小言を言われるかも。
いじめっ子たちと違って私の場合はアルミンのことを本気でいじめてるわけじゃなくて、可愛がるあまりについ構いたくなってちょっかいを出してしまう。そうすると必死になって反抗してくるから、更にからかう。
本気でいじめてるわけではないってことをエレンとミカサは分かってくれているから制裁は加えられずに済んでいる。呆れられてはいるけど。
でもアルミン本人はそんなのきっと分からないんだろうな。まぁ別に分かってもらおうなんておこがましいことは思ってないけど。

ぱっと手を離すとさっと自分のほっぺたを両手でガードしてアルミンは私をじとりとした目で見上げた。

「……モニカのいじわる」
「だってアルミンのことつい構いたくなっちゃうんだもん」

なんでよ、意味わかんないよ、とか何とか言ってたけど別に分かってくれなくたっていい。 だってただアルミンが可愛いから。

「じゃ、エレンとミカサが来る前に行こっと」

ふ、と笑ってアルミンに手を振ってから、その場を後にした。





訓練兵になって最初の通過儀礼という一種の儀式は、なかなか異様な光景だった。
一見ただ理不尽に罵られているように見えるけど、兵士に適した人材を育てるためには必要な過程らしい。
次々と教官が声を張り上げる中、一人の男子に順番がやってくる。
貴様は何者だ、と教官が問い掛けて、バカみてぇな名前だな、と罵倒したその名前。
聞き間違うはずがない。
驚いて思わず目を見開いてその後ろ姿を凝視する。
教官に頭を押さえ付けられながらくるりとこちら側に向けた顔を見て確信した。
さらさらしている金髪と実際の年齢よりは幼く見える顔。一番最後に会った時とあまり変わってはいなかったけれど少しだけ顔付きが大人っぽくなったかもしれないと思う。
私が並んでいる列の番になり、一人一人顔を見ては容赦無く恫喝していく教官は私の前を通り過ぎ隣りの男子に大声を出した。
だけどその内容もどこか上の空で私の頭の中は彼のことでいっぱいだった。彼がここにいるということは、仲の良かった二人も一緒にいるんだろうか。

アルミン・アルレルト。

ウォール・マリアのシガンシナ区にいた時に近所に住んでいた男の子。
奇妙な巡り合わせもあるものだと、どこかぼんやりしながら思った。



再会
君は相変わらず泣き虫なの?





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