本丸は審神者を映す鏡だ。


付喪神としての魂が嫌悪する。いや、私がただの人であったとしてもまず間違いなくクラウチングスタートで逃亡決めるであろう本丸がそこにあった。

吸った空気がでろりと不快に肺を撫で、全身を巡る。

「大丈夫?」

よほど酷い顔色をしていたのか監査部の加州清光___本丸との区別のために以下清光と呼ぼう___が気遣わしげに背中をさすってくれた。

作戦では先に機動重視の先行班が審神者を押さえる。私を入れてくれてる清光ら制圧班は小隊に分かれて妨害してくる可能性のある刀剣男士を担当。

「まともな手入れもされてないはずだし、鶴丸さんの練度なら心配いらないと思うけど、たまにこういう本丸の瘴気に当てられる刀剣男士もいるから無理はしないでね」

「平気だ。少し、想像以上ではあったが……」

「これでも経験上マシな方ではあるんだけどね」

マジですか。マジですよ。みたいな視線のやりとりをしながらも慎重に本丸内へ侵入することに成功。

締め切られたガタつく戸を開けると濃い血の臭いが鼻につく。

静かだ。出陣でいない可能性を考慮せども短刀はいるはずなのに、わずかの気配すら感じない。

あまりにも汚いため失礼ながら土足で上がらせてもらう。

ミシッと軋みはしたが床が抜けることはなさそうだ。

屋内はそこかしこに血が飛び散るようなお化け屋敷にはなっていないけれど、床に負傷したままの足を引きずって歩いたかのような生々しい血痕が染み付いていた。

ここが、鯰尾のいた本丸……。

途中で見つけた鍛刀部屋に入ってみると、そこは普通の本丸ならば四六時中炎が絶やされない炉が冷え冷えと冷えており、いるはずの鍛刀精霊すらいなかった。

むしろ一度でも使用された形跡が無い。

「鍛刀能力の無い審神者らしいね」

「そんなのいるのかい」

「顕現と手入れが審神者の必須能力で、ドロップや政府から支給される刀剣もあるから成れるっちゃ成れるんだけど、よほど他が優秀とかいう理由でもなけりゃ普通は無理だよ。でもここの審神者は正規の手順で審神者になったわけじゃないから」

どうも元から違法行為をするためだけに用意された本丸と審神者らしい。
ブラック本丸に成り果てたのではなく、初めからブラック本丸だったそう。

あっこれはオフレコで、と口に指を当てた清光がそう言った。

ブーッブーッと彼の端末が震える。
着信に出た清光がエッと声を上げ、一言二言交わした後通話を切った。

「先行班が離れにて審神者を発見。刀剣との接触はなく近場に気配も無く、捕縛完了って」

「もう終わったのか?静か過ぎないか」

「護衛を置いていなかったんだって。それじゃなくても先行班は練度高めだから、審神者一人拘束するくらいわけないけど……この本丸の刀剣男士はどこにいるんだ」

審神者さえ確保してしまえば主命に縛られた刀剣男士との戦闘も回避出来るだろう。

そう結論つけた清光に続いて私たちは大胆に家探しを始めた。

今まで殺していた気配を殺さず、目についた部屋の戸を片っ端から開けていく。

ほとんどが空き部屋で、たまに室内で折れている刀剣を見つけた。

周りの血痕からして折れたのは最近の話じゃない。ずっと放置されてきたのだろう。

いまさら何の意味もありはしないが、私たちはそっと手を合わせ回収した。



「誰だ」

その部屋には、明らかに重傷で意識のない刀剣とその縁刀がいた。

「政府監査部所属、加州清光。ここの本丸の主は違法刀剣売買に刀剣男士に対する虐待行為諸々で拘束させてもらった。聞きたい事も言いたい事もあるだろうけど、でも一先ずは抵抗せず保護と手入れをさせて貰えないかな」

「政府の……?まさか鯰尾が成功したとでもいうのか」

「この本丸の鯰尾藤四郎は今こちらの本丸で保護している。俺は政府の刀ではなく本丸所属の刀だ」

「鶴丸国永か……そうか、あいつは、やり遂げたのか」

彼は何かを噛みしめるようにそう呟くと、こちらに向けていた切っ先を下ろし、納刀したかと思えば、奥で倒れている刀剣男士の本体とまとめてそれをこちらに投げ渡した。
床に落ちる前に慌てて受け止める。
あっぶね!折れるがな!!

「おいっ」

「好きにしろ。こうなった以上、どれだけ人間が憎くともすべてを諦め傍観していた俺に何かを主張する権利はない。……ただ、鯰尾は、元気か」

「元気……とは言い難い。心の傷は深く癒えるのにも時間がかかるだろう。だが、体は手入れされ傷一つない」

「そうか……」

「……粟田口はどこにいる?」

疲れたように壁にもたれかかっていた彼はスッと本丸の奥を指さした。

「奴らはもうずっと前から最奥の部屋より出て来ない。一期一振が許さず、近づく事も困難だ」

「今も一期はそこに?」

無言で首を振る。
いない、もしくは分からない、か。

これ以上、彼に何か言うのは違うだろう。

私は控えていた政府の手入れ師に二振りの本体を預け、清光とともに最奥へ向かった。





大部屋なんだろうその部屋の付近に一期一振は見当たらない。

近寄れない、とのことだったから一期は出陣か遠征で不在なのだろう。

向こうから気配は感じないのも合わさって妙に静かな威圧感ある戸に手をかけた。

敵意ある刀が飛び出して来た場合に対処できるよう、清光があらかじめ刀を抜いて構える。太刀である私は抜刀こそしないものの片手は本体をいつでも抜けるように備えた。


赤い瞳の合図に頷き、私は一気に戸を引いた。


「なっ!?」

果たしてそこには大勢の短刀がいた。

血の気が引いて、ぐうっと詰まった喉が音を立てる。

お世辞にも綺麗とは言い難い、所狭しと並べられた布団に丁寧に横たえられている薬研、乱、前田、五虎退、秋田。

彼らが何振りも、何振りも何振りも何振りも何振りも何振りも何振りも何振りも何振りも何振りも何振りも何振りも何振りも……。

折れ、錆び、朽ちかけている本体だけが、そこにあった。

なんだこれは、なんなんだこれは……!


「おや、お客様ですかな?」


朗らかな、優しい声がした。

一拍遅れて床を蹴り狭い廊下から広い室内へ飛びすさる。

間抜けにも室内のあまりに想定外な惨状に気を取られて背後に迫った存在に気付かなかった。

「一期一振」

「鶴丸殿?お久しぶりです。勝手に部屋に入るのは良くありませんよ」

全く困った方だ。と微笑み肩を竦める一期はよく見る他所の一期一振と遜色なく、この異様な光景の中でそれが不気味に浮き上がる。

隣で刀を握る清光の警戒心がぐんぐんと上がっていくのを感じた。

「足元、気を付けてくだされ。弟たちが眠っているのです」

パッと見、堕ちてるようには見えないけれど、正気であるとも限らない。

一期は足元に注意を促すと、戦帰りなのだろう血濡れた体で入り口に近い弟刀から順に「ただいま」と声をかけて優しく撫でた。

ポタリポタリと脇腹から落ちる血液。

「君中傷じゃないか、手入れを……」

「鶴丸さん近付かないで!」

鋭い声に制されて一歩踏み出そうとした足を元に戻す。
一期はそんな清光を見やると、ゆるく首を振った。

「そう警戒せずとも私の練度ではあなた方に敵いますまい。それに、おおよその状況は分かっておりますよ。この本丸はやっと終われるのでしょう……ただ、恨み言を言えるならば、なぜッもっと早くに来てくださらなかった……!」

血を吐くような声だった。深い悲しみと怒りで彼の拳はきつく握りしめられ体は小刻みに震えているのに、その表情は微笑みからピクリとも変わらない。まるで精巧な人形のようだった。

ただ、滲んだ金の瞳から溢れ輪郭をなぞり落ちる雨だけが、彼は人形などではなく心あるものなのだと表している。

_______一期一振は笑顔以外の表情を無くしていた。

堕ちてはいない。堕ちかけてもいない。狂ってもいなかった。
否、狂うことすらできなかったのか。

「もう遅いのです」

すらりと抜かれた本体。
一期の様子に下ろしていた刀を構え直すも彼がその刃を向けたのは私たちではなかった。

「待て!」

「止めないで下され!」

機動で勝る清光がギリギリ止めた刃先は一期の首筋を皮一枚切った。
流れる血で赤く染まる戦装束。

「悪いけど堕ちてない刀剣男士を自壊させるわけにはいかないんだよね。約束はできないけど、ブラック本丸の刀剣男士は身の振り方の希望を叶えられるよ」

他の本丸への移籍でも、政府所属でも、刀解でも。

だが自壊だけは、ブラック本丸という特殊な環境だけあって、人間の罪を恨んだまま本霊に還られたのでは今後の神との交渉に影響する可能性もあって認められない。

清光はそう語った。

「はは……理解は出来ますな、納得はしかねますが。しかし、そんなもの本霊に還らなければいい話でしょう」

「堕ちてないのに本霊に還らないつもり?」

「一期一振は……“粟田口吉光の最高傑作で兄弟の長兄"……私はもう、そんな名誉ある存在ではありません。主の愚行を止められず、弟を犠牲に生き延び、弟たちを守れず、地獄を打ち破ろうと足掻いた誇り高い弟すら傷付け、なにが長兄でしょう……。戦場で折れる誉すら不相応。鈍は鈍らしくこの腐った本丸で朽ちるが似合いだ」

最後まで何一つ、守れなかった。

そう繰り返した一期は私の足元を見た。
私は彼の視線を追う。

「脇差……、鯰尾藤四郎か」

私は鯰尾の本体を見たことはない。けれど骨喰の本体は見慣れているから彼じゃない事はすぐに分かった。ならば消去法でこれは鯰尾なのだろう。

ああそうか……。

改めて周囲を見渡す。

落ち着いて見ればどれもこれも、折れて随分と経っている。

鯰尾を戦場で拾ってからまだ一月経っていないのに。
現実的に考えて、鯰尾が戦場で何週間も彷徨っていたとは考え辛い。

ならば鯰尾がまだこの本丸にいる時分、彼は知らなかったようだがこの部屋はすでにこの状態だった。

鯰尾は弟と話したことがないと言っていたが、それは違った。

そもそも話せる弟なんて、存在していなかったのだ。

一期は鯰尾の行動を制限して短刀たちを守りたかったんじゃない。

たとえそれが鯰尾の意思とは真逆の行為だったとしても、

「君が本当に守りたかったのは、鯰尾だったんだな」

ひくりと一期の喉が鳴った。
なぜ、と蚊の鳴くような声で問われた。
それでも浮かんだままの微笑みが痛々しい。

「俺は稲葉本丸所属鶴丸国永。君の弟、この本丸の鯰尾藤四郎はうちで保護している。一期、君が守りたかった弟は無事だ」

「あ……嗚呼……本当、ですか」

「戦場に一振りきり、保護されるまでよく持ち堪えていた。彼が持っていた証拠品で俺たちは今ここにいる」

「鯰尾…よくぞ無事で……!」

一期が泣き崩れる。

「頑張ったなぁ鯰尾。苦しめてすまない…」

カチャンッと音を立てて手から滑り落ちた太刀を清光がそっと回収した。

自壊はもう出来ないだろう。

朽ち掛けとはいえそばにある短刀を使えば出来るかもしれないが、仮にも弟刀でそれをする一期ではない。

「君も、よく頑張ったなぁ」

遡行軍の返り血であろうそれで黒く固まった髪をほぐすように撫でる。

清光ももう近くなとは言わなかった。

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