綺麗だね、的場くん!

雑魚妖怪数匹を祓った仕事の帰り、人一人いない無人駅に夕日が差し込んで辺りを橙に染め尽くしていた。そんな場所でふと、懐かしい声が響いた気がした。
首を巡らせてももちろん誰もいなくて、無人駅独特の時間だけが流れている。

綺麗だね、と記憶の奥底で笑っている幼い子供。声などとうに忘れたと思っていたが、そういえば、あんな声だった。大人びているのに少しだけドジで、いつも笑っていたあの子は、今、どうしているのだろう。
なんて、自分らしくもない。 ありえない。

電車が来るまでもうしばらくかかりそうだ。
的場は備え付けのベンチに腰を下ろし、一人、そっと瞼を下ろした。閉じられた先にある瞳にまで、夕の光が届いている。不思議と眩しいとは思わなかった。



愛想が良いとはお世辞にも言えなかっただろうに臆さず声をかけてきた子がいた。
あの頃は自分と周囲の人間が見る世界の違い、ずれを上手く消化する術を知らなくて、態度に出さないのも難しく、言ってしまえば随分と浮いた存在だったろう。

「同じ係だね、よろしく!」

あぁそうだ。同じ係になったと、初めて声をかけられたのだ。正直面倒な事この上なかったけれど、誰もが何かをやらなければならないならと比較的楽そうな係を選んだのだ。放課後の図書室で、本の整理をするだけの仕事。人も少なくて、校舎の西奥の静かな場所にあるそこは生徒たちには不人気だった。本の品揃えも悪かったように思う。暗く静かな場所は小物妖怪が好んでいたという事は誤算だったけど。

「どんな本が好き?」「今日の算数のテストどうだった?」「晩御飯何かなぁ」
ねぇ、的場くん。
よく話題が尽きないものだと思いながら返事するまで催促もなく、にこにことこちらの言葉を待つものだから、無視するのも気持ち悪くて細々と会話は続いた。

仕事は当番制で頻繁にあるものでもなかったし、彼女が図書室以外で話しかけてくることはなかった。だからこそ、鬱陶しくは思ってなかったのかもしれない。

その日、彼女はいつもと同じように話しかけてきた。ねぇ的場くん、と。

「君は笑ったほうがいいね」
「は?」
「笑ったほうがいい」

的場に笑いかけながらそう言った。これは?あれどうだった?どう思う?と質問ばかりだった彼女に何かを意見されるのは初めてで、不快、というよりも間の抜けた声を出した自覚がある。

「君の笑顔みたことないや。満面の笑みとか言わないからさ、愛想笑いでもしてみてくれない?ほら、にこーっ」

にこーっとか言ってる割に、その顔は眉の下がったへにゃっと力無い笑顔で、無意識に眉間にシワが寄った。

「ごめん、ごめんね。怒らせるつもりじゃなかったんだけどな」

今度は口角も下がってしまって、こちらの口角まで下がる。ゆるゆると視線を泳がせていた彼女は持っていた本を窓際の棚に戻し、ふと窓の方を見た。古びた桃色のカーテンが赤みを帯びていく。
彼女はおもむろにその閉められていたカーテンに手をかけてシャッと思い切り開けた。
橙に燃える陽光が差し込んで、蛍光灯の明かりを打ち消した。小物たちが驚いて物陰に隠れ、的場は目の前に手をかざす。

「ねぇ」
くるりと振り返った彼女の背後で夕陽に浮き彫りにされたナニカの影が泳いだ。_____妖だ。

「綺麗だね、的場くん!」

夕陽を背にした彼女は黒く塗りつぶされていたけれど、きっといつも通り笑っていたんだろう。
けれど的場は泳ぐ大きな妖に気を取られ、それを目にすることはなかった。


それきりだ。
的場と少女の穏やかで山も谷もない物語は静かに終結した。
少女のいない世界を、的場以外の人間は何の疑問もなく過ごしていく。
気付いたのはどれくらい後だったか。図書室の当番表は各クラス一名ずつの名前しかなくて、彼女の名前を呼んだことがなくて、彼女の姿を図書室以外で見たことがなくて、自分も、彼女の夕焼けを閉じ込めたような、不思議な色の瞳しか思い出せなくて……。





プシューッ
無人駅に電車の止まる音で目を開ける。行き先を告げるアナウンスが少しヒビ割れていた。
ベンチから腰を上げて乗り込んだ車内に他の乗客はおらず、座った席から外を見れば先ほどまで橙に染まっていた空は夜に侵食され始めていた。

夕陽が山際に隠れ徐々にその光を弱めていく。
走り出した電車から見える遠ざかった駅の上空。
最後の斜陽の中で、一匹の影が泳いでいる。
思わず腰を上げた。
しかし当たり前に電車は止まらず、あの日見た、あの子と同じ瞳をした龍は黄昏と共に消えていった。


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