03
月が綺麗な晩のこと。
書物を読んでいる秀元の邪魔にならぬようにと屋根の上で月見していたあかりは、
クゥと可愛らしく腹の虫がなったのを期にそろそろ夕餉、秀元の食事も持って行ってあげようと家の中に飛び込んだ。
持って行ってあげて、ありがとうと褒めてもらえればそれだけで心に温かい気持ちが花開く。
そうだ、あわよくばお膝の上で眠らせて貰えるかもしれない。それなら邪魔にはならないし、自分も寂しくない。
「えへへっ」
期待に胸を膨らませ、
ぽんっと軽い音を立てて人の子サイズへ変化し、二本の尻尾をパタパタ振って台所へ走る。
素足のペタペタという音を立てて走っていたあかりだが、ふとその足を止めた。
ピンっと耳が立ち、スンスン鼻を鳴らす。
物音と、初めて嗅ぐ匂い。
花開院の人間でないことはすぐに分かった。
ならば盗人か。妖ならばこの家に誰にも気付かず入れるわけはない。
「ヴヴッ…」
警戒する時の習性で喉が低く唸る。
足音を消して目と鼻の先にある台所へ顔をそっと覗かせた。
「もぐっ美味いのぅ」
唖然呆然。なんと後頭部の長い妖が、秀元の夕飯を悠々と食しているではないか。
「なんで……?」
この花開院家に入れる妖はあかりしかいないはずなのに。
思わず呟いた声に反応したその妖は、あかりの姿を視認すると目を大きくした。
「なんじゃ?お前妖狐か。この家に憑いとるのか?」
彼のいる江戸に妖狐はあまり見ないため、少々興味深そうにじろじろ見る。その視線に人見知りの激しいあかりが堪えられるはずはなく、緊張に体が強張り、尻尾の毛が膨らんだ。
だがそれも次の瞬間まで。
その妖、"ぬらりひょん"は膳によそってあった煮物をパクリと口に放り込んだ。
「ッッ!それ、秀元の、秀元のために、頑張ったのに!」
大好きな秀元のために、美味しくなれと思いを込めて昨日から煮込んでいたあかりの自信作であったのに、それを見知らぬ妖に食べられた。
秀元の食事を食べられた。
犬歯を剥き出しにして唸る。
今は恥ずかしさよりも怒りが勝っていた。
血が沸騰するように熱くなり、妖気がだだ漏れる。
キュッと縦に伸びた瞳孔。さらに瞳の色も琥珀から輝く金に変わっていく。これはあかりが本気の証。畏の発動。
「おおっ?」
向けられる殺気にぬらりひょんは腰を上げるが、見た所明らかに生まれて間もない妖。武器を手に取るまでもない、と余裕のある態度で目の前の妖狐を見つめた。
先に動いたのはあかりだ。
ふうっ!と思い切り息を吐けば炎がぬらりひょんに向かっていく。
「狐火か」
ひょいっと脇に避ければ、その先にあった鍋が焼き焦げ炭になった。そこそこの威力であるが、やはり二尾。
羽衣狐は八尾だと聞く。六本の差はかなり大きいらしい。
追撃で吹き出したあかりの炎。力量差を見せつけ、大人しくさせてやろうとドスを鞘にいれたまま振るった。それだけで霧散してしまう狐火は、もともとそこまでの攻撃力を誇っていない。
だがこの二尾、普通の妖狐とは違っていた。
三度目の炎も同じように切り裂こうとドスを振ったぬらりひょん。
だがそれは先ほどのようにはならなかった。
「なっ熱ッッ」
炎は避けなかったぬらりひょんにまとわりつく。そしてその身を焦がしていった。
普通に焼かれるような痛み、なんて生温く感じるほどの苦痛に、これは不味いと直感したぬらりひょんが何とか炎から抜け出す。
当然そこを狙ってくるあかり。
今度は甘く見ない。
「フン小娘がなかなかやりおる、が」
「!」
ぬらり、と消えたぬらりひょんがあかりの背後に立つ。
「ワシを相手取るには早かったな」
ぬらりひょんの畏。
上から床に押さえつけられたあかりはまだ狐火を出したり尻尾をこれでもかと振り回して拘束から抜け出そうともがく。
「ハハハ、威勢よく諦めの悪い子じゃ」
ビクともしない力差に涙がこみ上げてきた。
「ふぇっ」
とうとう嗚咽が漏れた時、
「そこまでや」
あかりの大好きな声が聞こえた。
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