『今日、世界が終わる気がしたので』
※現パロ



「水族館に行こうと思う」
「えっ」

私はお茶を机に置きながら思わず声を上げる。どっしりと座った彼は足を組み、腕を組み、目だけで此方を見上げていた。ほぼ口を開けずに短く問われる。

「嫌か」
「いえ!行きます、嬉しいです!」

やったあと両手を上げてぴょんと跳んだら、足が机に当たって紅茶のカップが揺れた。彼が瞬時にそれを押さえる。
彼は出会ったばかりのとき、その反射神経の良さに驚いた。運動神経や咄嗟の判断力、勘までもが非常に優れていて、何かの選手であったのだろうと思っていたこともあった。彼はただ「生まれつきだ」と言っただけだけれど。

「はしゃぎ過ぎだ」
「だってリヴァイさんがデートの行き先決めてくれるなんて珍しいじゃないですか」
「そうだったか」
「とぼけないでくださいよ!」
「次の日曜日、朝9時に迎えに来るから支度しとけ。人が多いそうだ、あまり高いヒールや短いスカートは避けて動きやすい服装がいい」

無表情ながら、下調べもばっちりらしい。私はますます嬉しくなって、いつものようにビシッと敬礼しておどける。

「了解であります、兵長!」

彼は一瞥して眉を寄せる。いつも言っているが、と前置きをしてから私に言う。

「その兵長ってのはやめろ」
「でも、隊長!とかイエッサー!じゃ普通かなあと思って。兵長なら強そうだし、特別感出てません?」
「そういう問題じゃねえ」
「駄目かなあ、戦えそうで良いと思う」
「俺は戦わない」

リヴァイさんの声が少しだけ固くなった気がして、私は口を閉じて彼の表情を見る。
しかし、次の瞬間にはもういつものリヴァイさんの声が飛んでくる。

「くだらねえこと言ってないで見たい魚の下調べでもしてろ」

その台詞が可笑しくて笑ってしまう。
リヴァイさんの口から魚という単語が出てくるのはなかなか新鮮だ。
きっと水族館に彼が立つ様子もさぞ珍しいものだろう。

「傘は要りますかね」
「晴れらしいが」
「じゃあいいか。夕立でも来ない限り」
「……ああ」
「ん? リヴァイさん、天気まで調べてるんですか! へへ!」
「妙な顔してんじゃねえぞ」
「此れは嬉しい顔です!」


――――――――――


「いいなあー! ずるいよ2人ばっかり!!」

声の主はハンジさんだ。
リヴァイさんとの待ち合わせ場所に偶然現れたハンジさんは、途中までの道が同じだということで、私たちと並んで歩きつつ、朝からハイテンションで水族館行きを羨ましがっている。
ハンジさんとリヴァイさんのコントは私のお気に入りなので、暫く傍らでくすくす笑いながら聞いてみる。

「お前には仕事だか趣味だか分かんねえ研究が残ってんだろ」
「リヴァイは冷徹だね! でも確かにね。それさえ無ければ私も行くのに」
「来んな」
「おやリヴァイ、可愛い彼女と2人っきりがいいって?」
「ああそうだ」
「わーお」
「うるせえクソメガネ」
「はいはい、私は研究室で資料とデートするよ。じゃあね、楽しんで」

最後の言葉は私に向かって、ウィンクつきで放られた。
私も飛び切りの笑顔を返す。
ほしつい水族館はもうすぐだ。

「幸先悪いな」

ぼそりと呟くリヴァイさんの腕をぽんぽんと叩く。

「まあまあ、いいじゃないですか! ハンジさんが愉快なのは何時ものことですし」
「あいつだけなら良かったんだがな」
「へ?」

リヴァイさんの目線の先を辿ると、よく見知った後ろ姿があった。
エレンにミカサ、アルミンにジャンとマルコ、それからアニやクリスタたちも見える。

「遠足気分か。あいつら幾つだ」
「みんなで出掛けるって言ってたけど、そうか、ここにしたのかあ」

なるほどと頷いていると、リヴァイさんが黙って私を見ていることに気付く。
ハッとし、慌てて顔の前で手を振る。

「違っ、あの、仲間外れにされたわけじゃないですよ!?」
「そうなのか」
「ちゃんと誘ってもらいましたよ! でも今日はリヴァイさんとデートだからって言ったんです!!」
「……それならいい」

サッサと歩き出すリヴァイさんを追い掛けて、やっと水族館の中へ入るのだった。

入った瞬間、また立ち止まってしまって、やれやれこれでは何時になったら魚を見られることやらと思うのだが、仕方が無い。
可愛いストラップが悪い。

「こ、これ!!!」
「何だ」
「似てる!!!」
「あ?」
「君をリヴァイさんと名付けよう!」

ふわふわのサメのストラップを握り締め、リヴァイさんの溜息を聞きつつレジに向かう。
しかし混雑を上手く抜けられず、苦戦してしまった。
そこで手からストラップがするりと抜き取られる。

「待ってろ」

それだけ言ってリヴァイさんは人が溢れるお土産屋さんを何の問題も無く軽く進んでいくのだった。手の先から覗くサメの目つきがちょっぴり悪くて愛しい。
すぐに戻ってきたリヴァイさんからサメを受け取る。

「ありがとうございます!」
「さっさと買い与えないと館内を回り切れないだろうと思った」
「そっ、そんなことないですよ! さあ行きましょう、はぐれそうなら私の服を掴んでもいいですからね」

誰がはぐれるんだ、と返される前に最初の水槽へと足を踏み出す。
小さくて色とりどりの魚たちへと心を向けたのに、斜め上で

「悪くない」

と聞こえるので、反射的に其方を向く。
そのときには既に私の手の平は彼に掴まれていた。

「えっ」
「服じゃなくてもいいのか」
「あ、えっと、あの、はい、どうぞ……!!!」

残念ながら、帰ってからいくら思い出そうとしても、最初の水槽たちの記憶は全く無いのだった。無論責任はリヴァイさんにある。


――――――――――


そうは言っても、此処はやはり素晴らしい水族館で、途中からは握った手だけでなく、海の仲間たちにもちゃんとときめくことができた。
ひとつひとつの水槽の前へ行き、目を大きく開いて魚を見る。
名前を確かめ、説明を読んで、指先でガラス越しに触れる。
リヴァイさんが其れを幼稚だと言うことは無く、むしろ私よりも熱心に(表情には現れないが)魚を見ていた。

「まるで海の無い世界から来たみたいだな」

その台詞は私でもリヴァイさんでも無い。
何処から聞こえたのだろうと首を伸ばすと、大水槽の方にあの一団がいるのが見えた。
中心でえらく感動しているのはエレンだ。ミカサはエレンを見ているとして、それ以外のみんなも美しく大きな水槽の虜になっているのが見てとれる。
少し離れたところでそれをめんどくさそうに、でも少し嬉しそうに眺めているユミルを見つけて、さっきの言葉は彼女のものだったのかなと思う。

俺はクソしてくるからお前はあいつらと少し話してきたらどうだ、とリヴァイさんに放流された私は、折角なので急いでみんなの元へ向かう。
ほしつい水族館の見どころのひとつである大水槽は、流石の込み具合で進みにくかったものの、クリスタが私を見つけてくれ、ライナーとベルトルトが道を作ってくれたので、なんとか合流することができた。
大興奮そのままのエレンと、それを馬鹿にしながらもエイやサメに目を奪われているジャンを放って、みんなで隅の方へ寄り、少し離れて水槽を眺める。

「でも、本当に海みたいだね」

其れは誰が言ったのだったろう。
私は深く頷いて、リヴァイさんとも是非これを見なくてはと強く思った。


みんなと離れて、彼と合流するべく連絡を取ると、少し離れた深海魚のコーナーにいるという。其処へ向かう道中、とんでもないことに気付いた。
ストラップが無い。
一体何処で落としたのだろう。最後に触れた記憶を辿ろうとしても、リヴァイさんの手ばかりが思い出される。
取り敢えずまだ深海の所にいてと彼に連絡を入れて、館内を探し始めた。暗い色の壁際に沿って、目を凝らして進む。
リヴァイさんが買ってくれた、サメのリヴァイさん。絶対に見つけなくては。


周りの様子がおかしいと察知したのは、それから暫くしてからだ。
妙に静かだ。人がいない。
どうにもおかしな場所だった。水槽は無く、照明も弱い。狭い円形の部屋のようでもある。多分、従業員用の通路から来てしまったのだろうと思い、出口を探した。しかし、ドアが一枚しか見つからない。
しかもそのドアは壁と殆ど一体化している。変な控え室だなと思いながら、もうスタッフの人を見つけてストラップ落ちてませんでしたかと訊こうと決める。
ドアを通り抜けた。
言葉を失う。
その先にも壁があった。
いやきっと関係者以外立ち入り禁止の所なのだろう、容易に人が入ってこないようにしてあるんだ、と思いつつも、どこか納得できない。
そして同時に、どうしてもその壁を抜けた先へ行ってみたくてたまらなくなった。行かねばいけないような気さえした。
そうして3枚の壁を通り抜けたとき、さっと視界が開けた。
思わず目を細める。
庭園だった。陽の光が燦々と降り注いでおり、一面を青々とした草が覆い、周りには柔らかな花をつけた木々が繁っている。
信じられない思いで一歩踏み出したとき、ある木の陰に人が座っているのが見えた。水族館の関係者だろう。引き返すのが良い、と思った瞬間、その人は顔を上げた。

「いらっしゃい」

女神、という言葉が脳裏をかすめる。美しい人だった。
私は静かに近づいていく。

「こんにちは……すみません、ストラップ落ちてませんでしたか」

いきなり訊いてしまった。我ながらなんて唐突なと思うが、言ってしまったものは仕方がない。しかし彼女は特に怪しがる風も疑問を持った風も無く、首を振る。

「此処には無いわ」
「そうですか」
「どんなもの?」
「え? えっと、サメです」
「サメね」

彼女は微笑んで頷く。
もしかして手の平をちょっと揉んで開くとそこからふわふわのぬいぐるみストラップが出てくるのではないかと思ったが、そんなことは無かった。

「サメといえばね。水槽にいるサメのうち、一匹は遠くから来たもので、一匹はここで生まれたものなの」
「そうなんですか」

よく分からないが頷く。後で大水槽を見るときはリヴァイさんに教えてあげよう。

「そして恋人同士なのよ。それについてどう思う?」
「どう、っていうのは……」

突然尋ねられてしまった。
圧迫感は全然無いのだが、如何せん質問が質問だけに口ごもる。どういう意味なのだろう?

「一匹が知っている風景を、もう一匹は知らない。身体や心の何処か遠くに刻まれている筈の様々を、今はもう思い出すことができない」

そこでザッと風が吹いた。
微かに水の匂いがした気がする。外からだろうか、どれかの水槽からだろうか。
全身が濡れる錯覚がある。晴れているというのに。それは夕立のような。

「思い出せないということさえ知らない」

不意に自分の口から零れた言葉に、彼女は瞳をきらりと輝かせた。

「それについて、貴方はどう思う」

リヴァイさんを待たせているな、と心の何処かで思う。
今頃彼は何を考えているだろう。私を探しているだろうか。
恐らく、待ってくれている。ジッと腕組みをして、考え事をしながら、静かに何時までも待ってくれている。

「それでも2人でいたいなら、それが全てじゃないんでしょうか」
「永遠に共有出来なくても?」
「永遠に共有出来なくても。だって今生きていて同じ水槽にいるから」

彼女は少し俯いて、優しく笑った。

「大水槽の前はどうかしら。きっとショーのときに」

一拍置いて、ストラップの話だと分かった私は、彼女が指す方から庭園を抜けた。


――――――――――


今度はすぐに人がたくさんいる水族館内に戻れた。
急いで大水槽の前に到着する。ショーをやっているらしく大混雑だ。下をよく見てじりじりと進んでいると、ちらりとぬいぐるみのようなものが見えた。
駆け寄ったところで、其れは綺麗に隠れる。
ひ、人に踏まれた!
驚いて硬まってしまう。
相手はすぐに気付いたらしく、足を退かして、その高い背を屈め、拾い上げた。
そこで漸く私も「あっ」と声を上げられる。

「  それ!」

彼も驚いたのか一瞬動きを止めたが、すぐに笑顔で差し出してくれた。
彼の手の平に乗っていたのは間違いなくあのサメのリヴァイだった。

「ありがとうございます」

お礼を言ってから、リヴァイさんの元へ戻るために大水槽を離れる。
ふと、サメを拾ってくれた彼の顔を雑誌か何かで見たことがあった気がして振り返ったが、もう人混みに紛れていた。いやまさかモデルや芸能人がこれほど目立つ場所に来る筈は無い。一人頷いて踵を返すと、鼻先がぶつかった。

「あったのか」
胸で私を受け止めたのは言わずと知れたリヴァイさんだ。

「はいっ、ありました! お待たせしてしまってすみません」
「それ程待ってはいない」
「え、でも」

時計を見て、瞬きしてしまう。思っていたよりも随分と早い時間だった。本当にあまり待たせていなかったらしい。

「鳩が豆鉄砲食ったような顔してるが」
「実は、今ほどですね……」

かいつまんで出来事を話してみたものの、自分でも要領を得ていないことは明白で、彼に正しく伝わったのかは微妙なところだった。
それでも、もしかしたら私が出会った女性はほしつい水族館の館長ではないかという話になった。リヴァイさん曰く、この水族館の館長は女であること以外、謎に包まれているらしい。

「真実は分からないですが、そうだったらとっても素敵だから信じておきます!」

高らかに宣言すると、リヴァイさんは珍しく口元を緩めた。

「そうしとけ」

其の後は1日がかりで水族館を見て回った。
大水槽もショーも2人で見ることができたが、あの庭園に続く道はどうにも見つからなかった。


――――――――――


例えば今がエピローグだと言われても、私は疑うことができない。
夕映えの中をリヴァイさんとゆっくり歩いて行く。静かな道は、もうはぐれてしまう心配など何処にも無いというのに、やはり私たちは手を握ったままでいる。

「ああでも、夕立が来るかなあ」

唐突に数日前の話を思い出して空を見上げた。
水の匂いがまだ鼻の奥に残っていて、目を瞑ると頭から爪先まで一瞬でずぶ濡れになるような、そういう酷い雨を描けてしまう。幾つもの粒が空から真っ逆様に落ちてくる音。

「夕立なら大丈夫だ」

思いがけず強い力に、私は視線を彼へと向ける。

「え?」
「夕立なら大丈夫だ」
「どういうことですか? 降らないってこと?」
「夕立が来たなら雨宿りをすればいい。傘を買ってもいい。そうやって避けることができる。だから大丈夫だ」

言い切ったリヴァイさんはそれでどうだと言わんばかりの顔をしていて、思わず吹き出してしまう。
何を笑ってる、と睨まれながら、私は頷いた。

「そうですね。夕立が止んだら外に出ましょう」

僅かに大きくなった彼の瞳の奥に、一瞬、何か重要なことを落としている気がする。
けれども耳の奥で鳴っていた夕立の音が遠くなって、やがて消える。そして二度とは立ち現れない。
そういえば、リヴァイさんが突然水族館に行こうと言った理由を聞いていない。
夕飯のときにでも訊いてみよう。どんな答えが返ってくるだろう。
繋いだ手を宙で揺らしながら、並んで歩いて行く。




企画「星墜」さんへ

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -