「ねぇ、マユリ。」

「何だネ。」

「もし私がいなくなったらどうする?」

「いなくなる予定があるのかネ。」

「無い。」

「ならば考える必要も無いヨ。」

「例えの話でしょうが。」

「下らんことを言っている暇があれば手を動かせ、足を動かせ。お前は私の研究を滞らせるために居るのか?」

「もーっ、嫌味!私は技局の貴重な戦闘員なんですー。」

「フン、そんなに戦いたいなら隣の隊をお薦めするヨ。」

「いや!私は此処でマユリを守りたいんだってば。」

「……大声で恥ずかしい奴だネ。」

「本当のことだもの。」





そんな会話を交わした日を思い出す。
あれはまだマユリがこんなに早く二代目局長になるなんて思ってもみなかった日だ。
今夜、私は、浦原局長を追って現世へ行く。
浦原局長が此処を去ることになった夜、私は局長達とあの場にいた。
彼の機転で上に見つかる前に一旦はその場から逃亡できたのだが、裏切り者のせいで近いうちに私にも追っ手が掛かることは目に見えていた。
其れならばと、先手を打って私はここを自ら去ることにしたのだ。逃げると言っても正しい。浦原局長の元で、自分の出来ることをし、大切な人や大切な世界を守るのだ。


月も無い夜、寝床をそっと抜け出した。
霊圧をマントで消し、技局の廊下を素早く移動する。
そのままのスピードで外まで行くつもりだったのに、止まってしまった。

マユリの部屋の前だ。

途端に衝動が沸き上がる。

マユリに、最後にもう一度だけ会っておきたい。
私の守りたい人、遠く離れても彼の為になることが出来るのならと強い意志を持って決めたことだったはずが、想いが溢れて止まらない。
あの姿を忘れることなんて不可能だけれど、それでも瞼に焼きつけたい。
声を鼓膜に記憶したい。

部屋を開けようと手を伸ばし、下ろした。

駄目だ、そんなことをすれば、今にも小さく萎みそうな決心がますます頼りないものになってしまう。
それにマユリにまで追っ手がかかったらどうする。
浦原局長もひよ里ちゃんもいない。技局を支えていけるのはマユリだけだ。
大丈夫、そんなマユリの迷惑にならず、力になれることをきちんと心に思い描けばいい。彼と離れてもやっていける。

ようやっと心の中で頷き、戸に背を向けた。
歩き出そうとした瞬間、

「こんなところで何をしているんだネ。」

後ろから声がした。

「マユリ…。」

なんで、という疑問の前に名前の方が先に、この唇から零れ落ちた。

「寝ぼけているのか?」

仕方の無い奴だネ、と言いながら髪をかきあげるマユリ。
胸が詰まる。そうなりながら、素顔の方がいくらか表情が読み取り易いな、と心の何処かが冷静に、しかし穏やかに微笑んでいる。

「マユリ…。」
「何度呼ぶんだ。立ったまま私の夢でも見ているのかネ?」

マユリは溜め息を吐いて、私の目線まで屈み込んできた。

言いたい、言えない。

目だけで全てが伝わればいいのにと思った。

「ねぇ、マユリ。」
「さっきから何なんだ。さっさと言い給え。」
「どうして私が来るって分かったの?」
「フン、そんなことか。」
「ねぇ、どうして?」
「さァ、何となく起きたらお前がいたんだヨ。私に会えてお前も嬉しいだろう?」

マユリはいつものように上からの物の言い方で、口の端で笑う。
でも私はいつものように口を尖らせたりしない。
とてもじゃないが、できない。

足を静かに踏み出し、腕をいっぱいに広げて、抱き締めた。

薄い身体。
マユリの匂いを吸い込む。

「……マユリ。ねえ、マユリ。」

暫く棒立ちだったマユリはゆっくりと私の背に手を回す。
そのまま柔らかく丁寧に力を入れられる。

「何があった。」

マユリは私の耳元にポツリと言葉を落としたが、答えは期待していないようだった。
短気な彼にしては珍しい、けれど敏い彼にしては当然の態度だ。
物音1つない。ただ、呼吸に合わせて上下する体を、音のように錯覚する。ずっと消えないで。消さないで。消さない、と強く想う。

抱き着いたときと同じように、唐突に私はマユリから離れる。

「大切な用事があるんだ。だから、そろそろ行くね。」

ねぇ、私は上手く笑えている?
マユリは何も言わず、私の頬に触れた。
目を反らし、背を向け、私は歩き出す。

数歩進んだところで、後ろからまた声を受けた。

「早く帰って来るんだヨ。私をあんまり待たせるんじゃない。」

振り向かずに頷く。
涙が落ちた。

マユリ、会えて嬉しかったよ。




『悲しいうつつ』





「(お前がいなくなったらどうなるか…以前問われたことがあったネ)」

「(そんなこと知りたくもなかったが)」

ぐい、と無造作に目元を拭う。

「(お前がいなくなったら私は泣くのだネ)」





題「トンネル」さんより
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