途方に暮れるとはこういうことだ。
瓦礫がいっぱいの公園で、かろうじて残っているベンチに腰掛ける。
スーツが汚れようが気にしない。というか、もう気にする必要が無い。
だってこれを着て行くべき場所がもう無いんだもの。


どんなに不況だろうと、怪人の数が増えていようと、地道に平凡に生きていくしかないのだと、そしてそう出来る筈だと思っていた。巷で活躍するヒーロー程は強くなれないけれど、それなりに毎日を過ごしていけるだろうと思っていた。
でも実際のところ、思っていたというより、確信していたというのに近いのだろう。
だから、突然自分の街に隕石が降ってくるとなると茫然自失とするし、例えいくつかの傷で済んだとしても会社が潰れればお先真っ暗ともなる。

まだ22歳だった。初出社だった。時に死にそうな思いになりながらこなした就職活動の末に決まった会社だった。
悪いことは重なるもので、新しく引っ越してきた小さなアパートも半壊。折角の家具や漫画もボロボロ。次の引越し先を早く探さなくてはいけなくなった。
2、3日の自宅待機の果てに出社してみると、直接クビとは言われないものの新入社員が働けるような状況ではない、此処にいても苦労をするだけだから他の会社を探すことをお勧めすると説明をされた。
他の人たちだって大変なんだから、という自分への励ましも最早意味をなさなくなった。
まるで私の世界は−5℃下がったかのように暗く寒い。
焦燥感に喪失感に、憤りに切なさ。色んなものが混ぜこぜになって、叫び出してしまう前に、外に出た。気分転換になるのではという最後の希望を振り絞ったのだ。


しかし、あても無く歩く街は、そこら中に隕石の爪跡が残っていて、余計に私を苛立たせる。それから切なくさせる。
それで公園のベンチに座ったのだ。
溜め息を吐いてぼんやり宙を見る。何かを待っているわけではなかった。帰ってしまっても良かったし、電車でもっと遠くへ移動したって良かったのに。
でも、それも、今となっては、待っていたのかも知れないと思う。
不思議な何かが、多分それは私の中にある運命というような何かが、そこで待ってて、と言ったのかも知れない。


大きな声が聞こえて、顔を動かした。
ここから少し先に見える、瓦礫の山の向こうらしい。
誰かを責めているような声。あまり気持ちの良いものではないが、行く当ても無いし、取り合えず其方の様子を見てみることにした。

途中から駆け足になった。会話が聞こえてきたから。
“隕石、インチキ、ヒーロー、破壊、張本人”
瓦礫の山に登って、そこに顔を出して見るまでの間も、ずっと聞こえていた。周りに人が増えているのを横目に、必死に駆け登った。パンプスが引っかかって何度も転びそうになるが、構わなかった。
私のささやかな日常を壊してしまった人が其処にいる。
煤や埃で汚れた顔で覗くと、ヒーローのタンクトップさんたちと、この街に住んでいる人たちと、そして彼がいた。
あの人のせい……?
黄色いスーツに赤い手袋とブーツ、白いマント。綺麗に髪が一本も無い頭。タンクトップさんに物凄い大声を浴びせられているのに、その表情は大きく変わることはなかった。
悪びれることも、臆すこともなく。
ただ、住人のひとりが彼を責める言葉を、戸惑いながらもはっきりと口にしたとき、ほんの少し、彼の目が大きくなったのを見た。
それは「驚き」に「戸惑い」をほんの僅か落としたような顔だった。一瞬のことだったのにそれを見てしまった私は、私の怒りをどうすればいいか、途端に分からなくなる。
周囲に満ち始める「憤り」が私を萎縮させる。
程なく始まった「消えろ」の大合唱の真ん中で、ただ立ち尽くす。
出来ることなら言いたい、私だって彼を責めたい。真実が何か、なんて関係無くて、ただ自分の不幸を悲しみを苦しみを声に出してぶつけたい。
今はもう動かない彼の表情。
私は震える拳を、ゆっくりと掲げ始める。酷く泣きたかった。

しかし、私が声を出す前に、タンクトップさんが動いた。
それからはあっという間で、彼は迷いなく拳を動かし、それから口を開いた。
瓦礫を崩し去るかのような大声が響く。
しかし其の言葉の行く先は、文句を言った人々の胸だ。
まるで透明人間になった気分だった。
私は、タンクトップさんたちのように大声で物申すこともできないし、周囲の人々のように拳を振り上げることも出来ない。
だから彼に怒鳴られることも、そもそもその目に入ることもない。
私は本当に此処に居るんだろうか。
確かに何かを思って悩んで憤って焦って迷っているのに、それを誰にも気づかれないまま、知られないままに生きていくのだろうか。
私は誰だ。彼は誰だ。此処は何処だ。其処は何処だ。

彼の大声に、住人たちは引きの姿勢を見せつつも、次々と文句を投げかける。
そのひとつひとつに、およそ適当で乱暴で力いっぱい、彼は返事をする。
これでは埒が明かないと、1人、また1人と帰っていく。
結局、その問答は、その場に人々がいなくなるまで続けられた。私以外の。
ふう、と彼が人知れず溜め息を吐く。それから瓦礫の山をゆっくりと見渡した。何を思っているのか、分からない。
私は咄嗟に身を小さくして隠れた。
やがて瓦礫の中央から、彼が立ち去る音が聞こえる。
汗ばんだ手のひらを上着に押し付けた。
そろそろと顔を出す。
去って行く背中。翻るマント。
ヒーローとは何だろう。それは必ずしも私を救ってはくれない。見つけてはくれない。
けれども、その背中があまりに大きく見えた。
私は透明なままで生きるには、あまりに様々なことを思いすぎる。考える。誰かのせいにするには、理由が欲しい。あるいは誰のせいにもしないための、力が欲しい。
気づくと無我夢中で瓦礫の山を駆け下りていた。
その音に気づいたのか、彼が此方を振り向く。私はそれに驚いて、躓いた。滑稽な格好で転び、腰を打ちながら滑り落ちる。

「だ、大丈夫か?」
「あの!」

彼の声と私の声がかぶった。気まずい沈黙が一瞬広がるが、踏ん張って立ち上がる。

「つかぬことをお尋ねしますが」
「え、ああ、うん。」
「本当のことを教えてほしいんです。」
「どういうこと?」

彼はきょとんとした顔をする。

「さっき話してた、隕石のこととか、街のこととか、ヒーローのこととかです。」
「ああ、あんたも其の辺にいたのか。」

怒るのではないか、と不意に不安になったが、杞憂だった。
意外にも彼は穏やかな顔をして続ける。

「別に、さっき言った以上でも以下でもねーよ。」
「……。」

あまりにもさっぱりとした答えに、言葉を返せない。
黙ってしまった私を見ながら、彼は頭を掻きながら言う。

「それに、どんなに俺や誰かが語ろうが、本当のことを最後に決めるのはあんただろ。」

そうして「じゃあ」と踵を返す。
その腕をガシィッと掴んだ。

「おわっ。」

深く息を吸って、今ほど彼が私に言った「あんたが決める」ということを胸の中心にしっかりと置いた。
もう言うしかない、大丈夫、言う!

「……確かに、その通りです。では!私が決めるために、本当を判断するためにどうか!あなたの口から事の顛末を!!もっと詳しくお聞かせください!!!」
「えっやだよめんどくさい…。」
「いいえ面倒じゃありません!私にはもう!!!そうするしかないんです!!!!!」
「えっとー…なんかあったの、かな?」
「さんざ苦労して入った会社が入社して一日にして隕石で潰れました」
「……い、いや、でもだからと言ってあんたにだけ優しくするわけには…俺も身体が持たねーっていうか…」
「だぁかぁらぁ話だけでもいいと言っておるんじゃあないですかあああ」

こんなに必死になって他人に泣きつくのは初めてかもしれない。というか、もはや本当に涙目だ。けれども、もう引くわけにはいかない。
かくなる上は土下座だ、と腕を離しかけたところで彼がぐわっと大きな口を開いた。

「だああ分かった分かった!ここじゃなんだから!部屋に!」
「へっ、部屋に!?いきなり!?」
「あっ俺ひとりじゃないから!弟子いるから!」
「あ、そ、そうですか」

お互いに叫んだり慌てたり忙しい。
けれども、まだ本当のことを話してもらっていないというのに、少し気持ちが軽くなっていた。不思議だ。
歩き出した彼に着いて行くと、泣くのはずるいぞ、と口を尖らせて言われてしまった。このような顔もできる人なんだ、と思いながら、素直に謝った。


「お帰りなさい、先生」
「ただいま。」
「えっ!?」

玄関先で大声を上げたのは私だ。彼が「なんだよ」と言うが、なんだよではない。

「だって、鬼サイボーグが、せんせい、って。」

面食らったまま、口の中でもごもご言う。
彼の部屋のドアを開けた先にいたのは人気急上昇中のS級ヒーロー鬼サイボーグだった。
そんな彼が弟子で、よく分からないハゲ頭のこの人が先生?
大混乱の私を一瞥し、鬼サイボーグさんは彼に問う。

「そちらの女性は?」
「おう、えーと…なんて言えばいいんだ?」
「はっ、はじめまして。私は、彼に…えーと…話を、話を聞きたくて来ました。」

そこで私は、彼の名前も聞いていないことに気づく。

「先生のファンか?」
「いえ、そういうわけではないです。」

「即答かよ」と不満気に言う彼の向こうから、鬼サイボーグの冷たい声が飛んでくる。

「くだらんインタビューだったら俺が許さんぞ。」

サイボーグだから無表情しか無いのかと思っていたが、そうでは無かったようだ。
鬼サイボーグさんがクッと眉間に皺を寄せて私を真っ直ぐ睨む。
少し恐い。思わず俯きそうになる。
しかしそこで、私のすぐ近くに立つ彼もまた、此方を見ているのが分かった。
何か言おうとしているのか、何も言わないのか、およそ分からない、ちょっと開いている口。
何を考えているのか、何も考えていないのか、およそ分からない目。
その先に私がいる。確かに映っている。
そうだ、今の私は透明じゃない。

「くだらなくないです!私の今後がかかっているんです!!」

青空から唐突に隕石が降ってくるように、きっと私の人生には、この先も思いもかけないお届けものが贈られるのだろう。
あんまりにも吃驚仰天して立ち止まってしまうのだけれど、深呼吸して周りを見渡してみれば、素敵な小包だって用意されている。例えそれがささやかで飾り気の無いものに見えたっていい。私は何度でも手に取って開いてみたい。どうぞ私が自分の色で生きていく手伝いを、と願いながら。

「おう、上がれよ。ジェノスもそこどいて。」
「お邪魔します。」
「うん。あー、あとさ、サイタマ。」
「え?」
「俺の名前、サイタマだから。」

ブーツを脱ぎながら彼が言う。
鬼サイボーグが「くれぐれも呼び捨てで呼ぶなよ」と恐いままの顔で言うが、私は構わず大きく頷く。

「サイタマ先生!どうぞよろしくお願いします!!」

師弟が一斉に「なんであんたまで先生って言うんだよ。」「おい、サイタマ先生は俺の先生だぞ!」と喋り出す中、私は靴を脱ぎ、玄関に上がる。そしてもう一歩前に踏み出す。



企画「亜跡」さんへ
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -