『瞳に映った色は』




夕立を眺めていると、兵長が来た。

「おい、何をサボっていやがる。」

私はハタキと雑巾を持ったまま、椅子の上に立ったまま、器用に回れ右をし、直立不動になる。
エレンと同い年で、戦いに特化しているわけでもない私が此処にいるのは少しばかりの理由がある。それは幼い頃からの兵長への憧れとか、調査兵団志望とか、酷い怪我とか、リハビリとか、掃除好きとか、色々なことが重なっているのだけど。それはまたのお話。

今はっきりしているのは、リヴァイ班が滞在するこの城で、私は当分お掃除係りをするということ。兵長や皆さんが作戦にだけ集中できるように、家事の全般を頑張ること。
最初は戸惑っていたけれど、今は自分のできることに全力を注ぐしかないし、そうしたいと思えるようになった。
でもそれは慣れたという部分も大きくて、だからちょっと油断が出たのだろう。
兵長はなかなか目敏い。
背筋を伸ばして声を張る。

「すみません!」

その背後で、二階の窓の外は凄い雨で真っ白になっていた。ざあざあという音を背負って、私は兵長と向かい合う。私の格好は上から下までお掃除用で、兵長はいつもの兵団スタイル。
今日は城内で、エレンについての報告や観察、情報交換等が行われていた筈だ。定例会よりもっと小規模で、恐らく殆どハンジさんの趣味なのだろうと思っている。
兵長はすたすたと部屋に入って来て、私の横に立つ。

「夕立か。」
「はい。あんまり凄くて。」
「言い訳すんな。」
「すみません!」

慌てて窓の桟を拭こうとし、「待て、此処に埃が落ちる。」と兵長に言われ、また謝って、はてそれじゃどうしたもんかと手を泳がせた。
兵長はそれきり黙って外を見ている。
椅子の上から見下ろすと、兵長のつむじが見える。兵長は小柄なので別段珍しいものでもないが、それでも真上からこうして見下ろす機会はあまり無いので、よく見る。
ずっと憧れていた彼は、近づいてみると、ペトラさんが言うように驚く部分も少なくなかったけれど、その多くは嬉しい驚きだった。
仏頂面には似合わず意外とギャグ(だと本人は思っているに違いない)を飛ばすことも、絶対にカップを変な持ち方することも、部下を見る眼差しも、いちいち、愛しい。
愛しい?
刈り上げた部分が多少伸びてきているのが分かる。その下の剥き出しのうなじも見え……見えない。いつもの白い布が邪魔だ。ハタキの棒のところをちょっと差し込んで、くいっと広げたい衝動に駆られる。そんなことをすれば私のうなじのが早く削がれることだろうが。

「今度は何を見ている。」

瞬時に目線を窓へ向けるが、兵長の視線が斜め下から痛い。

「え、っと」
「俺を見下ろすのがそんなに楽しかったか。」
「違います!」

それは嫌な誤解だ、と大声で返す。目が合う。アッと思うが、その時には遅くて、私はもう目を逸らすことが出来ない。全ての動きを、息を止めてその奥まで覗くように、じっと見詰める。
兵長の目が好きだ。三白眼も、それを引き立てる眉間の皺も、目尻も、薄っすらとついた隈も、影の落ちる瞼も、兵長の目に付随する全てのものが好きだった。
認めるしかない。きっと私は兵長を残らず愛してしまう。
だからその前に、早く強く良くなって、戦いに行かなくてはいけない。兵長が本当に見ているのは、いつも此処ではない筈だから。ずっと遠くにある筈だから。

「お前は俺を見るのが好きなのか。」

表情を変えずに兵長は言ってのける。
人が決心している側から、何て事を。
私は自分でも可笑しいくらい顔の筋肉を動かしながら、それでも目は逸らせない。
本当は頷きたい。
好きなものを前にして嘘は吐けない。吐いてはいけない。
だってこの世界では、何時が最後だっておかしくないのだから。兵長に限ってはちょっと分からないけれど、少なくとも私にとってはそうだ。
この壁の内側で静かに生きていても、あるとき突然崩されてしまうかも知れない。
せめて本当だけを吐き出して、同じだけ抱いて、いけたらいいなと思う。
けれども、本当は何時だって難しい。

突然ガクンと衝撃が来て心臓が飛び出るかと思った。
兵長が何の前触れもなく、私の立っていた椅子を蹴ったのだった。
私はハタキも雑巾も放り出して、何処かに手を掛けようとするのだが、足の方が上手く機能しなかった。自分で余計に椅子を蹴ってしまう。
思考が止まりかけ、隣から伸びてきた腕に、自分の両腕を伸ばす。

「バランス感覚が悪い。」

私を抱きとめたまま、兵長が言い放つ。
微動だにしない彼に、目を白黒させながら私は大声を上げる。

「その前に言うことがあるでしょうが!なんで突然蹴るんですか!」
「そんなに強くは蹴っていない。勝手に慌てたのは何処のどいつだ。」
「そういう問題では!」

突然に部下のバランス感覚を試さずとも良いだろうに!

「お前こそ、言うことはないのか。」

何を言っているんだこの人は、と見上げると、さっきとは比べ物にならないくらい近い距離に顔があった。

「あっ、すみません!」

慌てて離れようとするが、兵長の腕に力が込められた。
混乱しつつ、何とか抜け出そうともがいたが、全然歯が立たない。さすが人類最強。私の憧れ。そんなことを再確認している場合ではない。
一頻り努力をして、すっかり疲れて、彼を見上げる。
瞳がかち合った。もう一度。私は何度でも息を呑む。
動けないまま奥底を覗く。
きっと兵長は私に何か伝えたいに違いない。
暫く私たちは一言も発しない。
夕立の音がようやく耳に入ってくる頃、私は頷く。

「兵長、ありがとうございます。」

彼が眉を顰めるので、私は続ける。

「私の力が、まだまだ足りないということですね。」

彼の目が少し大きくなる。
兵長はいつだって、今より先を目指している。人類が自由に駆け回れる未来。誰にも行動を縛られない未来。瞳の奥にはきっとそれしか映っていない。
だから兵士として兵長の側にいる私には、傍にいたい私には、強さが要る。
彼はそのことを、その身を持ってして何時だって教えてくれる。

「……お前は、」兵長が私を腕の中に入れたまま、呟く。私は彼に挑戦的な笑顔さえ向けられる。兵長に期待されるのなら、望んでもらえるのなら、まだまだ頑張れる。「馬鹿か。」

えっ、と今度は此方の目が大きくなるが、兵長は私から離れ、すぐに背を向けてしまった。

「へ、兵長?」
「着替えろ。」
「へ?」
「訓練だ。立体機動装置の点検をしておけ。」
「は、はい!」

何だかよく分からないが、兵長直々の訓練は嬉しい。元気よく返事をする。
でもその一方で、少しだけ寂しい気もする。きっと今、ほんの近くにあった温さが離れたからだろう。寒いと寂しいは似ているのだ。(膨れ上がる前に、気持ちをきちんと仕舞わねば)
戸口まで行った兵長が不意に立ち止まり、振り返る。

「夕立が止んでから、外に出ろ。」
「はい!」

大きく頷く。
その途端、不思議な感覚が身体を巡る。
あれ?私は何か大きな勘違いをしている?
けれどもそれが何かは分からない。

夕立が止んでから、外に出ろ。
夕立が止んでから。

兵長の瞳の先を辿ると、其処には私がいて、そしてその背後には未だ白く煙る夕立がある。恐ろしい量の、抗い難い、其れ。
其れが無くなってしまってから?
兵長は私に何を望んでいる?

私たちは飽きもせず見詰め合う。
瞳に映った色は?
未だ答えは無く、そしてそれは私が生きているうちに得られる類のものではないのかも知れない。
ただ、何度も何度も見詰め合う。



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