「いらっしゃ…なんだお前かよ。」

営業スマイルを一瞬にして崩し、彼が椅子にドサリと座った。
私はいつもより軽い鞄をソファにボスリと投げ、そのまま身も沈める。

「酷い言い草ですね、師匠。」
「今日はシフト入れてねーぞ。」
「知ってます。」
「卒業式だったんだろ?」
「まあね」
「サボったのか?」
「いやいや見てくださいよ、この花!卒業証書!」

胸に留められた花を引っ張り、証書の入った筒を振る。
師匠は興味無さげに眉を上げた。

「ふーん」
「おめでとうくらいないのか。」
「だってお前遠くの大学行くんだろ?」

えっ、と声が出そうになるが、その前に師匠は「人手が減って困るんだよ」と続けた。
やっぱり酷い。

「モブ君がまだいるじゃないですか、中学生だし。」
「あいつはいい奴だな。」
「わたしゃ悪い奴か。」
「普通。」
「師匠は悪い男ですね。」
「まあな」

そこで彼は伏し目がちになって、口の端で笑う。
そんなカッコつけたって、全然似合ってない、全っ然。
と、呆れてみようとするが、上手くいかない。中途半端な見た目の師匠は、中途半端にカッコよくて、でも私にとっては大層カッコ良くて、困ってしまう。
はあ、と大袈裟に溜息を吐くことでそんな気持ちを誤魔化すと、師匠が「そういえば」と口を開いた。

「何ですか?」
「あいつはいいのかよ。」
「誰?モブ君?」
「ちげーよ。あいつ。お前の彼氏。いただろ?」
「ああ、別れました。」

さらっと答えると、師匠が椅子からずるっと滑り落ちそうになった。
予想以上に大きなリアクションにこっちもびくっとする。
師匠は目を丸くして素っ頓狂な声を出す。

「えっ、別れたの?」
「うん。」

ええー…と言ったきり師匠が次の言葉を発さないので、これはチャンスか、私の恋の話でもさせてもらおうか、と先に口を開く。

「前の人も今の人もそうだけど、私の理想が」
「え?前?今?」

食い気味に遮られてしまった。どうしたんだ師匠、らしくないですよ。

「いやだから、前別れた彼氏と、今別れた彼氏。」
「おまっ、えっ、待って、まだ彼氏いたの?いつ?えっ」
「あれ?言ってませんでした?」
「言ってねーよ!」
「まあまあ、どっちにしろ今はいませんから。」
「お前なあ、そういうことはちゃんと師匠である俺に……ああもう、いいや。で、理想がなんだって?」

師匠は一人で慌てふためき、呆れ、それから椅子に深く沈んで続きを促す。
様々な表情全部が、客には見せないそれだ。私は小さな満足感を抱えてくすくす笑う。
笑ってんなよ、と師匠が怒った顔をしてみせるので、はいはい、と先を話す。

「私の理想の人っていうのがいて。どうしてもその人と、彼氏を比べちゃうんですよね」
「ふーん」
「興味無い?自分で訊いたくせに。」

顔を窺うと、興味あるって、と先を促される。

「で、理想の奴って?実在の男?」
「そうです。」
「イケメンなの?」
「うーん、普通?」
「あっ、そう。性格は?」
「普通…いやちょっと悪いかな。」
「いいのかよそんなんで。同級生か?」
「年上です。」
「どんくらい」
「十五くらいかなあ」
「はあ?だめだめそんなオッサン。」
「オッサンじゃないですう」
「仕事は?してんだろうな。」
「まあ…自営業っていうか……詐欺紛いの…」
「はああ!?何言ってんだ、どこが理想なんだよ!馬鹿かお前は!」
「待ってください、待ってください、そんなことで好きは測れないんですよ!」
「馬鹿!しっかりしろよ!」

やたらと師匠が必死になる。やはり腐っても師であるらしく、弟子の行く末を心配しているのだろう。

「でも好きなんです。」
「いーや、そりゃ一時の感情だな。」
「違いますよ、もうずっと、出会ったときから好きなんです。」
「騙されてんだ。」
「騙されててもいいんです。」
「どうせたまに会って優しくされてるとかそんなんだろ。」
「そんな酷い言い方!毎日会ってますし、そんな優しくもないですから。」
「まっ、毎日!?お前、毎日ここ来てただろうが!じゃあここ閉めてからか?夜か、夜会ってたのか」

これまた予想以上の師匠の食いつき、しかもどんどんヒートアップしていく。
それにつられて私の声も大きくなる。胸に飾られた花が揺れるのが視界に入る。
例え本人からであろうと、好きな人の悪口というものは気分の良いものでは無い。

「違いますって!!いたって健全に」
「しかも優しくもねーのかよ…許せん…」
「ちょ、聞け!」
「お前が聞け!いいか、そんな詐欺やってるような適当なオッサンに惚れても幸せにはなれない!!」
「ぐっ、う、うるさいですよ!それにあんた何でそんな怒ってんですか!」
「おい、そいつの名前は?住所はどこだ。師匠に言ってみろ。」
「そんなこと言えません!」
「師匠の命令が聞けないのか!」
「くっ…じゃあ、言ったら何とかしてくれますか?」

唇を噛んで、上目で睨むように問う。心のどこかに少し、多分、勝負を賭ける気持ち。
師匠は間髪入れずにばしっと答えた。

「当たり前だろ、この霊幻新隆が責任を持ってお前を幸せにしてやる!」
「師匠です。」
「そうだ。お前の師匠だからな。で、好きな奴はどこのどいつだ。」
「師匠です。」
「それは分かったから」
「師匠です!私の好きな人は師匠なんです!!!」

ばんっと机を叩いて前のめりに叫ぶ。
無言。
その間に師匠の表情がすすすと変化して、目も泳いで、やがてゆっくりと私の顔を見る。

「え…俺?」
「そうです。」
「俺…俺?」
「そうです。」
「ああー……俺」
「そうですってばしつこい師匠!!」
「なるほど。」
「返事は。」
「返事」
「私は!師匠のことが大好きです!師匠は!!私のこと好きですか!!!」

完全に机の上に乗って、師匠の顔目がけて言葉をぶつけた。
多分私の顔は真っ赤だろう、身体がカッカしている。
師匠は先ほどまでとは打って変わり、気圧された様に身を引いていて、目は真ん丸のままだった。
そのまま再び時間が少し止まる。
私は泣きそうになっているのだが、同時にこのままで居られたらいいなとも思う。おかしな掛け合いをして、どきどきして、色んな顔を見て。
卒業なんてせずに、遠くなんて行かずに、今の歳のまま、師匠の所にいる、このまま、このまま。
けれども、そんなわけにはいかないから、こうして勢いそのまま、告白してしまった。
せめて受け取ってはくれないかな。
師匠は動かない。やることはやった。私はそこで、深呼吸し、力を抜く。
答えはもらった。さようなら、だ。
机から降りようと手を動かしたところで、師匠が引いていた身体を戻した。
距離が近くなる。
思わず、今度は私の方が引いてしまいそうになる。
そんな私を、師匠が止める。右の二の腕の辺りを横から掴まれる。
師匠は空いている左手を机に突いて、椅子からはもう立ち上がっている。そして更にこちらへ身を乗り出す。
もっと近くなる。
こんなに真剣な顔の師匠を始めて見た。得意の営業スマイルでも、だるそうな顔でも、ロマンという名の金の為に目をギラギラさせている顔でも無い。
ずっと見ていたいなあと思って、それから師匠の顔がどんなに近くなっても、目を開けていた。
ギリギリのところで「目、閉じろ」と言われ、ハッと気付いて瞑る。

ゆっくり顔が離れて、師匠は席に着いた。
私たちは何とも言い難い表情のまま言葉を発さない。
私はしきりに唇を噛んで、師匠は目を横に泳がせて頭に手をやって、恐らくこれは完全に照れている。

私は師匠からずっと欲しかった1つの答えを貰ったと、言えるのだろうか。
それとも…餞別なのだろうか。

「卒業までは、手を出してはいけないと思った。」

唐突に師匠が言う。
思考停止、ぽかんとしている私を見ずに続ける。

「だから、その、そういうことだ。」

そこで漸く考える力が戻ってくる。

「え、それって」
「そういうことだから!」
「あ、はい!」

押され気味に慌てて返事をする。
あ、どうしよう、勝手に顔がにやけてくる。手で口元を隠した。
そんな私を暫く眺めた後で、ぽつりと彼が言う。

「……たまには顔出せよ。」
「たまに……」

そうか、これからはたまにしか会えないのか。

「ていうか、いっぱい。」

師匠がすぐに言い直す。
私は笑ってしまう。
本当に、今日は笑ったりしょげたりまた笑ったり、なんと忙しい日なんだろう。
全部師匠の所為だ。
だからこそ、ちょっぴり調子に乗ってしまう。

「はい!師匠も遊びに来て下さいね。」
「おう。」
「お土産持ってきて下さいね。」
「おう。」
「一人暮らし、なので。」
「おう。…え!?あっ、そうか、それは…あー、うん。」
「…ふふ」
「…はは」

2人で控えめに笑った。
それから、師匠が椅子から立ち上がり、机をグルリと半周して、私の前に立った。
机に腰掛けたまま、彼と向き合う。
今度はどちらも引いていない、良い距離。
師匠は一つ咳払いをする。

「卒業おめでとう。」
「ありがとうございます。」

もう一歩師匠が近づいて少しかがんでくれて、私は座ったまま彼の首へ腕を回す。
今度は上手いところで目を瞑った。





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