良くないな、と思った。思ったときにはもう遅く、右腕から先の感覚が無かった。舌打ち。痛みだけはある。酷いものだ。
目の前の敵が、俺の姿を見て高笑いしていた。勝利を確信したのだろう。俺は歪んだ顔をそのままにして、けれども相手の意に反して立っている。足元に落ちた右手から銃を外し、左手で取り上げる。そこで相手の表情が変わる。
貴様何故倒れん、というような台詞が聞かれる。
面倒なので、一言で返す。
慣れた。
何だってそうだ。これ以上は無いというほどの、そう、死ぬほどの痛みも、永遠ほどの孤独も、慣れていってしまう。それが人間からの脱却かどうかは分からない。そして考える必要も無い。

けれども、本当は、倒れない理由はそれとは違うのだけれど。

俺はヒーローとして生きている。それこそがたった一つの理由で、意味だ。


最近ここらで問題になっていた怪人たちを無事に(と言っても足と手をもがれたが)倒し、振り返って、助けた筈の女を見た。
バッタリと倒れている。仰向けに伸びている。
おい、待て。嘘だろ。
捕まる直前に介入できたと思ったが、どこか攻撃されていたのか?
走り寄った。片腕がまだ無いので抱き上げることも出来ない。肩の辺りを掴んで揺する。

「おい、大丈夫か! 返事しろ!」

女はゆっくりと目を開けた。安堵の溜息が出た。

「……君?」

溜息が途中で止まって、吸うことも忘れて、また死ぬかと思った。
間違いなく俺の名前を呼んだ女は、俺の無い方の腕を見て、再び漫画のように白目を向いて意識を失った。どうやらグロテスクな光景の所為で倒れてしまっていたらしい…というか、つまり、俺の所為か?
嗚呼。
相変わらず、そういうのに弱いんだな。
知らずに笑んでいた。俺よりも一回りほど歳を取った彼女は、間違いなく幼馴染みだった。
俺がまだゾンビマンで無い頃の。どこまでも馬鹿みたいに気の抜けた、皮肉な、それでいてぴったりのヒーローネームに、別の笑みが浮かびそうになる。



私が目を開けたとき、まだ太陽は真上より少し傾いたくらいだった。
ということは、気を失っていたのはせいぜい1、2時間だろう。
それでも会社の使いとしては余りに時間を食い過ぎだけど。
そこまで考えて、いやいや、と思い直す。それどころでは無かった筈だ。近道しようと公園を横切る途中で、怪人に捕まって、脅されて、それでヒーローが助けに来てくれて…ん?それにしても枕が固い…

「よう。気分はどうだ?」
「!!!」

横になっていた体を捻ると、男の見下ろす顔が見えた。
そして、私の頭の下には彼の膝がある。
飛び起きた。

「おいおい、お前…」
「ごめっ、なさっ、ありが、とっ、うわっ、」

突然立ち上がったからか、頭がくらくらする。口から大量の音が流れ出すものの、上手く言葉にならない。
どうやら、公園のベンチで、彼の膝を借りて寝ていたらしい。ばさりと足元にロングコートが落ちて、彼がそれを私の体に掛けていてくれたことが分かる。慌てて拾い上げて、彼に差し出した。微かに煙草の香りがする。

「いや、もう少し羽織ってろ。」
「いいです、いいです!」
「羽織ってろって。」

彼が立ち上がって、私からコートを取ると、腕を回してばさりと掛けた。
顔が寄せられて、思わず身を固くする。

「服、破けてるから」

えっ、と確認すると、なるほどこれまた盛大に破かれたものだ。多分如何わしいタイプの怪人だったのだろう(そんな怪人いるのかは知らない)。恥ずかしさにまた倒れそうになりながら、今度は静かにコートの前を合わせた。ばれぬよう深呼吸。顔を上げる。

「すみません、ありがとうござ…」

彼の顔を直視して、一瞬息が止まる。
短い黒髪。丁度良い体躯に丁度良い筋肉。通った鼻筋。目の形。
本当に?
彼は私の幼馴染みだった。けれども今は、私より一回り以上若い姿でいる。目も鮮やかな赤で、肌は青白い。
黙ってしまった私を見て、彼は苦笑した。
その笑い方は変わらない。
そうだ、小さい頃から貴方は私よりずっと大人っぽかった。

「久しぶりだな。」

声を聞くと懐かしさに涙が出そうになって、ただ頷いた。



今、俺はいくつかの袋を提げて彼女の横を歩いている。袋の中身は彼女と俺の破れた服、それと新品の女物が少し。ショッピングセンターの陽気な音楽がBGMだ。
彼女は既に破けたそれから、買ったばかりの洋服に着替えている。俺は俺で、彼女が選んだシャツとパンツ。コートも無い。
普段の殺伐とした生活を思うと、夢じゃないかと思うが、現実だ。
彼女が俺の顔を下から覗き込んだ。

「本当に良かったの?買ってもらっちゃって」
「気にすんな。さっきも言ったが、金には困ってないんだ。」
「そうか。ありがとう。…でも、そんなにお金持ちには見えなかったからさ。」
「失礼な奴だな。」
「服も、ロングコートって。季節外れ、ボロになってたし。」
「うるさい…と言いたいところだが、俺もそう思う。」

素直に言うと、彼女は、あははと笑った。
笑うなよ、と言いながら悪い気持ちはしない。

「でも、今はちょっと良いかも。」
「何がだ?」
「似合ってる、そういう服。」
「選んだのはお前だけどな。」
「そうね、自画自賛。」
「調子に乗るな。」
「ごめんごめん。」

笑顔で謝りながら、俺の手に手を伸ばすので、驚くが、自然な動作で袋を取られた。

「じゃあ、せめて、半分こで持ちましょう。」

動揺を気取られなければいいが、と思いながら頭を掻いた。
幼い頃から、彼女とは一緒にいた。お互いに周りを気にしない性質だったのだろう、成長するにつれて距離を置いてしまうということも無く、会いたくなれば会い、話したいことを話した。多分、この先も同じような関係が続くと信じていた。
俺が66号になり、不死身の体を手にしてしまうまでは。

買い物をしながら彼女と話したのは、主に最近の話で、あのとき俺に何があったかという話や、それから彼女がどう生きてきたのかという話はしなかった。
それを話すことは、きっと空しいことだろうと思っていたので、都合が良かった。
もう二度と戻れないのなら、無かったかのように振舞った方がまだマシだ。死んだ振りと少し似ているかも知れない、と心の何処かで思う。
目の前で彼女が仕事の話や友人の話をし、どのように生きているかを話す。
俺もヒーローとしての話をする。綺麗な部分だけを彼女に。彼女の生の一端をまるで担っているかのように。少し恥ずかしいことだが、もう二度とは会わないのだろうと思うと、そうせずには居られなかった。目を瞑ろう。



本当は訊きたかったし、急に姿を消したことを責める言葉の一つ二つだって放りたかった。
そうできなかったのは、幼馴染みだった筈の彼が、見たことのない笑顔を見せるからだった。
さっきの苦笑に、懐かしさを覚えた筈だったのに、この短時間で彼の笑みを見る度に、違和感が募った。
諦め。
歳を取った私へか、それとも彼自身へかは分からない。
どちらにしろ、それは私の心を少しずつ抉る。彼が突然消息を絶ってから、もう二度と会えないのじゃないかと何度も思った。思って、思って、諦めていた。大人にならなくちゃと自分に言い聞かせていた。
でも、今、此処に居る。二人で並んで話している。いつもしていたように。ずっと夢見ていたように。
だから貴方も。
その一言がどうしても言えないのは、私が大人という呪縛を自らに掛けてしまったからだろうか。あの頃よりもハリの無くなった手の甲が目に入る。目を瞑る。

「腹減らないか?」

彼はいつもそうだった。さり気無く先回りして手を差し出してくれるような。
言われてから気づく。今にもなりそうなお腹に手を当てる。

「うん、お腹減った。」
「どっか入るか。何食いたい?」

うーん、と考える。
ランチには到底向いていない、いつもならとても言わないであろう食べ物の名前を口にしたのは、何故だろう。それが地域の雑誌に隠れた名店として載っていたような気がする。



「たこ焼き」

目を丸くした。俺の記憶では彼女が特別にたこ焼き好き、ということは無かった。
一応確認する。

「たこ焼き…でいいのか?」
「うん。ここら辺で有名なお店ってあるかな。」

首を傾げる動作が、今もよく似合う。などと考えている場合ではなかった。

「あー…そうだな…」
「あ、知ってる?」
「まあ、知ってると言えば…」

ジーナス博士のたこ焼き店。
確かに味は悪く無い。
けれども出来れば行きたくない、行きたくない、が…

「嬉しい!私、こんなにたこ焼き食べたいって思ったことないよ!」

おなかへったなあ、と子どもの様にはしゃぎ始めた彼女に、止めようとは言えなかった。
普段それほど自己主張してくるわけではないのに、何故か俺が振り回される形に、そういえば昔もよくなっていた、と思うと可笑しかった。



彼が連れて行ってくれたたこ焼き屋は、私が思っていたよりもこじんまりとしていて、平日の昼過ぎということもあってか、他に客はいなかった。
店主は若く格好良く賢そうな青年で、彼とは知り合いのようだった。
話を聞くのも失礼かと、少し離れる。
途中、店主が私の方をちらりと見て彼に笑って何か言ったり、彼が懐から銃を取り出したりするのが目に入ったが、多分彼らなりの陽気なやり取りなのだろう。

戻って来た彼の手には熱々のたこ焼きが二人前あった。
受け取って、早速口へ運ぶ。

「熱っ!」

予想以上に焼き立てだったらしい、爪楊枝ごと口から零れる。
もう小さい子どもでも無いのに、恥ずかしい、と思うと同時に、彼がそれに向かって手を差し出していた。

「おっと。」
「えっ…」

熱いよ!?と言いたい口を噤む。
彼はまるで熱さを感じないかのように手の平で小さな食べ物を受け止めていた。

もしかして、気のせいでは無いかと、そんなわけないのに、思おうとしていた。
あのとき、私が気絶する前。腕や足を失っても尚、私の前に立っていた彼の姿を。
そして今、もう同じ色では無くなった目や、肌を。
変わらない姿を。

一瞬間があって、彼は手の平からたこ焼きをパクッと食べる。

「俺の、1つ食っていいから。」

また、あの笑みだ。
さっきよりずっと強い諦め。
彼が、手を洗ってくると席を立つのをただ見送った。



水貸せ、と店内に入ったときに協会から連絡が来た。
災害レベル鬼。また七面倒なのが、最悪のときに。今日は厄日か。
いや、と頭を振る。
そんな訳が無いだろう。彼女に会えた。もう一度、時間を共に過ごせた。ずっと夢見ていたように。
この先の果てしない死と生を、きっとそれで過ごして行ける。
それをジーナス博士の開いた店で思うのも、この上無く皮肉なことだが、皮肉にはもう慣れている。彼を許すことは無いだろうが、俺には時間が与えられ過ぎた。憎しみはゆっくりと薄れていく。ヒーローを続けているからかも知れない、どうしても人間を憎み抜くことを忘れていってしまう。

「行くのか…ゾンビマン。」

博士が俺を裏口に導きながら、ヒーローネームで呼ぶ。
俺は彼の背に向かって笑むことすら出来る。

「ああ。…あいつには、適当に言っておいてくれ。」

開けられたドアから外に出る。其処には街が在り、多くの人が行き交っている。家が在り、数え切れない程の生活が続いている。
その為にきっと俺はまた何度も手や足やその他諸々を失い、命を落とす。
それで良い。その中に彼女も在る。どうか、俺が死ぬまで。

夕陽に全身を照らされながら、俺は微笑んだまま、歩き出した。





『ヒーローの悪癖』


人々の生命を助けます
誰かが困っていると放っておけません
大切な人を、守り続けます

命を懸けて






ある日、彼は驚く。
彼を庇って一人の女が飛び出し、その身を貫かれたことに。
倒れた彼女を今度こそ抱き上げ、困惑と後悔の中で、彼は恐らく、涙を流す。
彼女は彼と同じ程の歳の女性だ。この間会ったときよりも何故一回りばかり若返っているのか、今の彼に考える余地は無い。

彼女が目を開ける。
彼の思考は止まる。
彼女は立ち上がり、敵を倒し、彼に向かい合う。

「博士さんに全部聞いた!それで、私も身体、変えてもらっちゃった。」

唖然とする彼に、彼女は微笑んで言葉を続ける。

「だから……ずっと一緒に居ても、いいかな」

ヒーローネームはゾンビウーマンがいいんだけど、という言葉が終わるか否かで、彼は彼女を抱き締める。






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