びっくりするくらい、時間がゆっくりになった。

放り出された海の中。
枷が重くてブクブク沈む。
かいてもかいても、増す息苦しさ。
ドボンと大きな音がした。
信じられない彼の姿。

エース。

死にそうな顔をしてエースは、まともに動かない筈の腕を、此方に伸ばそうとした。
馬鹿、馬鹿、貴方って人はいつもそう!!!
苦しさを忘れて、私も彼に向かって目一杯指を伸ばす。
しかし少しも触れ合わない。

ギュッと一度唇を噛んだエースは、一瞬固く目を瞑り、パッと開いた。
彼の口が動く。ゴボリと音を立てて水泡が上っていく。
びっくりするくらい、時間がゆっくりになった。


「す き だ」


確かに届いた言葉。
優しい瞳。
私の肺には空気や水や何かが詰まって息が全く出来なくなった。



2番隊員のみんなの助けで、甲板に引っ張り上げられた私は、彼らに支えられながら、盛大に咳き込んだ。
咳き込みながらも、同じく引き上げられた筈の彼の姿を探す。

エース、エース。

見つけた。
と、思ったそのとき、彼と目が合った。
瞬間、彼が全身に力を入れ、立ち上がった。
甲板の上を転がるように、いや、実際足を縺(もつ)れさせ、前のめりになり、床を手と足で押して、出来得る限りの速さで、彼は私の元へ駆けて来る。
そうして、勢いそのままに、私を抱き締めた。
「無事で良かった!!」
彼の剥き出しの腕や胸が、私の身体を強く圧迫する。
しかしそれは先程までわたしを捉えていた海水とは全く違う、優しい重さ。愛しい苦しさ。
身体の表面から、彼の体温が染み込んでくる。
彼に触れるといつもそうだ。この熱に、皮膚も血管も内蔵も、飲まれてしまいたい、飲んでしまいたいと思う。
実際、きっと、そうなのだ。
少なくとも、心は、そうだ。
一頻(しき)り私を締め上げた後で、エースは少し身体の距離を離した。
そうして呟いた。
「お前が生きてて、本当に良かった。」
彼の指先が、右の頬に触れる。
私の冷えた肌に、彼の指が熱い。
それは確かに愛の感覚で、まるで極上のキスをされたようだと思った。








『いつもわたしを満たしてしまうね』








その後、彼はティーチを追う為に、船から離れることとなる。
怒りで瞳をギラつかせた彼は、誰の制止も聞かない。
いつもそうだ。
エースは自分の信じる道から逸れることが出来ない。
例えそれで自身が危険に晒されようと、取り返しのつかない事態に繋がると予想出来ようと、エースは突き進む。
エースと離れ離れになることは怖かったが、後先考えずに進むことはエースをエースたらしめる一つの要因だったし、私は彼が好きだった。
それに。

「終わったらすぐ戻る!」

その大声と共に、私に一瞬向けられた瞳は、あの日、水中で見たのと同じ。
エースが、己の中に私を置いてくれている。
こんなに幸せなことはない。

「エース、待ってる!私、待ってるから!!」

そう、だから、今私が泣いているのは、幸せだからに違いない。
この頬に流れた涙は、エースが帰って来たら、唇で拭ってもらおうと思った。
そうして今度は私が、わたしもすきだ、と口移しで伝えよう。
この愛しい気持ちで、彼を満たしてしまおう。
私がそうしてもらったように。

エース、待ってる。私、ずっと待ってるから。



(了)



100819 企画「ほっぺにちゅう」さんへ提出
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