私の背後に佇むのは、世界で一番好きな人。


「こんなとこに居やがったのか。」


晋助は、本当にここぞという時のタイミングが抜群にいい。


私が傷ついて傷ついてどうしようもなくなって、もう終わりにしよう、その決意をする直前に、私の心を引き戻しに来る。


今もそう。


それが悔しい。


いつも冷たくあしらわれて、今日は置き去りにまでされて、私がどんな思いで。


そこに思いを廻らせる風でもなく、平然として、今もそうして後に立っている。



迎えに来てくれたのだろうが、何だか無性に腹立たしくなった。




「…晋助。舟、なくなってたけど?」


私はゆっくり振り返って、彼を見た。


蛇の目をさして、視線の先に佇む晋助。


「鼠がいやがったから、移動させた。」


鼠、とは警邏人のこと。


例えそうだったとしても、一言あってもいいのではないか。


「おいてかれたと思った。」


「…おいてってねェだろ。」


「舟を移動させたなんて聞いてない。」


「……だから今言ったろーが。いいから早く戻れ。」


晋助の周りの空気が張り詰めたのがわかった。


無駄な問答にすぐ苛立つのは、いつもの事。


けれど、今は私だって腹が立っている。


引き下がるのは御免だ。


晋助に一言謝らせたい。




私は唇を引き結んで、精一杯の抗議の目で晋助を見据えた。


「---晋助がごめんって言ってくれたら、帰る。」


「…餓鬼かよ。」



晋助はまるで取り合ってくれず、吐き捨てるように言った。



着いて来いとでも言うふうに、踵を返す。


「---言う事聴いてくれないなら帰らない!」


私は晋助の背中に怒鳴った。


晋助の足が止まる。


だが振り返ってはくれない。


それでも、私は続ける。


「…晋助は私の事どう思ってるか答えて。」



「…くだらねェ事言ってねぇで、早く来いや。」


晋助の低い声が険を含む。


---ここいらで引き下がるべきなのは判っている。


だが、引き下がれない。


「……答えてくれたら、帰る。」

我ながら、何と馬鹿馬鹿しい意地を張ってるのかと思った。


この状況で問うには、愚かな問いだ。





「…チッ、そうかよ。」



案の定。



好きにしろ、と晋助は私をおいて歩き出した。




「---晋、っ……、」


完璧に怒らせてしまったと、はっとした。



途端に、後悔の念が押し寄せる。




晋助が私を迎えに来ただけでも、普段の彼からは考えられない事だ。


それを、感謝すべきだった。



あの蛇の目も、舟に置いてあったもの。


つまり、彼は一度舟に戻って、私の為に傘を持って迎えに来てくれたという事だ。






(…晋助…、)



先程は惨めさに泣いて、今度は悲しくて涙が出て来た。


それでも、最後の意地が邪魔をして、晋助を追い掛ける事ができない。


離れて行く彼の背中を目で追いながら、しゃくりあげそうになるのを必死でこらえる。





すると。



晋助の足が、ぴたりと止まった。







「---来いや、さくら。」


そう一言、彼は振り返らずに言った。





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