「晋助さまーっ、」

さくらは高杉晋助の名を呼びながら、舟の中を目的の場所へ向かって一直線に突き進む。

高杉を捜しているわけではない。

彼の居場所は判っている。

自室とは別の、総督専用の個室にいる筈だ。

だが、敢えて名前を呼び付けてやらないと気が済まない。


「晋助さま!」


目的の部屋の前に辿り着くと、さくらは入室の了承も得ずに扉を勢いよく開け放った。

数奇屋のような造りの、こじんまりとした和室。

部屋の主である高杉の気質のせいか、無駄な調度品は一切無く、清潔に保たれたその室内は、換えたばかりの畳のイグサの香りがする。


高杉は、突然の来訪者に驚く様子など何処にも無く、片膝を立てて窓枠によりかかった姿勢で、煙管を蒸していた。


「晋助様ってば、」

さくらはズカズカと高杉の傍へ歩み寄る。

彼女が来たとわかっているくせに、高杉は相変わらず虚空へ向けた視線を動かさない。

しかし、そんな彼の所作は毎度の事、取るに足らない。

それ以上に、さくらは彼に対して立腹している事があった。

それは…、

「晋助様、あたしの買っておいたアイス、食べたでしょう!」

そう、立腹の理由は、楽しみにしていたアイスを彼に食べられてしまった事に起因する。

さくらがずい、と詰め寄ると、高杉はようやく彼女に視線を向けた。

「…それでその剣幕か、」

低い声で言い、呆れた、という風に煙を吐き出す。

「…剣幕、って…、」

「暑ィから食っちまった。」

涼を得る為だけに食したが、大して満足しなかった、そんな物言いをする高杉。

それを聞いて、さくらは思いきり嘆息する。

「だったら氷とか食べてればいいのに。
あたしがどんな気持ちでいるかなんて、晋助様にはわからないんだ。」

そう、高杉にはわからない。

さくらの憤りがどこにあるか。

確かに、アイスは大好きで、それを無断で食べられてしまった事には腹が立つ。

けれど、実のところ、そこは大して問題ではない。

一番の原因は-----、

「夜に夏祭りに行けるって言ってたのに行けなくなるし。楽しみがなーんにもなくなりました。」

そう、立腹の原因は、夏祭りに行けなくなったという、そこにあった。


高杉一派は過激派攘夷志士として手配され、気軽に市中を闊歩できない。

だから、お遊び気分で江戸に降りて夏祭りに出掛けるなんて、おいそれと出来ないのはさくらも承知している。

しかしそんな中にあって、高杉はさくらを夏祭りへ連れて行くと約束してくれた。

それはとてつもなく嬉しい事で、彼女の期待は際限無く膨らんだ。


ところが、それが当日直前になって中止となってしまったのだ。

予想以上に警邏の隊士が多く、また他にも諸々の事情があり、高杉が危険と判断したからだ。

結果に関して述べるなら、無念といったらない。

頭で理屈を理解していても、気持ちがついて来ないのが、実際のところ。


だからそれが、どんな些細な事象であっても許容できなくなる程に、さくらを苛立たせるのだった。

理不尽とわかっていても、そのぶつける先を高杉にしてしまう。


「…事情が事情だ。仕方あるめェ。」

さくらの顔を一瞥して、高杉は面倒そうに吐き捨てる。

「……(そんな態度で言わなくても)、」

高杉の投げやりな様子に、さくらの怒りは再燃してしまう。

ここで少しでも、残念だというような素振りでも見せてくれれば、怒りも穏やかになるというのに。

まぁ、それを高杉に期待するのは間違っているのかもしれないが。


-----事情が事情、そんな事は十二分に理解している。

けれど、高杉と夏祭りへ行って、一般人と同様に出店を渡り歩いて、最後に花火を見て、舟へ戻る途中のコンビニでアイスを買って、そんなふうに二人で一緒に歩いて…。

それらを思い描いて期待していただけに、それがなくなった落胆といい、裏切られた感といい、この掻き乱されるような苛々はやる方ない。



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