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結局。
それから先生は、あたしに何かしらちょっかいを出しながら、バイトが終わる夕方近くまで居座っていたのだった。
ホールを忙しく動き回りながら、たまに遠目に先生を見てみると、真剣な顔をしてパソコンのキーを叩いていたりして。
あたしと目が合うと、いつものゆるい感じに表情を崩すのだけれど。
そしてそんな時、先生の唇は声にならない言葉を紡いでくれたりした。
『が・ん・ば・れ』
口パクでそう言って、口の端を少し上げて微笑む。
あたしと先生にだけ分かる暗号みたい。
「ふふっ。」
つい、笑みが零れた。
先生は昨日、出張の課題がどうのって言っていたから、多分その為にパソコンとにらめっこしているのだろう。
少し遠い目をしてタバコを吸い、時折参考書を捲りながらカタカタとキーを打ち込んでいる先生の表情は、やっぱり大人の男の人。
余計な事さえ言わなければ、それなりに素敵に見えるのに。
勿体ないね、先生。
太陽が傾き始めた頃。
「---さくら。そろそろ行くわ。おあいそで。」
食器を下げに厨房へ戻る途中、先生のテーブルの横を通った際に呼び止められた。
「おあいそ、て。居酒屋じゃないって。」
思わず吹き出す。
「オトナはそう言うんだよ。」
「聞いたことないし。」
冗談を言い合いながら、先生をレジまで誘導した。
何だかんだで、今日のバイトの時間はいつもより楽しく過ごせた気がする。
少なくとも、先生が居てちょっかいを出してくれたお陰で、そっちに気が向いて元彼の事を思い出して悲しくなる事は無かった。
あたしが怒ってむくれても何しても、先生は嫌な顔一つしないでいてくれて。
それは、感謝してもいいかな。
「そういえば先生、出張って今日、大丈夫だったの?」
もう、夕方なのに。
レジを打ちながら尋ねると、先生は頭を掻きながら答えた。
「や、今日からだと勘違いしててよ。講義は明日からなんだわ。」
「バカだねー。」
笑いながら、はい、とレシートと釣銭を渡す。
「でも、先生が居てくれたお陰でなかなか楽しかったよ。ありがと。」
お陰で、孤独を再認識して悲しくなるような誕生日にはならなかったから。
素直にお礼を言った。
「出張、気をつけていってらっしゃい。頑張って来てね、先生。」
そんなあたしの態度が予想外だったのか、先生はちょっと意外そうな顔した。
けれど、すぐにフッと微笑って、
「あぁ。さくらもな、あんま無理すんなよ。じゃーな。」
あたしの髪をくしゃっと撫で、店を出て行った。
ウィンドウから夕日が射しこんで、先生をオレンジ色に染めていた。
あたしの髪をなでた先生の顔は、昨日教室で見た時と同じ。
優しい顔。
先生の背中を見送りながら、少しだけ、さびしいと感じた。
何に対してそう感じたのかは、自分でもよく分からなかったけれど。
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