「せっかく来たのに、何も言ってくれないんですか?薄情な教え子ですねぇ。」 「…、え…、」 そんな事を言われても---。 もう二度と見る事はできないと思っていたのに、こうして再び拝す師の顔はどうしようもなく優しく。 高杉は胸が詰まる思いだった。 言葉なんて、何も浮かばない。 ---いや、本当は伝えたい言葉はたくさんある。 伝えたくて、伝えたくて、伝えたくて。 自分の時間が止まってしまったあの日から、どれほどの想いを抱えて来たか知れない。 けれど。 言えるはずがない。 言っていいはずがない。 「…晋助」 ただじっと、こらえるようにしてそこを動こうとしない高杉に、松陽は微笑む。 「来なさい、晋助。」 高杉は小さく首を振った。 「…先生…、俺は…」 あなたに触れていいはずがない。 もう俺の手は汚れ過ぎました。 本当は、あなたの志を護りたかったんです。 ただひたすらに。 それが俺の生きる道だった。 けれど、あなたを失って、苦しくて悲しくて辛くてどうしようもなくて。 あの日、俺の世界は壊れて無くなった。 それなのに、この魂の器は朽ちる事なく貴方のいない世界に留まった。 許せなかったんです。 あなたを奪ったこの世界が。 許せなかったんです。 あなたを奪ったこの世界で、何事もなかったかのように流れる時間が。 許せなかったんです。 そんな世界で、この志の下に生きる事も死ぬ事もできなくなった自分が。 だから、壊そうと思ったんです。 ---あなたがそれを知ったら、嘆くのは解っていながら。 「…俺が今、何と呼ばれているか、ご存知ですか…?」 破壊主義者。 あなたの志を護り続けた、あなたの教え子だった自分はもういないんです。 あなたの遺志さえ継げずに、今は真逆の生き方をしている。 ---あぁ、どうか軽蔑の眼差しを向けないで。 「何だ、そんなことですか。勿論知っていますよ。 私はあなたの師ですよ、教え子の事も分からないでどうするっていうんです。 知っていますとも、全部、全部。」 「…!」 高杉は、師の顔を振り仰ぐ。 松陽は尚も高杉に手を差し伸べた。 「なら、私が許しましょう。 ね、晋助。」 「…え…、」 「あなたはあなたの心の為に生きた。 充分苦しんで来たでしょう。だから、世界があなたを憎んでも、私は晋助を許します。 それならいいんじゃないですか? その手が汚れたというなら、洗い流せばいいじゃないですか。汚れが落ちるまで。 後悔すると思うなら、それが苦しいと思うなら、その時は途中で辞めたっていい。 あなたの下に集う者の顔をよく見た事はありますか? 誰一人として、あなたを否定したりはしていないでしょう。 あなたはあなたの志を貫きなさい。 あなたの心は昔のまま今もあり続けているでしょう、晋助。 こうして、今の今まで私を慕ってくれているのだから。 苦悩するなら、やり方を変えてみればいい。 生きてさえいれば、手遅れだった、なんてことはないんです。 やり直す事も、新しく始める事も、償う事も、何だってできる。 …私はね、晋助。 お前がこうして皆と生きてくれている事が一番嬉しいんです。 どんな生き方をして来たとしても、お前は私の大切な教え子に変わりはないんですから。」 高杉は、松陽先生の手を取る。 「…松陽、先生ぇ…っ、」 堪える事なんてできるはずがなかった。 堰を切ったように、双眸から涙が溢れ出る。 辰馬も、ヅラも、銀時もいるのに、彼らに見られる事もおかまいなしに泣いた。 心の中の箍が外れたような思いだった。 「…強がりなところも変わってないですね、晋助は。」 しゃくり上げる高杉の背中を、松陽は優しくさする。 俺は、この世界が許せなかった。 けれど、俺は 許されたかった。 なぜ、大切なこの人を護れなかったのか、と。 なぜその志を継がぬ、と。 咎を背負い続け生を全うするしかないのだと。 ---だから俺は、 許されたかったんだ。 「ほれ、銀時。」 「わぁーったから押すな!」 ややして、辰馬に背中を押されながら、銀時が部屋に入って来る。 ヅラが半ベソなのも、高杉が子供みたいに泣いたのも、全部見ていた。 目の前には、心から尊敬し、大切だった師が立っている。 灰色だった世界に鮮やかな色と、確かな温もりを与えてくれた、大好きな人。 大好きで、大切で、人生の生きる術、理由、目標、それら全てだった。 「やっと来ましたね、銀時。」 「……あ、あぁ…。」 にこりと微笑まれ、ぎこちなく頷く。 銀時に場所を譲るように、桂がゆっくり先生から離れた。 「…抜かれちゃいましたね、」 「…え?」 「背。銀時に抜かれちゃいました。あんなに小さくてやんちゃだったのに。」 「…あ、あぁ、…」 どうすればいいのかわからなくて、相変わらずぎこちない返事を返す。 「空いてますよ。」 「え?」 「小太郎が空けてくれた、ここ。」 そう言って、松陽は、高杉を撫でている左手はそのままに、右の懐を手を上げて示した。 「銀時も来なさい。」 「……、」 来なさいなんて言われて、素直に飛び込める性格ではない。 あぁ、どうして素直になれない。 先生、先生、先生。 俺は--- 「ほら、銀時。 …あぁ、あれですか、昔みたいにおんぶがいいですか。全く困った子ですね。いいですよ、さぁ。」 「言ってないですから!」 結局、松陽の抱擁を受ける事なくその場を逃れた銀時。 呆れたように肩を竦めて微笑む師が居間に入って行く姿を、先ほどと変わらず立ち尽くしたまま見送る。 その後ろ姿も、昔と変わらず広くて優しくて、あたたかくて。 懐かしさに思わず目を細めた。 高杉が、ここ数年見せた事がないような嬉しそうな顔をして、松陽と言葉を交わしながらその後を追う。 この時ばかりは、体面かなぐり捨てて先生の胸で泣きじゃくって、今は気兼ねなく話し掛ける事がてきている高杉がうらやましかった。 「……はぁ、」 ため息をついて、自分も居間に向かう。 (しょーまっこと素直でないのー) 先生、松陽先生。 俺が伝えたいのは二つだけ。 大好きです。 ありがとう。 そんな銀時の気持ちもお見通しの松陽は、後からこっそり時間を作った。 銀時は、何も言葉にできなかったけれど、その優しくあたたかい師の肩を、今度こそは素直に借りた。 (つづく) |