COLORSサンプル | ナノ

 【サンプル】*本編は縦書きとなります。


「痛っ……!」
頭に走った突然の痛み。
ほんの一束髪の毛が引っ張られたことで頭の表面がズキズキして、一方向へと人の流れる駅のホームで思わず立ち止まる。
一体何事かと引かれた方向を振り返れば、視界映ったのは視界いっぱいの灰色。
焦点が合わない程近いアーガイル柄のカーディガンと淡いチェックのワイシャツに数秒思考が止まる。
ようやくそれが男性の胸元なのだと気付き、驚いて咄嗟に離れようと一歩下がった瞬間再び頭に痛みが走った。
「ちょっと動かないでもらえますか、今外しますから」
「え……?」
抑揚のない落ち着いた声が真上から降ってきて、もう一度ゆっくりと頭を上げる。
ぶつかりそうな程間近に立っていたのは、細められた瞳が印象的な長身の青年だった。
時刻は夕方六時を少し過ぎた頃。
降車した人達は皆慌ただしい足音と共に去って、がらんとしたホームに向かい合ったまま直立している私と目の前の彼。
胸ポケットから携帯を取り出した彼の年頃は恐らく私と同じくらいか少し年上だろうか。
取り出されたオフホワイトの携帯を見て状況を理解する。
どうやら私の髪の毛と彼の携帯についたストラップが絡まってしまったようだ。
「あ……、ごめんなさい。引っかかってしまったんですね」
この場合どちらが悪いというわけでもないとは思いつつも、つい反射的に謝ってしまう。
「いえ。……随分しっかり絡んでますね、ちょっとすぐには外れそうに無いので切ります」
「……え、切り…?」
一瞬何を言われたのか分からずに聞き返したけれど、彼は何も言わずに自分の鞄の中から小さなハサミを取り出した。
そのハサミは普通の紙を切るものとは違って、先の細いニッパーのような形をしている。
なんでそんなものを持っているのだろう、なんて考えて、そんなことをのんきに考えている場合じゃないことに気付いた。
「あ、あの、ちょっ―…!」
「危ないですからじっとしててもらえませんか」
言い方こそ丁寧だが、声に抑揚がないせいかどこか威圧的に聞こえてむっとしてしまう。
それに急いでいるのか知らないけれど、女性の髪を何の断りもなしに切るなんて非常識甚だしい。  
もう一度今度は強く抗議しようとした時、パチン、と小さな音がホームに響いた。
ふと頭が軽くなったことに驚いて勢いよく見上げると、間近で私を見下ろしていたのは紫水晶のように澄んだ瞳で。
一瞬大きく見開かれたその瞳の深い紫色に、ドクンとひとつだけ強く鼓動が脈打った。
「……これ、処分してもらって構いませんので。それじゃ失礼します」
「え、あ……」
すっと細められた瞳に我に返った私に、半分押し付けるように渡されたのは繊細なビーズ細工のストラップ。
体の大きな彼の趣味としてはちょっと意外なそれに顔を上げれば、もうその姿はいつの間にかまた混雑していた人の波に紛れてしまっていた。
彼が迷わず切ったのは私の髪ではなくストラップの紐の方で。
失礼な人だと決めつけた上にお礼を言うこともできなかった自分が恥ずかしかった。
手のひらでキラリと光るビーズをもう一度眺める。
(綺麗……)
白を基調とした淡いモノトーン色のスワロフスキーで紡がれたそれは、今まで見てきたどのビーズ細工よりもデザインが好みだった。
感情の乏しい口調なのにどこか柔らかな声。
細められた瞳の奥にあった深い紫水晶。
容姿に似合わない繊細なビーズ細工。
そして、ほんの数分の間にこんなにも強い印象を残して去って行った彼。
ストラップの金具に引っかかった髪の毛がするりと抜けた後も、私はその場をなかなか動くことができなかった。


           ◇


三月の始め。
手袋をしないとまだ指先が悴んでしまうけれど、もう身を切られるような寒さは緩んで来ていた。
凛と澄んだ夜気に吐き出す息は白く溶けて、急いで帰らなければと歩みを速める。
春季休業に入ってから始めたアルバイト先が家から遠いため、週に数回はこうして帰りが遅くなってしまう。
年頃の娘が夜遅くまで出歩くなんて体裁が悪い、なんてお父様にまた小言を言われてしまうだろうか。そんなことを考えると自然と足が重く感じる。
しかし、それもあと二週間程の辛抱だ。
(そういえば買い物行かなきゃ……)
スケジュールを確認しようとコートのポケットから携帯を探すと、チャリ、と指先に当たった覚えのない感触。
何だろう?とそれを取り出してみると、街灯の光をキラリと反射したのは透明なスワロフスキー。
夕刻の出来事を思い出して、ふと頬が緩んだ。
「これ、どこで売っているのかしら……」
青白いライトにかざすように持ち上げてみる。
決して無骨過ぎない、けれど男性物だと分かるストラップは凝り過ぎたデザインというわけじゃないのに、さらりと使われた色や石の並びのセンスが抜群で。
こんなに自分の好みど真ん中なものも珍しい。
もし、彼にもう一度会えたらどこで買ったのか聞いてみたい。
そう考えると自分でも驚くくらいに胸が高鳴った。

「おい」
「―っ!」
突然後ろからかけられた声に思わずストラップを落としそうになる。
「驚きすぎだろ……というか何やってんだお前。こんな時間にひとりでガッツポーズしてニヤニヤして、怖いぞ」
「理一郎……ガッツポーズしてたわけじゃないわよ」
跳ねあがった脈拍を整えながら見慣れた顔をじろりと睨む。
不審過ぎてあと一歩で通報するとこだった、なんて口が減らない彼は、物心ついた時から傍にいることが当たり前だった幼馴染。
かっちりした濃紺のコートを綺麗に着てコツコツと靴を鳴らす姿は見た目良く、大学に上がってからは雰囲気もぐっと大人びたと思う。
「お前随分遅いな、バイト帰りか?一応女なんだからちょっと考えたほうがいいぞ」
口を開けば昔と何も変わっていないけれど。
「一応は余計だし、ここからはちょっと遠いけど来月からのことを考えてバイト先決めたのよ」
「あぁ……」
得心がいった、というように頷いた理一郎の銅色の目がふわりと細められた。
「いつ、だっけ?」
「再来週の土曜日よ」
「そっか、早いな……」
「……ええ」
私の小さな相槌は、理一郎には届かなかったかもしれない。
自然と肩を並べて歩き出した夜道。
何年も見てきた風景が何だか酷く愛おしく感じる。
再来週、私は生まれ育った家を出ることになっていた。

四月からお父様が仕事の都合で海外に赴任すると決まったのは去年の冬のこと。
詳しいことはよく知らないが、事業拡大の為、国外の子会社を軌道に乗せることが目的だとか。
何年間滞在することになるか分からないからと、本来ならばお母様同様私も一緒にという話だった。
しかし今の大学に通ってもう三年目になる私は、渋るお父様を説得して一人日本に残ることに決めた。
大学生になったあたりからやたらと過保護になってきたお父様はもちろん私の一人暮らしを認めるわけはなくて。
古くから付き合いのあるお父様の友人宅へと、この春からお世話になることが決まっていたのだ。
「ずっとお隣さんだったから寂しいわね」
「海外に行くわけでもなし、大袈裟なんだよ。せいぜい電車で二時間弱ってとこだろ?」
「もう…、本当に可愛くないわね」
お互いどこか喧嘩腰の言葉の応酬はいつも通り。
こうして理一郎と他愛ない会話をする機会もあと何度あるのだろうか。
そんな感傷的なことを考えいたら気付けばもう私の家の前で。
ほんの数メートル先の距離なのに、理一郎はいつも自分の家を通り過ぎて私を送ってくれる。
本当に何年経っても変わらない幼馴染に笑みが零れた。
「おじさんの友人の家って、あのHANABUSAなんだよな?確かお前と同じくらいの兄弟がいただろ」
「ええ、初等部の頃、時々お父様に連れられて向こうのお家で遊んだわ」
「ああ、そういやお前いっつも疲れて帰ってきてたよな」
懐かしい。
彼らと最後に会ったのはいつだっただろうか。
底抜けに明るい兄と、その兄を盲信しつつも毒舌の減らない弟。
あれから十年が経った今ではぼんやりとした記憶しか残っていないけれど。
(そういえば……)
ふと思い出だした記憶を追っていると、頭にポンと軽い衝撃が降る。
まるで子供にするように私の頭を撫でた理一郎が、やはり子供に言うように。
「ま、たまには帰ってこいよ。話しくらいならいつでも聞いてやるから」
なんて、何だかんだ言って結局は私を甘やかす理一郎に、笑って頷いた。

お父様の小言をさらりと受け流して、私は部屋へと急ぐ。
机の引き出しを開けて十センチ四方程の小さな木箱を取り出した。
もともと紅茶が入っていたその箱の蓋をそっと持ち上げれば、中にあるのは白い綿にふわりと置かれた華奢なビーズのストラップ。
ローズピンクのガラスパールが紡ぐ五枚の花弁に、淡かった記憶の欠片が少しずつ色を取り戻していく気がした。
(これ、円が作ってくれたのよね……)
兄である央以外の事には全く興味のなかった円が、十年前私にくれたストラップ。
貰った経緯は細かく覚えていないけれど、凄く驚いたことと、とても嬉しかったことは忘れていない。
紐やテグスが痛んでしまって泣く泣く外したけれど、ずっと大切に使っていた。
優しくて懐かしい思い出に心が温かくなる。
今頃どうしているのだろうか。
私よりひとつ年下で、お兄ちゃんが大好きだったあの大きな瞳の少年は。
そっと持ち上げれば、しゃらりと綺麗な音を立てたビーズ。
何度か直してみようと考えたけれど、下手に触って壊してしまうのが怖くてできなかった。
「少し、ビーズアクセサリーの勉強してみようかしら……」
ぽつり呟いた言葉は、星の疎らな春の夜空に混じって消えた。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -