kiss【終夜の場合】
麗らかな春の日。
薄桃色の桜の花びらがひらりと舞って落ちる。
「ねぇ、終夜……。一体何をしているの?」
お弁当を持って花見がしたい、そう言った彼と来た公園。
自動販売機でお茶を買って、芝生にひいたビニールシートへ戻ってくると、
終夜が小さくしゃがみ込んで一点を見つめていた。
せっかくひいたビニールシートをすっかりめくり、じっと地面を見つめている。
「む…、蟻を観察していたのだ。」
「あり………。」
終夜の行動が突発的かつ奇怪であることは、流石に長い付き合いで十分に分かっていた。
それでも難解な彼の行動には、思わずがくりと肩を落としてしまう。
「シートがめちゃくちゃじゃない…、これじゃお弁当食べられないでしょう?
ほら、端っこ持って。」
「いや、その必要はない。撫子、荷物をまとめて私の家へ行くぞ。」
「え??ど、どうしたの、急に……。」
ぼんやりと蟻を眺めていたかと思うと、突然テキパキ荷物を片付け始めた彼に、
私は何が何だか理解ができずに戸惑ってしまう。
終夜は手早くまとめた荷物を肩にかけると、
唖然と立ち尽くしていた私の両手のペットボトルをさっと取り上げ、
手を掴んで足早に歩き出した。
はっと我に返った私は、手を引かれたまま不満の声を上げる。
「ちょ、ちょっと終夜っ!?」
「さ、今のうちに早く!」
(一体何なのよ??)
お弁当持ってお花見がしたいと言い出したのは彼の方だというのに。
頭の中が疑問符だらけのまましばらく歩いていると、頬に何かが当たった。
ぽつりと落ちてきたのは、少し大きな雨粒。
「しまった、間に合わなんだか……!」
怪訝そうにそう言った終夜は、私の手をしっかりと引いたまま街中を走った。
「……今日は終日晴れるって言っていたのに。」
終夜のマンションに着いた頃にはすっかりびしょ濡れになってしまい、
当たらなかった天気予報を恨んだ。
「まぁ、そうむくれるな。また後日出かければ良かろう。」
ふわりとほほ笑みながら、終夜は私の頭を優しくタオルで拭いてくれる。
(子供じゃないんだから、自分でできるのに。)
そう思いながらも彼の手は気持ちよくて、つい身を任せてしまう。
フワフワのタオルから、洗剤の香りに混じって終夜の匂いがして、
心地よさにうっとりと眼を閉じて酔いしれていると、
不意に体の平衡感覚がなくなった。
驚いて目を見開くと、私は彼にいわゆるお姫様抱っこをされている状態で、
とっさに身体を捩ってしまう。
「こら、撫子、暴れるでない。落としてしまうぞ。」
「何してるのよ、いきなり!!」
恥ずかしくて顔に血液が集中する。
私の抗議の声もおかまいなしに、終夜は私の身体をベッドへと横たわらせた。
この人は、どうしてこう毎回毎回突然なのだろう。
そんな考えが頭を過ったけれど、触れた唇の熱さに一瞬で思考は止まった。
彼の体温は人より少し低く、触れる頬や手はいつもひんやりと冷たいのに、
唇だけは驚くほど熱い。
啄ばむような、まるで小鳥みたいなキスを顔中に振らせる。
触れる唇が、笑みを形どっているのが分かって、
なんだか無性に恥ずかしくなった。
「……なんで笑ってるのよ。」
ちょっとむっとした顔を作ってそう言うと、終夜の笑みは一層深くなる。
「大人しく接吻を受けるそなたが、あまりに可愛いらしくてな。」
不可抗力なのだ、そう言って、またたくさんのキスを落とし始めた。
いつまでも、いつまでも余す所無く口づけられて、
終夜の熱が私の皮膚を透してじわりと浸みこんでくる。
私と終夜の温度が同じになった頃、
きっと彼は幸せそうに顔を綻ばせるのだろう。
その笑顔を想像して、早く終夜のそんな笑顔が見たくて、
私は彼の頭をそっと引き寄せた。