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希望の先を照らすのは

彼女を元の世界に帰してからもうすぐ一か月。
僕と円は政府の拠点からできるだけ遠く離れた場所へと移り、今は仲間を増やしながら徐々に組織を広げる努力をしている。
かなり大きな事件を起こしてしまったのだ。政府は僕たちを相当マークしているのだろう、なかなか思い通りに動くことはできない。
それでもこの世界が少しでも明るい方向へ向かえるように、希望を失った人々が僅かでも前を向いてくれるように。
そう願って円や両親と行動を共にする日々は、とても充実していると言えるだろう。

けれど、気になることがひとつ。
時々円が朝食の席でぼんやりしていることがある。
幼い頃から寝起きの悪い僕と違って、円は朝の強い子だったから、何か理由があることは明白だった。

その理由は、きっと……。



「悪い夢でも見た?」
「……はい?」

卵のカラを割る音が、家具の少ない部屋に響く。
何の前触れも無い僕の問いかけに、円は眠たげに細められていた目をぱちりと開いた。

「なんですか唐突に」
「唐突じゃないよ。時々円、朝ぼーっとしてるから……夢見でも悪いのかなーって思ってたんだ」
「……」

ふと視線を泳がせた、見かけのわりに嘘の下手な弟に苦笑する。
僕の推測が正しいことと、その夢の内容が言いにくいものであることは今の円を見れば一目瞭然だ。
黙っている円を急かしたくないから、僕は何も言わずにただ朝食の用意を続ける。
トマトとベーコンのスクランブルエッグに、オニオンスープとクルミ入りのロールパン。
こっそりと円の好きな卵料理にしたのは、少しでも心を開いてくれればと思ってのこと。
円は、あんまり僕に弱みを見せてくれないから。
顔色の良くない円の為に入れたノンカフェインのルイボスティーを、カップにできるだけゆっくりと注いだ。


「悪い夢、というよりもこの場合は良い夢と言ったほうが正しいんだと思います」

円がやっと口を開いたのは、すっかり朝食を食べ終えた頃だった。
お茶のおかわりを飲みながら彼は続ける。

「目が覚めた彼女と政府で過ごした時間なんて、わずか数か月程度なんですよね」
「……ずっと意識が無かったって言ってたもんね」
「ええ。そして僕が政府から逃げ出して、彼女と想いが通じてからはたった三日間」

なのに、と円は細く息を吐いてから口元を緩ませた。

「自分でも呆れるくらい穏やかで平和な夢を見るんです。撫子さんと本当にくだらない言い争いをして喧嘩したり、仲直りして笑い合ったり。買い物をしたり料理をしたり……それこそこの世界の中だったり正常な世界でのことだったり」
「円……」
「あの人を元の世界に帰したことを後悔してるわけじゃないんですよ。けど、目が覚めた時に少しだけ気が滅入るんですよね……情けないことですが」

はは、と乾いた笑いを見せた円。それは彼にとって本当に、本当に残酷な夢だった。
後悔は無いという言葉は、きっと彼の本心で……けれど彼女が傍にいない事実が辛くない筈は無いから。
あの時僕は、円と彼女が決めたことならば口を出さずにただ応援しようと決めた。
だからこそ、ずっと円に聞きたくても聞けなかったことがあった。

「ねぇ円。彼女の身体を政府に置いてきて、本当に良かったの?」

それは簡単なことじゃないのは分かっている。
二人に聞いた話しはとても複雑で理解し難くて、同じ体に違う意識を転送しただなんて夢みたいな事実。
今この世界にいる彼女は、円と恋をした彼女とは別の人物なのだから。
でもそんなに単純に割り切れることじゃないでしょ?
だってやっぱり、撫子ちゃんは撫子ちゃんなんだから……。

「……正直迷いました。けれどあの人の身体にはまだ、政府の科学力が必要なんですよ」
「彼女があの場所にいたら、また同じことが起きるんじゃない?」
「いえ、意識の転送はもう二度としないと思います。あれは転送後の身体にかなりの負担をかけるので、そう何度もやり直すことはできません。リスクが高すぎるんです。彼女が成功したこと自体が奇跡に近いんですよ」
「…………」

簡単なことじゃないのは分かっている。
でも、でもね、円。
僕はどうしても彼女にはおまえのそばに居て欲しいと思ってしまうんだ。
必ずおまえの助けになってくれると確信しているから。

「……ぼくを心配してくれているんですね、央」
「……当たり前だろ、家族なんだから」

幼い頃、僕は円の歪みに気付いてやれなかった。
いや、きっと気付いていたけれど、あの時の未熟な自分ではどうしたらいいのか分からなかったんだ。
今はもうお互い何もできなかった子供じゃない。
誰からも頼られるヒーローにはなれなくても、たった一人の弟を助けてやれるくらいは大人になったつもりだから。

「今政府にいる彼女は、ぼくの好きになったひとじゃありません。……でもきっとまた惹かれるんでしょうね、彼女はきっとどんな時も、どの世界でも変わらないから」
「円は、撫子ちゃんが目を覚ますって信じてるんだね……」

ええ、と穏やかに笑った顔は、ひとを愛する大人の男の顔だった。
家族にさえ上手に心が開けなかった円が……と、ほんの少しだけ彼女に嫉妬した自分自身に呆れてしまう。

「ぼくはもうあのひとから何も奪いたくない。今もし彼女が目覚めてこの世界を見たら、絶対に悲しむでしょう? だからぼくはこの世界を変えたい。撫子さんが笑っていられる世界にしたい」

それは円が初めて口にした、本当の願い。

「その為になら、何だってできる気がするんです。央、あなたと一緒に」

そう笑った円は、この暗い世界の中で酷く眩しく見えた。


ねぇ、撫子ちゃん。
君に弟のそばに居て欲しいという気持ちは変わらないし、これからも諦めたりしない。
キングや円が何て言おうと攫ってでも君を説得するよ。

でも、もし再び君に会うことができたなら……まず一番に心からお礼が言いたい。
どんな形であっても、君の存在は僕たち兄弟の光だ。

2015/04/23 21:48

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