屋上に足を踏み入れるのは、珍しいことじゃなかった。光のお気に入りが屋上だってことを知っていたから。わたしは彼に会いたくて、よく屋上に行っていたから。最近彼の様子がおかしいことをわたしは知っていた。なんとなく情緒不安定で、機嫌が悪くて、大好きなテニスをしていても、顔は不躾なままであることを、わたしは気づいていた。廊下でたまたま、光の担任が光を探しているのを知った。進路希望書をまだ出していないらしい。わたしはきっと彼は屋上にいるだろうとなんとなく思った。屋上までの階段を上るのは嫌いだった。光がいるかと思うと、胸が苦しくて苦しくて、しょうがなかった。わたしはいつも光に苦しめられてる、でも、でも、今日もわたしは階段を上ってる。光の中毒にかかっている。光がいないとダメになっている。一時の甘さを引き換えに苦しみを甘受する。でも、彼は、わたしがいなくても。


「光」


名前を呼んでも返事はなかった。彼が素直に返事なんかするわけないってわかってたから、別に期待損なんかじゃなかったけど。でもきっと、あの子だったら、きっと、返事、するんだろう。胸が痛んだ。


「ひかる」


貯水タンクの物陰から影が見えた。わたしはそっと、静かに近づいて、貯水タンクの陰から覗いた。光だった。


「返事しなよ」
「……だるい」
「そっか」
「なんでおるん」
「先生が探してたよって、言おうと思って」
「ふーん」
「……いつからここにいるの?」
「朝」
「授業……でなよ」
「気分やない」


ひかる、どうしたの。どうして君は最近ずっと、ここで一人なの。あの子はどうしたの。あの子が、今度はずっと、君の隣にいるんじゃなかったの。聞けない。聞きたいけど、怖い。聞くのは怖い。わたしは彼の隣に体育座りをして座った。彼は貯水タンクに背中を預けて、腕をぶら下げて目を閉じていた。何を考えているんだろう。何を想ってるんだろう。聞いてもいい?聞いちゃダメ。光の全てが理解ればいいのに。そしたら、彼の望むこと、全部してあげられる。彼の悲しみを取り除く方法が、わかるかもしれない。


「……別れた」
「……?」
「別れたん、俺、アイツと」
「……いつ」
「一週間ちょっと前」


光はそっと目を開けた。伏せた睫毛がとても綺麗。わたしはそんな彼を、瞠目して、見つめた。へぇ、別れたんだ。そんな言葉しか浮かばない。酷く冷たい言葉しか今は言えない気がする。……光、わたしは嬉しいよ、嬉しい。やっとようやく君はまた、誰のものでもなくなったんだね。わたしはずっと望んでたの。だから、同情なんてしてやらない。慰めてなんかやらない。残念だったなんて、微塵も思っていないのだから。『もっと良い人が見つかるよ』なんて常套句を口に紡げるほどわたしはわたしができてない。あなたの悲しみを取り除いてあげたい。でもあなたが幸せになるのも嫌。わたしは、あなたに選んでほしい。けどあなたはわたしを選びはしない。わたしはどうしたら報われるの。ただ、優しいだけの女なんて、「女」じゃないのよ。わたしは「女」でありたいのに。あなたにだけ。


「……なんて言えばいい?」
「さぁ」
「……泣いてもいいよ?」
「お前でも、バカ、言うんやな」
「知らなかった?」
「おん」


光は結局泣かなかったけど。でも代わりにわたしの肩に頭を預けてはきた。……ね、わたしって、なんなんだろうね。こういうときにだけ甘えてくる彼はずるい。そして、手が、少しずつ、カーディガンの裾に伸びてる。わかる。そういう空気、だんだんわかるようになってきた。寂しさを埋めるため、なんて、もう珍しいことじゃなくなった。彼は寂しくて、わたしは彼が欲しくて欲しくて。プラスマイナスを考えたらきっとすごくマイナスなんだと思う。彼はまた寂しさを埋める別の愛しい誰かができて、わたしなんか相手にしなくなってしまう。そしてまた独りになったときに、わたしは彼の女と女のつなぎ目として。



(都合、の、いい、女なんだ、ろう、な)



朦朧とする意識の中で、無我夢中で、彼の首筋に歯を立てた。苦いよ。








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