惜春

式典も終わり、互いの別れの挨拶も終え、人もだんだんとまばらになっていくその中で、ロッカーに置きっぱなしだった教科書の存在を思い出して教室に向かった。3階の教室へと向かうその途中で、仁王はわたしの目の前にひょっこり現れた。「何しに行くんじゃ」「……忘れ物取りに」「わしも行く」仁王はにやりと笑ってわたしの隣に立った。「卒業式にいなかったでしょ」「よくわかったのう。証書授与は代表が受け取るから、バレんとおもっとった」その銀色のきらきらした髪の毛が目立たないわけがない。細くて流線を描く綺麗な髪。人を惹きつけて離さない。そのくせして彼は誰にも捕まえられない。



「あったあった教科書」
「………おーい、これ見てみんしゃい」
「……?」

仁王が手招きする教室の前方の黒板に向かう。彼の指をさすところには、黒板に置き去りにされた、少し汚い『すきだ』の文字があった。

「……」
「……」
「……あいあい傘をさしてあげてくなるよね」
「……おまんの考えてることはよくわからんぜよ」

すきだ、この言葉は誰に、何に向けて伝えたかったのだろう。行き場の無い、すき、の言葉を、想いを残して、この言葉の主はこの学校を卒業する。私たちも含めて。

いつか思い出は風化する。愛しかったものさえも、時が経てば、環境が変われば、自分も変わっていけば、忘れていくのは仕方の無いことで、それを留める術などない。

「……行こうか、仁王」

この言葉の主は、そんないつか忘れてしまうかもしれない想いを、せめて言葉に記すことで残したかったのだろうか。跡にして、黒板に書いた文字なんてすぐに消されてしまうけど、それでも、この高校で過ごした様々な思い出と共につめ込んで、伝えられなかった胸がきゅうきゅうしまる、そんな苦しい想いと一緒に置いていって、新しいスタートをきって。

わたしは置いていけない。置いていく勇気がない。仁王を、忘れたく、ない。
仁王もわたしを忘れて欲しくない。覚えておいて欲しい。わたしをいつまでも風化させないでおいてほしい。けれどそれは無理だ。ずっと、わたしが仁王の近くにいない限り。けれどそれは叶わない。私たちは今日卒業する。


「―――待ちんしゃい」


仁王が立ち去ろうとするわたしの腕を掴んで向き直らせた。仁王の表情からは何も読み取れない。いつもわたしはこの人がわからなかった。誰よりもわからなかった。それだからこそ知りたくて、近づきたくて、わかりたかった。

「わしは、誰も愛さん」
「……うん、知ってる、よ」

そんなことは知っている。よく。この3年間色んなものを見た。知った。聞いた。仁王のこと。好きになった。そして知った。仁王の生き方、考え方、そしてわたしは、わたしの恋が叶わないことだけを理解した。
この3年間を、不毛な、意味の無かったものだったとは思いたくない。苦しかったけれど大切な想いだった。だけど、この想いさえも、この黒板の文字ように、消えてなくなってしまうのだろうか。いつか。

「だけどの」
「……」
「おまんが………」
「……」
「………おまんが、わしの、初めてになってくれんか」
「………え………?」

仁王の顔が初めて歪んだ。眉を寄せ上げ、目を細ませ、潤ませ、唇を噛み締めて。は、じ、め、て、だ。わたしが彼を知ってから幾つかの季節が過ぎていった日々の中で初めて彼はわたしの前で顔を歪めた。わたしの知らない仁王がここにいる。

「おまんを、愛、したい。それで、あ、いして、ほしい、俺は、おまんが、」

わたしは勢いよく仁王の胸に飛び込んだ。「……人の話は最後まで聞かんか……」呆れたように仁王が言うけれど、わたしは更にしがみつく腕に力を込めた。仁王の腕もわたしを抱き締める。
好きだよ仁王。消えない。この気持ちも今の言葉もずっと続いていく。風化などしない。あなたがわたしを、わたしがあなたを想い続けることができるなら。

2012/02/27/Mon

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