溺れてチェリー
常にクラスの中心で人気者である彼。体育祭や文化祭ではその燃えたぎる魂を遺憾無く発揮し、クラスをひとつにまとめあげてしまう天賦の才の持ち主。テスト前には何をどう間違えたのかテスト範囲外の勉強をして枕元を涙で濡らすことになることがしょっちゅうなおっちょこちょい。つぶらな瞳は飼育小屋のうさぎのようだと女子問わず男子にまで愛でられる。
真田くんは本当にすてきな人。わたしが学習係で運んでいた教材をなだれのように落としてしまった時は三秒と待たずに現れて拾うのを助けてくれたし、クラスで飼ってるうさぎの飼育当番をしていてつい帰りが遅くなってしまった時は、たまたまクラスに残っていた真田くんが家まで送ってくれたし。真田くんはとてもいい人で、わたしはとても彼を尊敬している。
「……真田くん!」
「おお!まだ学校にいたでござるか」
廊下の曲がり角を曲がった時、そこにいたのは真田くんだった。剣道部の袴を着ていて、いつもと違う格好に胸が高鳴る。可愛い『可愛いうさぎちゃん』の真田くんもやっぱり男の子なんだと。
「先生たちの明日の会議資料のホチキス止め頼まれてて」
「む!またでござるか。先生はそなたを良いように使いすぎだ。某が手伝えればよかったのだが……」
「ううん!わたしこういうぼそぼそとした雑用好きだからいいの」
ありがとう真田くんと笑うと、真田くんは少し照れたように笑い返してくれた。真田くんが笑ってくれるのはとてもうれしい。心が暖かくなって、それが体中をぽかぽかにして、だけど……ちょっとだけきゅんって胸が絞まるように苦しくて。……この『きゅん』って胸の痛みのわけはまだよくわからないんだけど、でもこの胸の痛みごと、わたしは真田くんの笑顔を見るのは大好きだ。
「もう帰りでござるか?」
「うん」
「某も一緒に帰ってもよいか?」
「あれ?部活は?」
「今日は自主練で、某だけだったから。帰る相手がいなく寂しかったのだ」
「そうなの、うん、いいよ」
真田くんは「早速着替えて参る!」と飛び出したが、数メートル先で急ブレーキをかけ振り返ると、「下駄箱で待っていてくだされー!」と意気揚々と手を振った。
真田くんはとことんできるひとらしい。
「車、危ないでござるよ」
「あ、う、うん」
道路側は某が歩くでござる、と真田くんはすっと体を差し出した。な、なんて紳士なんだろう……!こんな細かい気配りまでできるだなんて。わたしはどぎまぎする胸を押さえて、真田くんの顔を見遣った。ななめうえにある真田くんの顔。凛々しくて涼しげで素敵な。そしてわたしと頭一個分違う真田くんの身長。……『うさぎちゃん』な彼ばかり見ていたわたしにはまだ彼の知らない所がたくさんあって……さっきから連発される不意打ちに少し困る。と、次に真田くんは「両手に荷物じゃ重いでござろう。某が持とうか」と優しく提案してくれた。今日は金曜日だから、持って帰るものが多いのだけれど、それにさえ気付くなんて。
「大丈夫、ありがとう……」
「……?どうしたのだ?」
「うん……真田くんはすごいね」
「何がでござるか?」
「誰かが困ってるのをみたらすぐ助けてくれるし、優しいし、気遣い屋さんだし」
「はぁ…」
「今だって……だからすごいなって思っ……真田くん……?」
彼の歩き進めていた足が急に止まってしまった。少し難しそうに、そして、戸惑うように、彼は顔を曇らせた。笑顔が急に無くなってしまって、わたしは急に怖くなった。
「本当に、某が、誰にでもそのようなことをすると思うのか?」
「……?」
「某がそなたにしたことすべて、某の『純粋』な『親切』から来るものと思うのか?」
「……?あの、どういう……」
真田くんは不意にわたしの手を掴んだ。繋いだ手が大きい。男らしく骨張った手だ。その手はわたしの手を軽く持ち上げ、目を閉じた彼の渇いた唇に当てた。わたしの手に微かに彼の呼吸がかかる。――くるしい。
「某は少々『わかりやすい』らしいのだがな」
再び開かれ向けられた瞳がゆらゆらと揺らいでる。その揺らぎを捕らえた時に、わたしはわたしの抱えていた感情の名前を理解した。