「兄ちゃんなんかどっかいっちゃえ!」

敦也!と怒声を上げる母親の脇をすり抜けて自室へ駆け込む弟の背中を見ることが出来なかった。なぜ喧嘩になったのかわからないくらい些細なきっかけだった。口喧嘩まではいつもどおりで、このあとはこんな言葉を聞くことなく仲直りするはずだった。服の裾を握る手が細かく震えた。いなくなれと言われたのは初めてで、ナイフで刺されたような、鋭利で冷たい感覚が胸に広がった。敦也と仲直りするのよと頭を撫でる母の手ばかり温かくて、床に向けられた目線を上げることが出来なかった。僕は逃げたかった。







どれくらいそうしていたのか、橙の明かりが窓から差し込む頃になってやっと顔を上げると、何も考えていない脳と体を乗せて足は前に進み出した。向かう先はわからない。玄関を出た瞬間、裸足の足は雪道を駆け出した。望の通り、僕は逃げたのだ。


じんと痺れる足も時間がたつにつれて感覚が失せた。まるで自分のものではなくなってしまったような足と手を振りながら道なき道を、雪を掻き分け進む。膝まで埋まり、走ることも困難な雪の中を、ただ思うままに走る。喉がひゅうと音を鳴らす。不意に弟の半分泣いた、涙を目いっぱいに溜めた顔が脳裏を掠めた。



ああそういや謝っていなかった。そんな些細なことで僕の幼い凶悪な考えは萎んでいった。帰ろうかな、呟くと足に鈍い感覚が戻って帰路を急かす。ふくらはぎまでじんと痺れる頃には僕は走り出していた。もう陽は完全に落ちて辺りは闇と僅かな星の光だけになっている。あいつは思いがけず小心者だから、自分が帰らないのに気付いてべそをかいている頃合いだろう。そんなことを思いながら踵をかえした僕は、やはり臆病者なのだろう。








ヤマもオチも意味もない



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