君色融解



「…アンタ、バカ?」


足元がふらふらの莢花を時折支えて帰路を辿りながら、シキは淡々と放つ。
会社員の帰宅時刻にはまだ早いためか、駅へと向かう道は人通りも少なくガランとしていた。


昼過ぎだっただろうか。
食玩に夢中になっていたところ、急にカケルからの着信で呼び出される羽目となったシキ。
そのため、彼は妙に不機嫌だった。


「ひ、ひどいよシキくん…」


シキの隣を歩む莢花は少し青ざめた顔色で、よろよろとヒールを鳴らして歩く。
今朝方まではこんな状態ではなかった。

治りかけの状態を甘くみて少し夜更かしをした結果か、たまっていた仕事を一気に片付けたのがいけなかったのか、或いは午前中の息苦しい会議のせいだったのか。
真相は定かではない。

寒気と異常な火照り、もやっとした痛みすら身体を襲うこの症状。
…完璧な風邪だった。


「カケルさんには、体調管理がなってないなんて言われるし…」

「事実」

「そ…そりゃあ、そうだけど……」


言いかけた瞬間、視界がぐるりと反転する。
全部反(カエ)る前に、線の細い腕と身体が彼女を支えた。

立ち止まった此処が道のど真ん中ではなく、近くの公園付近だったのが幸いというもの。
当分立ち上がれそうにもなさそうな彼女に視線を落としながら、シキは怪訝そうに眉を潜めた。
しかし、その表情は少し困惑しているかのようにも見える。


「何してんの」

「……ごめ…」


気分が悪い。
とてもじゃないが、言葉を返すのも億劫だった。

立ち上がろうと試みた彼女だったが、重さが増した身体は思うように動かない。
莢花はシキの支えの甲斐もなく、ズルズルとその場に座り込むことしか出来なかった。


「顔、赤い」

「………うん…」

「…つらそう」

「…う、ん……」


心配してくれるのは大いに有難いことだが、こんな時に欲しいのは介助の手。
世話を妬いてくれそうな悪魔ハウスの人を思い浮かべながら、莢花の意識はどんどん遠退くばかりだった。


「……くん…」

「なに?」

「…メ、グルくん…家に、いた…?」


朦朧とする頭で精一杯考えた結果、一番頼りになりそうな彼の名を口にする。
後々考えてみれば、メグルが家にいたのなら彼が迎えに来るはずだ。
シキに誰かの迎えを頼もうだなんて、最終決断以外ありえない。

シキは少し眉間にシワを寄せて首を横に振った後、屈んで莢花の額に手を当てた。


「熱、ひどい」

「………ぅ……」


溜まった熱さが莢花の身体を取り巻く。
まるで全身が悲鳴をあげるかのように苦しい。
息遣いが荒いのが自身でも分かる。

肺の奥から目一杯呼吸を繰り返していると、突然唇に柔らかい感触が生じた。
まともに息を吸うことすらままらない今、口を封じられた莢花は半分パニックに陥る。


「んん―――っ!!!!!!!」


バシバシと少し強めにシキの胸元を叩くと同時に、繋がっていた唇が離される。
息を吸い込んだ拍子に蒸せ返り、すでに痛い喉から大きく咳き込んだ。


「シキく……なに、して…!」


息を荒げながら涙を浮かべて制する彼女に、シキは少し濡れた唇で静かに口を開いた。


「はやく、うつして」


熱のせいでフラフラする頭を気力で持ちこたえているが、言ってる意味が全く理解できない莢花は肩で呼吸をしながら、じっと目の前のシキを見つめた。


「な…何言って…」

「風邪って、うつすと治るって聞いた」


…どこから得た誤報だろうか。
どこかの漫画かドラマから得たのか、もしくはどっかの悪魔達にからかわれて入手した情報なのか。
そんなことはどうでもいいけれど、とにかく間違った知識をこんな状況の中で試されては迷惑千万。

莢花は節々の痛みに耐えながらも、残り少ない力でシキを自身から引き剥がす。


「い、いいからっ!だい、じょぶだか…ら!!」


しかし、いくら細身のシキと言えど成人しきった男性の力に到底敵うはずもない。
ましてや熱で思うように力の入らない腕なんかでは、押し返すことすらままならなかった。


「なんで?」

「な…なんで、って…!」


人目に付かない公園の隅と言えども、決して人がいないわけではないのでいつ誰に見られるか分からない。
恥ずかしさと抗えない力に悔しささえ覚えた。

瞳を上げてシキの顔を見据えると、眼鏡の奥で甘く揺れる紫の瞳に捕まる。
いつもこういったシチュエーションになると、優艶に輝く彼はズルいと思う。


「莢花、つらいって言った」


至近距離で囁く甘い声は、彼女を縛るのに十分な威力を放っている。


「俺に、全部うつして」


そう言いながらどんどん深くなる口付けに、もはや抵抗する気になどなれない。
こじ開けるように伸ばされた舌、押し当てられる唇から溢れた愛しさと熱い吐息に全てが溶けてゆく。


「シ、キく…ん、の……バカ…」


口内を犯すシキの温度と混ざり会う頃、莢花は小さく涙を溢して呟いた。







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