蛍光灯が頼りなく廊下を照らす中、靴音を鳴らして自室へと向かう。終わらなかった仕事の山を思うと気が重くなるけれど、博士は決してオーバーワークを強いることはなかった。今日日付を越してまでディスプレイと睨めっこをしたのは、自分の責任だ。乾燥気味の瞳を潤すようにぱちぱち瞬きをすると、眼球にじんわりと疲れを感じた。
 二つ目の角の手前で、静まり返った廊下に特徴的な足音が響く。聞き慣れたそれに、恐らく角の向こうにいるであろう相手の名前を呼んだ。

「メタル?」
「……ああ、なまえか」

 程なくして薄暗闇から姿を現した赤い機体は、小さく首を傾げると何か不思議なものを見つけたようにじっとわたしを見つめた。彼らしくないその子供っぽい仕種に加えて、何かが心に引っ掛かる。目の前にいるのはメタルだ。でも、この圧倒的な違和感は何だろう。

「メタ、ル?」
「なまえ、お前……大きくなったな」





 ……ああ、とうとうメタルのAIにエラーが出てしまったみたいだ。きっと、彼がブラコンを発揮するたびにクイックとフラッシュが容赦なく殴るからだ。後で叱っておかないと。いや殴られるほうにも非があるのは確かだけれども。とりあえず博士に――


「こら、勝手にふらつくな」
「懐かしかったものでな、つい」
「え、二人?」

 こつん、とメタル(?)の頭をはたいてその後ろから現れたのは……こちらもまたメタルだった。先に出会ったメタルAは、後から現れたメタルBの注意を軽く流すとひたとわたしの目を見つめた。そこで、先程感じた違和感の正体に気づく。

「目が、緑だ……」
「今更気付いたのか」

 メタルBが呆れたように呟くと、メタルAはくつくつと喉を鳴らして笑った。よく見てみると、機体の色味や細部のデザインが少しずつ異なっている。わたしの知っているメタルの目は、赤い。

「なまえ、そんな目で見るな。小さかったお前を寝かしつけたのは俺なんだぞ」
「そんな昔の話、人間のなまえには覚えていろという方が酷だろう」
「逆に、俺にはある時点からの『記憶』がない。寂しいものだな」
「先に言っておくが、俺の記憶メモリをコピーしてやる気はないからな。同じ記憶を持つ自分自身が二人いるなんて気持ち悪くてかなわん」

 赤い目のメタルが、その内容に反して面白がるような口調で釘を刺した。いつもよりも幾分か機嫌が良いように見える。見た目が同じ者同士が会話している姿は、ホログラフと連れ添う水色の彼を彷彿とさせた。

「メタルマン」はワイリー博士の処女作だ。学会から追放された後、充分な設備も人の手もないままに試行錯誤して作り上げた、最初の息子。
 しかし後続機が次々に完成していくと、初号機のメタルには欠陥が目立つようになった。致命的ではないもののプログラムに小さなエラーが生じ、機体そのものの強度に不安が出ていた。

「そこで作られたのが『俺』だ」
「メタル二号みたいな感じ?」
「……多少語弊があるが、分かりやすく言えばそういうことになる。入れ物である機体を作り直してデータだけを引き継ぎ、役目を終えた古い機体――そこにいるやつは稼動を停止したんだ」
「今は簡易コアを接続して同期しているんだが……非科学的な言い方だが、まるでタイムスリップしたような気分だ」
「どうしてわたしって分かったの? 昔の面影とか、残ってるものなのかな」
「それは……」

 メタルAが言い淀み、わたしからメタルBへと視線を滑らせる。旧機体のメタルの挙動は、何をするにも一拍置くような、行動を起こすことへの躊躇いがあるように思えた。いや、わたしの知る彼が常に溢れんばかりの余裕をまとっている所為かもしれないけれど。
 後を引き取るように、いつものメタルが事もなげに特大の爆弾を投下した。

「十年経とうが百年経とうが、好意を持つ相手を見間違える筈がないだろう」
「……!」
「その通り。何だ、『俺』はなまえと好き合っているのか」
「お蔭さまで。どうだ、羨ましいか」
「羨ましいも何も、青年型が当時のなまえに手を出したら犯罪だろう」

 二人の自重しないやり取りに、かああ、と顔に熱が集まるのがわかった。どうしよう、すごく恥ずかしい。 
その言い方じゃ、まるで。

「メタルが、ずっと昔からわたしのこと好きだったみたいじゃない……」
「相違ない。なあ、『俺』」
「全くだ。お前は昔から鈍感だからな」

 博士の造形センスは昔から抜群だったようだ。誰もが見とれるほどに綺麗な顔をした二人が目を細める。浮世離れしたその美しさは既に見慣れたものであるはずなのに、心を持って行かれてしまいそうだ。
 ちらつく蛍光灯の下でも、口元を覆うマスクがあっても、彼らが優しく微笑んでいるのがわかった。



「お前が幸せなら、良かった」



 どきり、と心臓が大きく跳ねる。翠瞳のメタルが、その腕を伸ばしてわたしの頭を撫でた。慈しむように、何度も何度も。小さい頃、眠れない夜を一緒に過ごしたのがこの大きな手だったことを思い出しながら、わたしは眠気で重くなった瞼をゆっくり閉じた。


彼の恋に寿命はあるか
(20100909)



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