「顔を見たことがないって、どういうこと!?」


 すごい剣幕でコルワさんがまくし立てるものだから、叱られたような気がして思わず首を竦めてしまう。おなかの底に溜め込んだどんよりとした気持ちが途端に形を持ってはらわたを食い破りそうになって、わたしは慌てて下腹部に力を込めた。
 小さくなったわたしに気づいたのか、幾分か表情を柔らかくしたコルワさんがゆっくりとため息をついた。


「……やっぱり変かな?」
「変も何もないわよ。貴方たち、仮にも恋人でしょう?」
「恋人……うん、そう。恋人」


 戦闘スタイルの相性から、わたしとシスさんは自然とペアを組むことが多かった。騎空団に寄せられる大掛かりな討伐依頼から小さな魔物の駆除までわたしたちはすべて手を抜かずにこなすから、団長のグランくんも「君たちには安心して仕事を任せられるね」と言って微笑んでいた。
 何から何まで一人で背負いこむのが当たり前で必要最低限以上の会話をしようとしなかったシスさんに、わたしはあの手この手でコミュニケーションを試みた。そのときの気長さに関しては自分で自分を褒めてあげたいくらいである。まるで野生動物を手懐けるような困難な道のりだった。
 長い長い時間をかけて彼がわたしに背中を預けてくれるようになる頃には、わたしもすっかり彼に惚れ込んでいた。


「お互いの気持ちは確かめあったのだけど」
「それから何か恋人らしいことはしたの?」
「恋人らしいこと?」
「手を繋いだりデートしたり、キスしたり」
「きっ…………!」


 わたしの反応を見たコルワさんはやれやれといった様子で首を振り、隣のシルヴァさんを仰ぎ見ている。わたしはシスさんをとても大切に、たったひとつの宝物のように思っているけれど、ふたりの関係に名前がついただけでこういう話になるのはなんだか不思議な気持ちだった。
 戦い方においてわたしの師匠でもあるシルヴァさんは少し考える様子を見せた後、長い睫毛を瞬いた。


「私はそういうことにあまり詳しくはないが……恋人の素顔を見たことがないというのは、珍しいことだろうな」
「そうよね!? やっぱり変だわ!」
「差し支えなければ、どういった経緯で彼となまえが恋人同士になったのか聞かせてくれないだろうか?」
「そうね。それは私も気になっていたの」
「うーん……何て言ったらいいのかな、」


 困ったところを助けてもらったとか、年月をまたいで運命の再会をしただとか、そういったドラマティックな出会いを果たしたわけではないのだ。
 わたしが前々からお世話になっていたグランくんの騎空団に、十天衆のシスさんが仲間として加わることになった。依頼や騎空艇での生活を通して、植物が芽吹き成長して花を咲かせるように、ゆっくりとわたしは彼への想いを募らせていった。


 呼吸をするように生きものの命を刈り取りながらも、不必要な殺生はしないところが好きだ。感情を表に出さないくせに、落ち込むとわかりやすくしゅんと垂れ下がる耳が好きだ。仮面の縁からこぼれ落ちたさらさらの髪が好きだ。天鵞絨のような声で、なまえ、とわたしの名前を呼んでくれるのが好きだ。
 少しずつ積もり積もったシスさんへの感情を拾い集めて、胸の中でぐるぐるかき混ぜる。煮詰めて出来上がった結晶は、恋だった。


「シスさん、あなたが好きです」というなんのひねりもない告白を聞いたシスさんは、首を傾げた姿勢のまま硬直した。呼吸や拍動すらも止めてしまったかのようだった。
 気に障ったのだろうか、それとも聞こえなかったのだろうか。顔を覆う仮面のせいで表情を窺うこともできなくて、不安な気持ちだけがむくむくと膨れ上がる。早まった、と思った。
 居た堪れなくなって身じろぎをすると、それに気づいた彼は思い出したかのように細く長く息を吐いた。落ち着きなく周りを見回し、足元を睨みつけ、空を仰ぎ、そして最後に、わたしを正面から見据えた。(新しいおうちにやってきたばかりの子犬のようだ、と思ったのは内緒だ)


「……か、感謝する。俺も、おまえを、す…………好いて、いる」


 なまえは目だけではなく耳もいいのだな、と褒められたことを思い出す。シンプルな討伐の依頼だった。あらかた狩り尽くして一息ついたところで、わたしの耳は魔物が枯れ枝を踏み抜いた小さな音と荒い気遣いを捉えた。「シスさん、3時の方向に2匹」という言葉が終わるか終わらないかのうちに彼の身体は風のように飛び出して、反撃の機会を窺っていた魔物を断末魔すら許さずに倒してしまった。
 爪の返り血を拭いながらぽつりとかけられた言葉だけで、くすぐったいような甘酸っぱい気持ちで胸がいっぱいになってしまう。この気持ちが恋だと自覚させるのに十分すぎるほどだった。




 笑ってしまうくらい情けない声色だったけれど。こくりと頷きながら、わたしを好きだと確かに言ってくれた。






 文字通り飛び上がって喜んだわたしに、シスさんはぎょっとしたように身を引いた。




「それから?」
「それから……」
「カレシカノジョの関係になって、その後は?」
「えーと……おはようとおやすみを欠かさずに交わすようになったよ」
「あとは!?!?」
「え、え? あとは、カルムの郷の話とかしてくれたり……」
「そんなの全然ハッピーじゃないわ! シルヴァもそう思うでしょう!?」
「わたしとしてはなまえがこの関係に納得していればいいと思うが……そうではないのだろう?」


 同じ騎空団の仲間から共に依頼をこなす相棒、そして恋人へとわたしたちの関係が名前を変えても、良くも悪くもわたしたちは何も変わらなかった。顔を合わせれば挨拶をするし、なんならちょっとした世間話だってするけれども、それだって「他の団員よりもちょっと仲が良い」くらいの距離感だ。
 シスさんの姿が目に入るたびに胸にひらめく、ちりちりと身体を焦がすようなこの気持ちをどうしたらいいのかもわからなくて、わたしはずっと途方に暮れている。


「なまえは難しく考えすぎなのよ〜」
「大切なのはなまえがどうしたいか、だよ」
「わたしが……」






***






 コンコン、と部屋のドアが控えめにノックされたのはその日の夜のことだった。誰が訪ねて来たのだろう、とあまり深く考えないまま扉を開けたわたしは、部屋の前に立つ細身の影に息を呑んだ。


「…………し、シスさん」
「突然すまない。……入っても、いいだろうか」


 この時間に異性の部屋を訪ねるというのはあまり常識的ではなくて、つまり、そういうことだ。シスさんだってそれはわかっているだろう。所在なさげに立ち尽くす彼をそのままにしておくわけにもいかず、わたしはシスさんを部屋に招き入れた。
 見慣れた自分の部屋なはずなのに、そこにシスさんがいるだけで非日常感に眩暈がする。熱くなる頬を気取られないように、そこに座ってくださいと手で示すと、彼は静かにソファに腰掛けた。


「……迷惑ではなかったか?」
「とんでもない! 来てくれて、ありがとうございます」


 わたしはシスさんの言葉に首をぶんぶんと横に振る。実のところ口から心臓が飛び出そうなくらいにどきどきしていたけれど、浮かれているように思われるのは恥ずかしい。オレンジ色のルームライトに照らされる彼の横顔は、お日様の下で見るときよりもほんの少しだけ幼く見えた。


 極度の対面恐怖症。
 彼の生い立ちを思えば、それも仕方のないことのように思えた。薄い仮面ひとつを隔てるだけで彼が自分の思いを言葉にできるなら、わたしはその壁をあえて破る必要はないと思う。
 という建前で、わたしはわたしの欲に気づかないふりをしていた。




「シスさん」
「……?」


 わたしが何をしたいのか。そんなものは明白である。


 あなたの瞳の色を知りたい。あなたに触れたい。いくつものお願いが喉に張り付いたまま、わたしの呼吸の邪魔をする。人を好きになるということは、こんなにも苦しい。
 テーブルの上に投げ出された手に、そっと自分の手を重ねる。しなやかなのに少し骨ばっている、戦う男のひとの手だった。仮面の向こうで息を詰める音がしたけれど、彼は手を振り払ったりはしなかった。


「シスさん、好きです」
「なまえ……俺、は」


 思い切って恋人繋ぎのように指を絡めると、おっかなびっくりといった様子で握り返してくれた。「や、やわ……やわらかい……」なんてか細い声で感想を言うものだから雰囲気も台無しになってしまったけれど、繋いだ手は溶けそうなほどに熱を持っている。


「シスさんの言う『好き』は、わたしとは違うものですか?」


 彼の色素の薄い髪束が頬に影を落としているのを、わたしは他人事みたいに眺めている。見つめ合ってキスをしたり、身体を重ねたりする未来があるのかもしれない。ただ今はこうして指を絡めるだけで、もう充分に幸せなのだった。



淡々しい熱
(20190818)



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