短編 - asteroid | ナノ

おかねもち夢想計画



「金持ちになりたいんだよ」
 夏、友人宅。
 俺は友人に誘われて、彼の部屋で試験前の勉強会に参加していた。高校もついに2年次になり、進級してから早4ヶ月が経とうとしている。この定期試験が終われば瑞々しい夏休み。3年生になれば一から百まで勉強の枯れ果てた寒々しい夏休みへと変貌するため、青春を満喫できるのもこれが最後だ。
 勉強会は午前のうちから始まり、やがて時刻は正午を回った。意外にもきちんと勉強会らしい時間を過ごした。お昼ご飯は友人のお母さんが冷たいそうめんを振る舞ってくれた。みょうがの風味を感じながら、二人してつるつる食べる。そうして、啜っていたそのそうめんのつゆが入った器をとん、と机に置いたや否や、彼は不意にそう言ったのである。
「……うん、で?」
 あまりに脈絡のない話題で、唐突さに刺突されたために、そんな反応しかできなかった。
「もーう反応薄いなーお前は! お金欲しくないのか!」
「いや欲しいといえば欲しいけど、お前の話が唐突すぎて」
 そう言ってそうめんを箸で一つまみして、つゆの中を泳がせる。白い麺が尾を引いて揺れるのを見ると、毎年夏の訪れを感じるな、とぼんやり思った。
 友人は「俺たちは今、勉強してただろ」と切り出した。口ぶりからして理由を話したいらしい。よくわからないところで誠実な奴だ。適当にうん、と間延びした声で返す。
「勉強は将来のためにするだろ」
「うん」
「将来といえば夢だろ」
「うん」
「夢っていったら、金持ちになりたいんだよ」
 なるほど、うまい具合に話を戻してきた。しかし俺といえば、変わらず「そうかあ……」ぐらいしか返せない奴なので、あんまり説明した意味はなかったかもしれない。
「そんなに金持ちになって何がしたいのさ」
 力説してくる友人に、尤もな質問を投げかけてみる。
「えー、何がしたいって、何でもできるだろ」
 だからなりたいんだよ、と付け足された。確かに一理ある気もするが、金持ちでもできないことはあるんじゃないかと思う。……と言いたかったが、別に哲学めいた討論を始める気はなかったので胸の内に仕舞っておいた。友人は視線を上に向けて、何かを考えるような表情をしてから口を開く。
「あーでも、一つだけずっとやりたいって思ってることがあるんだよな」
 と、友人が意味ありげに言い出すものだから、お、と思った。首が持ち上がりさえした。
「なによ」
「お風呂にさ」
「うん」
「俺が入って、こう」
 きっと浴槽に入っている様子を表しているのだろう、彼は中途半端な体育座りのようなポーズをとった。そうして次に、自分の周りで手をぐるっと動かす仕草をして、こう言った。
「周りに札束敷き詰めてさらに上から札束ばらばら〜って落とすやつがしたい」
「スケールが小さい!!!!」
「えっすまん」
 しまった。わりと勿体ぶられて出てきた案が下らなすぎて思わずでかい声が出た。
 こほん、と意味もなく咳払いをして言い直す。
「……いや、うん、夢を持つのは良いことだと思う」
 フォローしようと咄嗟に適当な言葉が口から出る。
「俺もそう思ってさあ」
 切り替えが早いなこの男。
「札束用意してみようかと思ったんだよ」
「え、今から?」
「なんか今すぐやりたくなって」
 切り替えが早い上に思いつきで生きている男である。なんてせっかち、いや、行動的で良いと思います。
 友人は立ち上がり、箪笥の上にあった大きな袋を手に取って戻ってきた。大きい、といっても、袋そのものがでかいだけで、中身はあまり入ってないように見える。しなしなになった野菜ぐらい活力がない。
「けどなー、どう頑張ってもこれぐらいしか集まらなくてさあ」
 友人は袋の結び目を解き、中身を見せてくる。中には千円札がぱらぱら入っていた。ぱらぱらというか、目視でも数えられる程度しか入っていない。
「7000円か……」
「父さんも母さんも姉ちゃんも貸してくれなくてさあ」
 そりゃあそうだろうな。
「風呂どころかこの場でぴらぴら散らして終わるレベルだな」
「そうだよな〜……」
 一枚、千円札をつまみ上げ、ひらひら振ってみる。俺の手で歪む紙の音と、気落ちした友人の声が部屋に虚しく響いた。わかっていたことではあるが、どうしたもんか、と思う。が、すぐに友人がこう切り出した。
「で、まあ札束は無理だと思ったから」
 え、と思い顔を上げる。友人はもう一つ大きな袋を取り出していた。先程と違い、その袋にはきちんと中身が詰まっているように見える。そして友人は同じように袋の結び目を解き、中身を出してきた。
「ドーナツにしようかと」
 ドーナツ。
 彼が出してきたのは、たくさんの小さなドーナツが袋詰めになっているものだった。スーパーに200円もしないぐらいで売っている。この袋に詰まっているのは、全部それだ。ぎっしりと詰まるミニドーナツの群れが、何かの模様のようにも見えてくる。
 いや、ドーナツ。
「…………なんで…………?」
 それこそドーナツのように思考に穴が開いたが、なんとか言葉を絞り出した。
 友人はなおも事もなげに返答してくる。
「俺が好きだから?」
 心底無邪気にそう言われたものだから、俺はやはり「そうかあ…………」ぐらいしか返せなかった。
 友人は袋の口を大きく広げ、その中身を改めて確認している仕草をすると、ううんと唸る。
「でもこれじゃあ足りないよな」
「そうなのかな…………」
 わからない。ドーナツを風呂に敷き詰める算段を真剣にしているのもわからないし、わりと長い付き合いだと思っていたこいつのこともわからない。この世のすべてがわからない。
「うーん。よし、今から買い足しに行こう」
 この7000円で。そう言って友人は名案来たれり、といった風にすっくと立ち上がる。いや、ちょっと待て。まだ買うのか。そんなに買うのか。というかこのそうめんは。いや、そもそも勉強会は。
「あ、そうめんは食ってからいこう!」
 あ、食い意地だけは忘れていなかった。心底安心した。えらいなあ。最早感覚が麻痺している気がするがさておき、かくいうわけで俺たちは超特急でそうめんを平らげ(させられ)、風のように部屋を出た。
 置き去りにされた教科書とノートたちは、誰も居ない部屋でぽつりと佇んでいたのだった。


 夏の暑さを司るようなアブラゼミの声に包まれた道を汗を滲ませながら歩き、冷房の効いた涼しいスーパーでこちらに向けられる奇異の目をよそに大量のミニドーナツを買い、また熱を孕んだアブラゼミの声に包まれた道を大荷物を引き連れて汗水垂らしながら歩き、元居た家へと戻った。
 友人は家に入るや否や物置きからレジャーシートを取り出し、風呂場に走っていく。へろへろとそれに付いていく。彼は浴槽にシートを敷いて、その上からすとんと座った。
「よし! 準備完了!」
 あ、部屋に袋1つ置いてきたままだったな! と言うと再び立ち上がり、飛び跳ねながら浴槽を出て二階の自室へと走っていく。なんであんなに元気なんだ。遠のいていったドタドタという足音はまた近付いてきて、そうして友人は袋を抱えて風呂場へ戻ってきた。その袋を俺に託し、彼はまた浴槽の中央へと座った。
「さあ来い!」
「……上からばら撒けばいいの?」
「そんな感じで頼む!」
 意気揚々と両手を掲げる友人。俺の左手にはドーナツ。右手にはさらに大量のドーナツ。それらすべてを天使のように見守る、眩い光の差し込む昼の浴室。
 俺は一体何をしているんだ。
 ――いや、もう、正気に戻っては負けだ。正気で飯が食えるか。心頭滅却すれば火もまた涼しなのだ。俺は今日から首なし騎士に転身だ。
 ガサ、とドーナツの袋が音を立てる。大袋を床に置いて、両手でドーナツの袋を掴んで封を切る。右手いっぱいにドーナツを掴んで、友人の周りに向かってばら撒いた。
 小袋に入った小さな菓子が、レジャーシートの上にぼと、ぼと、と落ちていく。友人は目を輝かせながらそれを見ている。微かに外で鳴くアブラゼミの声が聞こえて、これが日常なのか、非日常なのか、境を曖昧にしていた。
 ぼたぼた、ぼとぼと。そのままドーナツを落とし続け、やがて1袋目の中身を全て友人の周りに放流した。2袋目に手をつける。ぼたぼた、ぼとぼと。友人を囲むドーナツが増えていく。3袋目。ぼたぼた、ぼとぼと。4袋目。ぼたぼたぼとぼと。5袋目。ぼたぼた。6袋目。ぼとぼと。
 ひたすら袋の中身を出し、浴槽へ落とす。何も考えない。それを繰り返していると、最初は輝きに満ちていた友人の顔つきに、どんどん影が差していく。7袋目に差し掛かったあたりで、スンとした顔で、彼はぽつりと呟いた。
「すごくむなしい…………」
 その言葉は雨の一滴にも似て、浴室という白く柔らかな空間に静かに染みていく。彼の言葉が雨ならば、その周りに散らばる菓子の群れは大粒の雪だろうか。冬の朝のような寂しさが、いっぱいに満ちた気がした――。
 ――などと意味もなく並べた虚飾を一切取り払うと、今の状況は大変シュールだということだった。
 外からは変わらずセミの鳴き声が聞こえるのに、この上なく静まり返っている。
「……勉強、戻るか」
「うん……」
 俺が諭すように言うと、友人は眠気に負けそうな幼子のように返事をした。浴槽から立ち上がると、足に乗っていたドーナツがぱらぱらと落ちていく。俺と友人はそれらをすべて拾って大袋に仕舞って、レジャーシートを畳んで、何事もなかったかのように浴室を後にした。

 この一切何も身にもならないような一連の経験で、わかったことが一つだけある。
 ――友人よ、お前は絶対、金持ちにはなれない。


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『銀河鉄道の夜』の鳥を捕る人のオマージュ。






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