短編 - asteroid | ナノ

舌先三寸その中は



「ぅ〜〜〜……っ!!」
 夜もとっぷり更けた頃、二人で借りたワンルームの大部分を堂々と占拠しているダブルベッドの側面にもたれかかりながらコントローラーのボタンを忙しなく押し続けていた最中、横から気の抜けるような悲鳴が上がった。
 声の方へ目をやると、隣で同じようにコントローラーのボタンをカチャカチャ鳴らしながら景気よく俺を煽りまくっていたはずの彼女が、手も口も全部止めて軽くうずくまりながらぷるぷると身体をふるわせている。
「えっ、ど、どうかした?」
 突然のことに驚きを隠せず、こちらも思わず手を止めて問いかける。背中を丸めてよりちいさくなってしまった彼女は、しばらくの間を置いてようやく口を開いた。
「……ひた……」
「ひた?」
 やっとのことで出た言葉が全く知らない二文字だったので困惑するも、次の言葉はすぐに来た。
「舌かんだあ……」
 弱々しいふやけた声でそう言いながら頭を上げた彼女は、形のいい眉をきゅっと寄せ、ころころとした大きな目をぎゅっと瞑り、小さくうすい唇をぱかと開けて、その隙間からほの赤い舌をちらりと無防備に覗かせている。
 目が離せなくなった。
「……舌噛んだかあ」
 とりあえずのオウム返しで会話を繋ぐ間も、俺の視線は彼女の口元にあった。ついているであろう傷口はここからは見えない。舌の先からその側面まで、撫でるように目で追ってしまう。腹の底からよくない気持ちが這い上がってきているのがわかっているのに、見えないそれを探ろうとする心を止められない。
 しばらくじっくりと奥の方を見つめていたが、やがて彼女のまぶたがぱちっと開き、ようやく俺はそこから意識を逸した。見慣れたふたつの瞳はまだ俺の方を見ていなくて、少しほっとした。
「いたーい……」
「うーん、かわいそう」
 べそをかくような声で泣き言を言う彼女はただいつも通りだった。だからなおさら、今さっきまで俺にだけ見えていたあの景色は一体何だったのだと、どういうつもりだったのだと、そう自分を問い詰めて叩いてやりたいほど、途端にさっきまでの自分が恥ずかしくなってきた。だから努めていつものように、毒にも薬にもならない慰めの言葉を彼女にかけてはみたものの、それだけでは俺の頭は完全には切り替わらないようで。
 困った。少しだけ。
 ただ舌に傷を負った彼女が目の前にいるだけ。ただそれだけだと、自分に言い聞かせたいんだけど。
 テレビモニターの向こうの操作をやめた対戦ゲームのプレイヤーたちはどちらも動かないまま、俺たちの指示を待ち続けている。
「……どのへん?」
「んぇ」
「どこらへん噛んだの、舌の」
 視線は彼女の方に向けたまま、コントローラーに添えっぱなしの手は動かさずに、俺はそう訊いてしまった。
 いやだめだ。よくない。もう止めよう。この質問の答えが聞けたら、それ以上何も訊かないでいよう。
「左の横のほう……」
「へえ……」
 それだけ聞いて、何事もなかったかのように視線をまたテレビに戻そうと思った。そしてまたしれっとコントローラーのボタンをきびきび押し込む作業に戻って、止まったままの彼女のキャラを今のうちに程よく全力でメタメタにしてやろうと目論んでいたのに。
 けれどちょうどその時、
「なんでそんなこと訊くの?」
 目が合ってしまったから。



 どこだって痛いものは痛いんだよ。ただそんなふうに、行き場を失くした恨み節をこめた軽口を叩こうとして彼の顔を見ようと視線を上げた時だった。
「見してみ、ちょっと」
 そういつもと変わらない声色で、彼は、急にいつもとはちょっと違う“よくわからないこと”を言ったのだ。あたしの質問に答えたわけでもなく、ただそんなことを。
――見せてって、何を、誰に?
 いや、答えはわかっているつもりだ。でもどうしてあたしにそんなことをしてほしいのか、それがよくわからない。
 結構な勢いで噛んだ舌の痛みはまだ引いてくれない。その間にも、熱を持った傷口がじんじんと主張を続けている。それに加えて彼があたしの目の前でひたすらじっと返事を待っているものだから、まるでどうしていいのかわからなくなる。
 どうやらあたしが返答に迷っているのを察したのか、彼は少しの間考えるような仕草をして、それから今度は「あー」と間延びした声で言いながら、ぽかーんと口を開けてみせた。
 そのまぬけ面にすっかり気が抜けてしまい、あたしはつい同じように、
「あー?」
 と、かすかに笑いながら口をぽっかり開けてしまったのだった。
「よし」
 ……あ。
 そう思ったときにはもう、彼のごつごつしたあたたかい手があたしのあごに添えられていた。下あごに人差し指をくっと引っ掛けられて、さらに大きく口を開けさせられる。こいつはめやがったな。悔しがるあたしを知ってか知らずか、彼は満足げに目を細めながら、顔をぐっと近づけてあたしの口の中をじっくり眺めはじめた。
 ――なんだこれ。何されてるの。何もかもわからないままなのに、彼の顔が間近にあるもんだから恥ずかしくてしょうがない。じわじわと耳に熱が集まっていくのがわかって、それを意識すると今度はほっぺも熱くなってくる。見られたくないのに逃げられない。
「見つからんなあ」
 飽きずにあたしの口の中をまじまじと見ながら彼が呟く。ほんとにお前は一体何がしたいんだよ、そう抗議するつもりでとりあえず声を上げようと喉をひらいた瞬間だった。
「ぇ、!?」
 ぬる、と舌先を撫でる感覚。少ししょっぱくて生暖かいなにかが、口の中でうごめいている。
 ――一本の指が入ってきた。
「ふぇっへ?!」
 閉じられない口から必死に声を上げるも、当の本人が動きを止める様子はまったくない。舌の腹をくまなく探るように動いていた彼の指が今度は右の付け根近くまで入って、また舌先までゆっくりと戻ってくる。その緩慢さがどこかじれったく感じて落ち着かない。
 やがて彼の指が、今度は左側の側面を滑っていく。
「ぃあっ」
 傷口の真横を掠め、ちりっとした痛みを感じつい声が出た。指は一瞬だけ動きを止めた後、ゆっくりと、何度も何度も左側をこするように動きながら、また腹の部分に戻ってくる。大きな指にひたすらすりすりと舌をこすられているうち、だんだん頭がぼっとして、お腹の底から変なきもちが沸いてきて、身体がもぞもぞと動いてしまう。
「ふぅ……っ」
 息が上がってくるしい。ぼんやりしている間に、何故か動く指が2つに増えている。絶対いらないだろ。最後の理性でそう思うも、ばらばらに口の中をかき回されて、気持ちいいのと痛いのとがまざりあってもうわからない。
「はっ、ンぅ、う……」
 ふたりきりの静かな部屋に、息遣いと水音だけが絶え間なく響いている。からだが熱い。これ以上はだめだと思って彼の動きを止めようと手首を掴もうとするけれど、うまく力が入らなくて、硬い腕にやわくしがみつくだけになってしまった。
「ねえ」
 舌の裏側をくちくちとこすりながら彼があたしを呼ぶ。ぼやける視界には柔らかな笑みを携えた男の姿が映っていて、しかしその中心の見慣れた2つの瞳には、まったく似つかわしくないほどの熱を孕んでいる。
 目が離せなくなってしまった。
熱に浮かされている間にずるりと口内から指が引き抜かれる。彼のごつごつした長い指が己の唾液でてらてらと光っているのが見えた。唇と爪の間に伸びる白い糸に目をやった後、彼はまた視線をからませて、
「どうしたい?」
 とのたまった。
 お前が始めたくせに!そう声を荒げたいのはやまやまなのに、身体は理性と別のことを訴えているから叶わない。彼の腕を掴む手にきゅっと力を入れて、あたしは振り絞るようにつぶやいた。

「はやくテレビ消してよ……」

 いいよ。
 それだけ言って、彼はさっとリモコンを手に取りテレビモニターの電源を切った。
 画面が途切れたあとのことは、よく覚えていない。





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