船出
病に倒れて以来、ずっと自宅で安静に暮らしていたネーベルスタンの元に、ある日チリン、と来客を告げる呼び鈴が鳴った。
もう歩くことさえままならなくなったネーベルスタンが、開いていますよ、と返事をすると、開いた扉の先に意外な人物が目に入ってきた。
「……何で来たんだ」
その客人を見るや否や、ネーベルスタンが問いかける。
今は真冬だ。寒いのが苦手で、この季節は滅多に外へ出ようともしない奴が、わざわざ遠く離れた自分の家まで足を運んできたのだ。そう言ってしまうのも当然と言える。
玄関のドア越しに見えた外の景色は、視界のほとんどが雪の白に覆われるほどの猛吹雪。気温も相当な低さだろうに、どうしてこの男は。
しかも、こんな時に限って。
「客に対して随分な物言いだな。この寒い中わざわざ来てやったというのに」
「俺は頼んでないぞ」
「まあ、例え頼まれても来ないがな」
そう言って金髪の術士ナルセスは、断りもなしに玄関を上がり、ネーベルスタンが横たわっているベッドの近くで立ち止まった。相変わらず、口の減らない男だ。
頼まれて来ないのに、何故自主的には来るんだ、とは口に出さなかった。
おおよそ15年振りくらいだろうか。ネーベルスタンと同い年であるナルセスは、当然彼と同じように年を取っている。少し、ナルセスの方が若く見えるが。皺が増え顔は多少変わったが、表情や仕草、性格は全くと言っていいほど変わっていない。
「変わらないな、お前は」
ネーベルスタンがやせ細った薄い唇から思わずそう漏らすと、ナルセスは年を取ってもなお衰えない毒舌で、
「お前は若い頃は無茶をするくらいピンピンしていたのに、今は随分と情けない姿をしているものだな」
意地を張っているところはガキのままだが、とも付け足して、ナルセスは言った。
「やっぱり分かって来たのか」
「私を誰だと思っている」
ナルセスは意地悪そうに、薄く微笑む。
つくづく気に入らないヤツだとネーベルスタンは思う。初めて会った時から、ずっと。
それが口に出ていたのか、ナルセスからこう反撃が来た。
「私もお前が気に入らん。初めて会った時からずっとな。……今だって」
だが、いつも強気ではっきりと物を言うナルセスが、少し言いづらそうに語尾を弱める。
「……ナルセス?」
「あの時だってそうだ。全て一人で片付けようとする。全く、お前といいウィルといい、私の周りのヤツはどうしてこう……」
途中からは文句になっている。何故だ、いつもと様子が違う。
今日のナルセスはいつも通りのようで、らしくなかった。
わざわざ私の所にまで出向いてくるし、口調も変わらないようで、どこか。
どこか、遠慮している。
ナルセスは遠慮なんてしない。全ての人にとは言えないが、少なくとも私には全くしたことがない。いつも躊躇いなく毒を吐くし、自分がしたくないことはやらない。
これだけ聞くとただのワガママな奴だが、ナルセスの毒舌にはちゃんと意味がある。もちろん、行動にもだ。
けれども性格が性格なため、それをその意味通り素直に行うことができないだけである。
だから、こいつから離れられない。
どれだけ気に入らなくても、嫌おうとしても、焼き切れない糸。
「ふっ」
ネーベルスタンの心中に、悪い意味ではない諦めが浮かぶ。
昔から浮かんだり沈んだりを繰り返していた想いだが、それはもう沈むことはないだろう。
これで最後なのだから。
そう思うと、思わず口から笑みが零れた。
「何を笑っているんだ、気持ち悪い」
「いや」
ナルセスの目を見る。
皺だらけだが、瞳には未だに若い頃の面影がはっきりと残っていた。
両者の瞳はあの頃のまま、色褪せずにいる。輝き続ける明るい原色。
ネーベルスタンの視界は既にぼやけ始めていたが、それでもナルセスをじっと見つめていた。
ゆっくりと、ネーベルスタンの瞼が閉じていく。辛うじて力を込めて薄目を開けているが、もうナルセスの姿は映っていない。
「お前はどうしようもない馬鹿だ」
ナルセスが、ネーベルスタンの片手に手を置く。相変わらず冷たい。ああでも、もう直に温度もなくなる。
もうすぐ還るのか。ぐらぐらと、ふわふわと地面を彷徨うような感覚の中、ネーベルスタンはぼんやり思った。
「……ああ」
「いつも一人で無理ばかりしていた。今日だってそうだ」
「どうせ私が来なかったら、一人で過ごすつもりだったんだろう」
「……」
「本当に馬鹿だな……」
手が消える。
薄く開けていた瞼が、ゆっくりと、ゆっくり。
ナルセスは触れていただけの手を力なく握った。
「気に入らない……」
外で鳥の鳴く声がする気がした。ナルセスが、ネーベルスタンを呼ぶ。
(聞こえてる、知っているさ)
でも、もう声が、遠い、愛しい声が、
「ネーベ
そこから、ネーベルスタンには聞こえていない。
今日も雪が降っている。窓越しに見ただけだが。
あの時と同じ、けれど逆。
ナルセスは、もう限界だった。
元々、『あの種』がなければ、病気にかかった時に既に死んでいただろう。『種』や術で誤魔化してきたが、これ以上は誤魔化しようがないようだ。
命はクヴェルのようにはならない、全てツール止まり、ということだろうか。
しかしナルセスは、自分の命というツールをこれ以上修理したいという気にはならなかった。
自分のやるべきことは終わった、ただそう感じたからだ。
ベッドに一人横たわったまま、天井を見つめる。
周りには誰も居ない。
(散々、あいつには色々言ったのにな)
自分も同じ、寧ろそれよりひどい状態になっているではないか。そう思って、ナルセスは自嘲した。
あまり認めたくないが、結果似たもの同士だったのか。
遠くで暖炉の炎が踊っている。徐々に、それを映す視界は薄くかすれ、燃える紙のように消えていく。
ふと、ほとんどない視界に、見覚えのある長髪が映った気がした。すぐにそれは視界ごと消えたが、あいつが近くにいる感覚は確かにある。
なんだ、結局同じか。
アニマが離れてしまう直前に、ネーベルスタンの低い声が聞こえた。
「お前も馬鹿だな」
それに答える暇も気もなく、ナルセスは静かに息を引き取った。
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とても☆いきなり☆サイト更新
長い間空けてしまって申し訳ないです。
別館の方をずっと更新していたので・・・。
手元に大分前に書いた手書きの下書きが残っていたので、参考にしつつじょりじょり描きました。
捏造多少ありますごめんなさい。
ベルとナルは最後まで仲良くないようなままでいてほしい。
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