倉庫 - asteroid | ナノ

03





相生でもこんなに悩む問題が、私に分かるはずがない。相生のお父さんは機械を取り扱う会社の社長であり、息子である相生にもそういった知識が多少なりともあると自分で言いふらしていた。パソコンはどうか知らないが、とりあえず機械系には強い。はず。
その相生が現在この状態なのだから、まさにお手上げと言っていい。
しばらくパソコンという堅物相手に死闘を繰り広げていた相生だったが、「だー!」と呻きながら後ろに倒れこんだ。
本格的に降参、悪い意味での万歳三唱らしい。

「くっそ・・・何度試しても同じだ!なんだよ位置情報エラーって!意味わかんねえよ!」

位置情報。それは、この陽炎の街のことだろう。
しかしこの街はこの街、それ以外の何でもない。生まれてからずっと過ごしてきたふるさと。
だからこれは、このパソコンがおかしいのだ。

「パソコンが壊れてるんでしょ」
「いや、こっちに輸入する前に検査は済んでいるはずだし・・。それにしても位置情報のエラーなんて・・」

どうやらパソコンは正しいらしい。しかし、それならばどうすればいいのか。
謎のエラー。なんとかアドレスやらは知らないが、位置情報というのがどうも引っかかっている。
エラーということは、その部分が問題になっているわけで。この場合は位置に問題があるのである。
だとすると、だ。
このパソコンは、この『陽炎の街』が存在しないとでもいうのか。
そんなことが――。


「え、」


そう思考を巡らせて、ふと大きな窓へ視線を移した時。
いつも陽炎に包まれた灼熱の街は、まるで古いテレビの画面に映っているかのように、ところどころが途切れていた。
私は思わず無意識に窓へ駆け寄っていた。勘違いや見間違いなどでは決してない。次第に街全体が、どろどろと溶け始めていた。
そして風景だけでなく、この家も。
私は青紫色になっていく視界に、しばらく言葉を発することも、息をすることも出来ずに立ち尽くしていた。まさか。まさか。うそだ。
記憶も意識も世界も青色に、真っ青に、私の信じていたものが一瞬にして溶けていく。
家の中までも陽炎に包まれ、ぼやりゆらりと遠くが揺れていて。

私は気付いてしまったのだ。


この『陽炎』は、ほんとうの陽炎なのだと。


確信して居ても経ってもいられなくなり、私は全速力で部屋を出た。
相生の声が後ろから私を追ってくる。

「おい沙佳!どこ行くんだよ!聞いてんのか!!」

聞き入れる隙間なんて空けられない。
私はその声を無視して走り続け、街の中心部でようやく止まった。息を切らして目を開けると、非常識な光景の世界に、当たり前のようにたくさんの人々がそれぞれの行動を行なっている。ただ、いつもと同じように。
どうしてだ。この人たちも相生も、どうして気づかない。明らかに異常すぎるこの現状に。目を背けられるレベルじゃないだろう!

「はぁっ、沙佳、いきなりどうした、んだよ!お前!顔色、真っ青・・・っ」

少し遅れて、相生が肩で息をしながら私に追いつく。
いつも通りのその表情に、私は嫌気を感じた。いや普段でも感じてはいるのだが、今回は訳が違う。本当に痛めつけてやりたいような、そんな気分になる。
思わず出そうになった手を無理やり引っ込めて、私は相生に返答してやった。

「なんで、なんで気付かないの。おかしいと思わない?」
「は?何がだよ。おかしいのは今のお前だろ。いきなり走り出すし、顔真っ青だし」

駄目だ。こいつ、おかしい。それとも、異常すぎて開き直ったのか?
こいつだけじゃない。この周りの歪んだ人間も、普通に無表情で歩いていたり、笑顔を浮かべていたり。誰一人として動揺なんかしていない。
頭が破裂しそうだ。今まで綺麗に揃っていたパズルを急にぐちゃぐちゃにバラバラにされたような絶望感と、一人だけ取り残されている孤独感が、脳の中で汚いマーブルのように混ざり合う。
考えてみればおかしいじゃないか。どうしてスマートフォンが普及している中でパソコンというものがなかったのか。街中でバスが走っているのに電車がないのか。どうしてこんなに暑いのに、人々が汗を一つもかかないのか。どうしてこの陽炎がいつまでも街を包んでいるのか。
星の数なんかより多い疑問がひっきりなしに浮かぶのに、どうして今までそれを当たり前のように感じて生活していたのか。
どうして、どうして。こんなに、こんなにここは矛盾だらけなのに。
最早何が間違っていて何が正しいか、そもそも正しいことがあるのかすら、分からなくなっていて。疑問と答えの数が天秤で釣り合わず、もう考えることすらやめたくなった。

「誰か、正しい人は・・・」

ぽつり、と、掠れた声で不特定な相手に投げかける。答えは返ってこないだろうと踏み込んでいた。
しかし、広い海に落ちた一滴の雨のようなその言葉に、はっきりとした口調で答えが返ってきた。

「やっと『気付いた人』がいた」

声は近くで聞こえたのに、それらしい相手が近くに見当たらない。と思ったら、50mほど前に、一人の小さな女の子が立っている。13歳ぐらいだろうか。
柄の入ったTシャツとミニスカートを着ていて、黒のニーソックスを着用している。格好は年相応だろう。しかし、口調だけは年相応とは思えない。
ぐちゃぐちゃの街中で、その子だけがはっきりと存在していた。

「あなたみたいな人を待ってた。待ってたって、どうにかなるわけじゃないけどね。私は香奈。あなたと同じ」
「え、わ、たしは、紗佳」

思わず言葉がどもってしまう。自分より幼いというのに、私はその存在感に押されていた。
香奈はちょっとだけ微笑んですぐ表情を戻し、こっちに来て、と私に告げる。走り出した私に、相生が後ろから追ってくる音が聞こえてきた。香奈もそれに気付いて、相生にも声をかける。

「あなたも気付いた人?2人も出るなんて思わなかったわ。私は香奈」
「は?・・紗佳、この子の知り合いか何かか?」
「いや。・・・香奈、気付いたってどういうこと?あなたも分かるの?」

香奈はどこか無感動な印象を与える表情で頷く。さあさあ、と暖かいのにどこか冷たい風が吹き、香奈の少し茶色かかった長い髪を揺らした。

「10歳の頃事実を知ったの、この街は存在しないものだって。それからずっと、仲間を待ってたんだ。居ると安心するでしょ?」
「・・・そんな・・」

投げ出されたのか、一人でこんな空間に。それも長い間。
私なんて、さっきの数分間の間でも壊れそうになったのに。彼女は受け止めて耐えたんだ。
香奈の強さもすごいと感じたが、それよりもその事の恐ろしさにさあっと血の気が引く。

「この街が・・・?・・・・う、うわっ!?何だよこれ!紗佳!!」

私の隣で、相生が彼女の言葉で街の種明かしを余儀なくされ、わあわあと騒がしくあわてふためいている。
そいつをよそに、私は香奈に疑問を投げかけた。

「・・でも、それじゃあ街全体に広めればよかったんじゃないの?そうすれば、そんなに長い間待つ必要なんて・・」

相生の様子を見ても、陽炎のことに意識が行ってしまえば、この現状に気付くことができるはずだ。
この子もそれは分かっているはず。それなのに何故実行しないのか。

「無理よ。だって私達以外は、皆この街と一緒だもの。少し注意して見れば分かるけど、皆繰り返し同じことをしてるだけ」

まさに絶望的だった。
それはつまり、私達だけが『本当の存在』であることを意味しているのだろう。
思い返して見れば、確かにそうだった。私の母も、毎日同じことを繰り返し、毎週同じ内容のテレビを見て、毎週同じメニューのご飯を作って、毎日同じことを私に話していた。今になってみれば違和感ありまくりだ。それなのに私は、それに何の疑問も抱かずに過ごしてきた。
疑問よりも、恐怖感がそれを上回る。下手すれば私は、一生そうしていたのではないかと。
いや、もしかして、一生というものすらないのかもしれない。
何が本物で、何が偽者か。事実を知ってしまうと、もう分からなくなる。

「じゃあ、どうすればいいんだよ。何とかしないとやばいだろこれ!」
「言ったじゃない、待ってたってどうにかなるわけじゃないって。・・この街で過ごすしかないわよ」
「そんな・・・そんなの嫌だ!!お前だって嫌だろ!?逃げたいとか思わねえのかよ!」
「思わなかったわけではないわ。でも行動しても無駄なの。だから私は待ってた」

元から高揚のない香奈の声が、より一層冷たく、全てを投げ出したような声になった。
彼女はもう、諦めている。誰から見てもそうだと思えるだろう。だが彼女は、ずっと待ち続けていたのだ。
仲間だと思える、私達のような存在を。
寒気がした。恐怖が私の中で飽和して、考えることが上手くできなくなってくる。
香奈はまた色のない表情をして、私達にこう告げた。

「ここからはもう出られない。出口なんてないの。死ぬまでここで過ごすしかないわ。
何をしようとどうにもならない。本当のことなんてわからないの。もしかしたら、私達も・・」

続きは聞こえなかった。言わなかったのかもしれない。もしくは私の耳が拒絶したのか。
街は絶えず溶け崩れ、だが消えることはしない。人々はそれに気付かずに生き続け、世界に翻弄され続けている。
何が真実で、何か嘘か。
見抜く人がいるのかも分からない。
馬鹿な私達は、ただ従い続けるしかないのだ。

今まで見ていたさわやかな空とはかけ離れた黒い空が、私たちをずっと見下している。
絶望しきった私は無意識のうちに、ただただ自分の手首を見つめていた。









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完結です。なんか書く話が毎回バッドエンドだ
ハッピーエンドのほのぼのした話を!かきたいです!
とはいえ今練ってる話もバッドエンドなんですけどね。ウヘェ
ちなみに「感想文が来る」の文字に釣られてどこかの会社に送ったものでもあります。
感想って大事ですよね。










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