01

 きらきらと舞う音素の粒子が、大層美しくて、恐ろしかった。
 その時も、翡翠色の瞳が、まあるく、こちらを見つめていた気がする。





 よく晴れた、新年もほど近い日のこと。
 もはや城とも言える邸宅の中で、私は、とある御仁の視線から、逃げるように背を向けている。
 神託の盾でも、これほどの居心地の悪さを感じたことはなかった。

「ーーでは、ルーク様を任せたぞ、ナマエ」
「あ、はい。かしこまりました」

 慌てて、取ってつけたように拳を胸に当てたのが少し恥ずかしい。そんなに初な年でもないのに。
 恐ろしいばかりの上長だが、今日ばかりは、私のおかしな様子に気づき、不安があるとして連れ帰ってほしかった。そんな私の思いなど露知らず、上長は深く頷き、公爵夫妻やその御子息に向かって挨拶をし、あっさりと退出してしまった。
 さて。残されたものは仕方ない。速やかに挨拶をし、退席を許してもらうしかない。

「改めまして。これから代理を務めます、神託の盾騎士団特務師団、ナマエです。よろしくお願いいたします、公爵様、奥方様。そして、ルーク様」
「あ、ああ。よろしく……ナマエ」

 なぜだかぎこちなく、なぞるように呟かれた名前がひどく胸をざわつかせる。
 それからしばらく視線が合い、ルーク様は、困ったように、何故か、少し気落ちするように笑った。初対面の相手に対して、どう反応すればいいのか、まるで検討もつかない。
 そう。何故かこの御子息ーールーク様から、部屋に入ったときから、熱視線を向けられている。
 いや、なぜ……?

「しっかりしたお嬢さんだこと。色んな場所に任務で赴かれていると聞いていますよ。よろしかったら、ルークに色んな話を聞かせてあげてちょうだいね。この子は記憶喪失になってから、屋敷の外には出してあげられなくて。せめて話だけでも……」
「シュザンヌ、やめないか。ナマエ殿はルークの剣の相手として滞在するのだ。年若い女性に余計な気を遣わせるものではない」
「あ……あら、わたくしったら。そうね、差し出がましい事を言ってしまって。ごめんなさいね」
「いえ……」

 しめた。このまま不必要な接触はしなくていいと釘を差されてしまえば、私も最低限の仕事で済みそう。
 そのとき。す、と、左隣で手が上がる。

「あー、あの。良かったら、俺が屋敷を案内してもいいか?」
「えっ」

 えっ。







「向こうは使用人たちの部屋と厨房、食堂がある。ナマエはそっちで飯を食うのかな? 師匠は住み込みじゃなくて通いだったから、たまに俺達と一緒に食べる程度だったけど……。けど一緒だといいな。うちの料理人の腕は確かだぜ」
「……そうなんですね」
「こっちが中庭。いつもヴァン師匠とはここで訓練してるんだ。ペールって庭師が花壇を整えてるから、花もきれいだぜ。俺にはそういうのよくわかんねーけど……あ、俺の部屋もこっちにあるから、いつでも声かけてくれよな」

 必要最低限でいいかな……。
 やたらと機嫌が良さげなご令息の後を、不景気な顔をして歩く。被検者ゆずりの整った顔が、優し『すぎる』顔を向けてくるこの状況、非常に居た堪れない。
 これはそういう罠だろうか。不敬罪を誘い早く私を追い出そうとかそういう……だとしたらとんでもない策士だけど。

 私に審美眼はないけれど、屋敷の至る所に置かれている調度品も、歴史あり値が張るものばかりなのだろう。
 人生を歪められたアッシュが、数年前まで過ごしていた場所。人工的に作り出された彼が育った場所。
 そこで、なにも知らないはずの少年は、不必然さを感じるほど穏やかに笑っている。私に向かって。

 妙だと思う。ただ、不快ではない。

「あのさ」
「はい」
「急に決まったことなんだよな。戸惑ってるだろうけどさ……これからよろしくな、ナマエ」

 困ったように頬をかき、行こうぜ、と先を促す少年の後を歩く。
 なんだか、先程は暗い顔をして申し訳ないなとすら思った。少年の持つ雰囲気のせいだろうか。なんだか少し、ミョウジに似ている。性格というより、なんというか……レプリカらしくないというか。
 まさか、と首をふる。異世界からの渡航者がそんなにいちゃたまらない。今はただ、これからの数ヶ月が平穏であるならいい。
 少なくとも、仕事相手の少年とは、穏やかな関係を結べそうだ。







 そう思った時期が私にもありました。

「まぁルーク! 私(わたくし)とのお茶会には消極的ですのに、他所の軍属の方とは場を設けるなんて。私という婚約者がありながら、一体どういうおつもりですの!」
「うげ、ナタリア……どこから情報を……!」
「バチカル内の事で、私に分からぬことなどありません。巷で一番人気の菓子店すら当てられぬ貴方とは違いましてよ」
「王女の情報網と比べるなよ……」
「立場による差ではなく、日頃の行いによる人望の差ではありませんこと? 先日また授業を抜け出したそうですわね。今日はその事についてもお話しに参りましたのよ!」
「えー……なあ、その話今じゃないとだめか? せっかく来てくれたナマエに悪いしさ……」
「まあ、お客様を言い訳になさるの? 殿方としてみっともなくてよ。ほら、貴女も立っていないで、もう一度お掛けになって」
「え……ああ、はい……?」

 促されて思わず座ったけれど、目の前では、王女と公爵子息が痴話喧嘩を繰り広げている。
 何この状況? いいよもっと言って王女様、本当にご尤もだし私も早いところ離席したい。
 紅茶は美味しいし、一番人気でないらしい茶菓子も私の知る中では一級品である。ルーク様との他愛ないお喋りも嫌いではない。
 ただ、私は泥棒猫になる心積もりなどサラサラ無く、蹴られてはたまらないので、おじゃま虫として退散したいのである。
 なのに、それを阻止する少年と、非難するようでいてなんだかそうでもない言い方の王女様に、私の方が焦る。
 私の感覚が間違えているのだろうか。長く軍属の身でこういうことには疎いので、判断に困る。ただ、好ましい状況ではないことくらいは、分かる。分かっているはずなんだけど。

 ちらりと、王女様を覗き見ると、バッチリ視線があってしまって、ニコリと美しく微笑まれた。権力者の持つ場馴れした圧は感じるけれど、私を排除しようとする意志は見られない。
 それに、色恋沙汰のとき、女性は金切り声を上げるものだと思っていたけれど、この人は違った。怒っているようで上品に、嗜めるように婚約者へ言い募る様は、仕方がない弟を叱る姉のようだ。

 そう。ルーク様とのお茶会(と言う名の暇つぶし)は、これが初めてではない。わりと頻繁に実施されている。何故か。
 今回はたまたま、公爵夫人の『私へのねぎらい』でテラスできちんとセッティングされているが、基本的にはそのへんの庭の隅で、ルーク様がくすねてくる高級菓子を貪っている。
 最初こそ私も遠慮したり、気配を感じたらそれとなく避けていたけれど、いかんせん住み込み軍人は暇である。あと、なんとなく哀れになって、つい応じてしまったのがいけなかった。
 それからズルズル続いて、本日に至る。いつもルークに付き従う男がいい顔をしなかったが、そんなことは本人に言ってほしいと直訴した。
 男は困った、とばかりに肩をすくめていた。

「それで、ご紹介いただけませんの?」
「って、お前も参加するのか? 今忙しいんだろ?」
「婚約者とお茶を飲む時間くらいあります。ほら、ルーク」
「わぁったよ……えっと、彼女がナマエ。ヴァン師匠の部下で、譜術士なんだ。ヴァン師匠が教えられない間、俺の剣術の相手をしてくれてる」
「ご紹介に預かりました、ナマエと申します。よろしくお願いいたします」
「お話は伺っています。大変実力のある方だそうですね。そのお年で神託の盾首席総長からご指名を受けるだなんて、ご立派ですわ。お会いできて光栄です」

 これには流石に慌てて口を開く。一国の王女からそこまで賞賛されるような事などしていない。

「そんな、そこまで評価していただけるほどの人間ではありません。私はしがない孤児の生まれですから、高貴な方のお相手が務まるどうか」
「生まれは関係ありませんわ。ただ事実を述べただけですもの。ねぇ、ルーク?」
「そうだぜ。ナマエはすごいよ。めちゃくちゃ頑張って腕を磨いたんだろ?」
「本当に、そんなことは……」

 途方に暮れて、堪らずに視線を下げる。
 神託の盾に拾われた子どもとして、求められるがまま、生きるために身に着けただけのことだ。向上心があるわけでも、望んでここに来たわけでもない。
 それを、こうも努力家な善人のように扱われてしまっては堪らない。私は一体何を求められているのだろう。

「さあ、楽しいお茶会にいたしましょう。タルトはお好きかしら?」
「いや帰れよ……」
 
 俯いた視界の隅で、ルーク様の手が僅かに浮き、また膝下に戻っていくのが見えた。








「そんなにご不満なら、貴方がどうにかしてくれませんか?」
「ワワワ分かったからとにかくその手を話してくれ悪かったこの通り!」

 粉塵が舞うほどのバックステップを見て、ものすごく複雑な感情を抱いた。これでは女嫌いというより、立派な恐怖症ではないか。私には関係ないけど。

「ただ物珍しいだけではありませんか。5年以上もお屋敷から出られていないのでしょう? 外の情報に餓えて」




「あいつは」

「貴方の嫉妬なんて知りません。」



「どうして?」

「どうして、私に、その……そこまで?」

 なんと表現していいのか分からない。らしくなく手の指をすり合わせて、窓の外に視線を逃がす。
 ただ、何某かの、大きな感情を向けられていることくらいは、分かる。それがけして悪いものではないということも。
 だって世界は、常に私に素っ気なかった。こんなにも、眩しいものを見るような視線は、生まれて初めてで。
 それがひどく、こそばゆく。居心地が、悪い。

「」



「ナマエじゃないとだめだ」

「ナマエがいいんだ」


「行こうぜ。師匠と俺の友達が待ってる」




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