ご馳走になりました

 彼の名はレッド。若きポケモントレーナーだそうだ。
 出会い頭にトレーナー、恐らくはポケモントレーナーかとだけ問われた。いやいや違います。首を振ると瞳が静かに伏せられる。ポケモントレーナーを待っていたんだろうか。……こんなところで。
 まだ少年らしさの残る顔つきだが、黙した横顔はひたすらに無口無表情を貫いている。落ち着かないなぁ。

「あの」
「……なに?」
「ここどこっすかね」
「シロガネ山」

 ――名前すら知らないのか。訝しげに、短い固有名詞が不思議そうな響きを帯びる。区切られたのをいいことに、鈍いふりをして箸を進める。ご馳走になっててすみません。盛大に空腹を主張した素直な胃袋が憎い。でも体は資本だからな。

 どうやらここ、正しくは山らしい。
 そりゃ怪しむのも最もだ。そりゃ名前も知らずに登山する人間なんかいないよなぁ一般的に。……でも、少年が(ポケモン連れてるけど)一人で登山するのも一般的な思考では考えにくいと思う。見た目俺より年下っぽいし。
 ポケモンは幼い頃アニメで少し見たくらいで、正直シロガネ山がどこにあるのか解らない。ぶっちゃけレッドも最初はサトシかと思った。いや全然違うけど。それにしてもカレー旨いな。レトルトだけどさ。腹拵えの準備中に出会してよかったとか思って本当にごめん。でも遠慮なく食べる。

 ていうかどうして俺こんなところにいるんだ。

 ちらりと、別に疚しくもないのにこっそり斜め前を見た。レッド少年の足元で、ポケモンフーズと思わしき固形の食事を幸せそうに摂る電気鼠、もといピカチュウがいた。ポケモンがいた。ポケモン。種類は五百以上。ポケットモンスター。縮めてポケモン、ねぇ。
 現実だよなぁ、今。

「どうしてここに来たの」
「え?」
「シロガネ山に」

 目が覚めたらここにいました。
 ……自分でさえ不可解で不明瞭なこの事象をどう説明しろと。咄嗟の出任せも思いつかない。面倒になってありのままを話す。

「普通に家で寝て、起きたらここにいたんだ。どうしてか」
「…………」
「や、そりゃおかしな話だけどさ、本当にそうとしか言えなくて。ポケモンとかも、初めて見たからすごいびっくりしたし」
「初めて?」

 俺の発言を受けてか無愛想が初めて表情を崩した。ポケモンと共生する世界においては、俺くらいの歳になってもポケモンを見たことがないなんてあり得ないんだろう。触れ合う機会なんてそれこそ星の数だろうし。加えてこんな山で一人野宿(しかもキャンピングセットが本格的だ)をしポケモントレーナーを(たぶん)探していた少年にとっては別次元に違いない。

「ポケモンを見たこと、なかったの」
「そう。実物は初めてだ。今も感動してるよ。ピカチュウすっげーかわいいなぁ……。触っていい?」

 今更とはいえ期待を込めて少年の反応をうかがう。感情は読めない赤の瞳がじっと俺に焦点を合わせていてぞくりとした。深い赤に焚き火の橙が煌々と揺れている。
 無意識に拳を握った。……目を逸らせない。
 ふと、レッドがピカチュウに目配せをした。するとぴちゃあと鳴いたピカチュウが俺に寄ってくる。すっげ。俺アイコンタクトなんか初めてみた。彼(仮)が俺の膝に飛び乗り体を丸めた時点でようやく、肩の力が抜けて間接が痛みだした。
 緊張、してたのか。

 ピカチュウの頬をつまみ耳を撫で、甘噛みを甘んじて受けながら完全に緩みきっている俺に、レッドは何も言わなかった。じっと俺たちのじゃれあいを眺めている。俺は一人でポケモン代表マスコットとの戯れを続行。意外とずっしりだ。

「……それで、どうすんの?」
「んー? どうって?」
「ずっとここにいるつもり?」

 ……そういえば、どうしよう。すっかり和んでしまったが、悠長に構えていいものだろうか。

 再三繰り返すが、俺はいつの間にかシロガネ山とやらの洞窟内にいた。こんな装備で登山に踏み込むなどの暴挙を思い立った記憶もない。軽装以前の問題だ。山をなめている。そしてシロガネ山の位置もわからない。果たして俺の世界に「シロガネ山」が存在するかわからないし、第一ポケモンなんて規格外だ。誘拐の線もないな。

 じくり、じくり。
 不安や恐怖といったものが思考を蝕んでいく感覚って忘れがたいものだ。ここは俺が知らない世界。俺の常識が通用しない世界。俺が存在しない世界。なら俺の家はどこだ? 家族や友達は、どうしてる?

 なんで俺、こんな目にあってんだよ。



 考え事に気をとられて手が止まっていたらしくて、ピカチュウに頬を叩かれた。ソフトタッチに心の涙腺緩みそうだ。

「ほんと、どうしよう。俺の家、あるかわかんないし。母さんや友達とかは、たぶん……いないし」

 どうしよう。何をどうすればいいんだろう。
 だらりと投げ出した腕の中に、ピカチュウはまだ居座ってくれた。二人(一人と一匹)ともに真っ直ぐ見つめられても止まってしまった頭は再起動しなかった。
 静かながらも自然の息吹が鳴る、深海みたいな空間で、俺の存在は酷く場違いだ。

「三日、……いや、二日後」
「なに?」
「人が来るから、連れて行ってもらえばいい。町に」
「人……? 行くってどこに?」
「……トキワ? まぁ、あいつに任せる」

 わぁなんて投げやりな。脱出経路を提案してもらえただけ良い人だけど。
 レッド氏曰く、その人は彼の幼なじみにあたり、名前はグリーン、きっとライバル的立ち位置だと勝手に確定。あとはグリーンがシゲルに似てたら初代確定だな。要はそのグリーンが来たら一緒に下山しろと仰せだ。餓死や凍傷の危険がある山奥よりずっといい。不安要素には目をつむって、俺はほとんど二つ返事で頷いた。

「迷惑かけてごめん。でも、それならレッドはどうするんだ? まさか下山しないなんてことはないだろうし」
「…………」
「…………」
「…………」

 ふいとそっぽを向かれる。レッドは無言。俺は沈黙。真っ赤に燃える薪がはぜた。





'091113



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