遭難しました

「どこだろうな、ここ」

 小さな黄色い動物を撫でると、彼(彼女?)はぴちゃあ、と弱々しく鳴いた。
 突然だが、只今絶賛遭難中である。



 ――寒い。
 かじかむ手足のむず痒さに驚いて目を開けたら、そこは見慣れたあの部屋じゃなかった。ついでに温かい毛布も布団もない。咄嗟に異常事態だと判断した頭が、慌てて上体を起き上がらせて……たぶん五分くらいか?
 そこは所謂洞窟、に見えた。薄暗いってレベルじゃなくて、一寸先は闇ってやつ。少なくとも自宅じゃない、それくらいはわかる。わからなきゃこれまでの記憶全てを疑わなきゃならない。
 ただその事実は俺を混乱に陥れるのに十分だっただけで。

 俺の自宅は、住宅街のコンクリートジャングルにある。姉が一人立ちしたことで、この春にありがたくも一人部屋なんかをもらい、しかもネット回線の引かれた部屋で、エアコンだって自由にオンオフ選べる素晴らしい生活を送っていた。……はずだったのになんだこのサバイバル状態は!

「さむ……」

 確かに冬だ。軽く最低気温が氷点下下回っちまうくらいの、俺が住む地方にとっての絶頂期だ。だがここは現代っ子。厚手の毛布を二、三枚重ね、エアコンを暖房でタイマーをセットし、明日の朝ぬくぬく起きられるよう寒さを耐えて眠りについた。
 はずだったのに。

 ……やばい。
 これ紛れもなく洞窟だ。

 しかも相当深い、足音さえ反響する深遠の地。すきま風が不気味すぎる。精神力を削っていく手の冷えを誤魔化そうと必死に擦ってみたけど、体力を消耗しただけで効力なんか雀の涙だ。よく考えなくても俺今寝間着だけで冷気にさらされてるんだよなんてこった!
 睡眠だけはたっぷり摂ったのか余計にひもじい。薄暗さがさらに気力を削いでいく。いい機会だし脂肪燃焼されないかなぁなんて考えてるあたりまだ死なないんだろうな俺。脂肪燃焼なあたりつくづくインドア思考だ。肥満怖い。

「……こ、怖っわいなぁ予想以上に。人いねーかなぁ。なぁきみどう思う」

 薄暗がりってことは、どこか近くに光源があるんだろうけど。壁に近寄るのが怖くて、唯一安定した鼓動を感じる質量を抱き込む。
 へっぴり腰の無茶ぶりな質問に、

「ぴかー」

 黄色い電気鼠は間延びした声で鳴いた。
 間違いない。こちらピカチュウ様だ。

 ……なんでだ。





 そもそもリアルにポケモンがいちゃおかしいだろと突っ込まれようが、まずこの遭難状態で頭がフリーズしている為に最もなリアクションは取れなかった。
 いや確かに驚いたよピカチュウ。でも考えてみろ、どことも知れぬ暗闇で一人ぼっちの中に超かわいいピカチュウがとてとて近寄ってきたらすがらずにはいられないだろう。見たところ警戒もされてないみたいだし。温もりを奪って申し訳ないとは思えど、今手放したら死ぬ気がした。体温とか寂しさとかで。
 おかげで心拍数も落ち着いたころ、ふと今度は腕の中の生き物をちら見する。あ、目があった。

「……きみ本物?」
「ぴかぴ」

 しゅたっ!
 すぐさま肯定するように挙手された。やっべぇ超かわいい。耳の下をくすぐってやると、また鳴いて身をよじる。癒し系ぱねぇ。楽園はここにあったのか。

「ここどこだかわかる?」
「ぴかぴーかっ!」
「……ごめん。俺がきみの言葉わからなかった」
「ぴ……」

 しょんぼりと耳を垂らしたピカチュウ様は、やがてぴんと耳を立てると、身軽に腕から飛び出してしまった。
 思わず伸ばした手を掴まれて(手もちっちゃいなぁ)、ぐいぐいと引っ張られる。
 恐る恐る見上げたその先になんとか見えるのは、やはりひたすら薄暗い通路。というか横穴。

「……え、あっち行くのか?」

 さらに高らかな声で呼ばれる。ぶっちゃけ見なかったことにしたい。





 すみませんごめんなさい嘘です。
 ……ついてきてよかった!

 ピカチュウに先導されつつ人気どころか静寂そのものの荒い道を行くこと数分。ピカチュウの存在が天使に思えた。ていうか天使だ。
 じんわりと明るさが強くなってきたかと思えば、角を曲がった先に火の灯りが見えて、その場にへたりこみそうだった。俺の数歩前をかわいらしく、でも俺より遥かに堂々と歩んでいたピカチュウは、最小限の炎に照らされた影の元へと駆けていく。
 彼(彼女?)がそのまま影に寄り添ったのを見て、俺は弾かれたように声を上げた。

「あ、あの! すみません!」

 ――人!
 嘘だろ、人がいる!

 赤い帽子に赤い上着、それからズボン。遠目から見ても、その出で立ちは少年と見える。
 反響する俺の上擦った声に、ただ一人で焚火を見ていた人は、俯いていた顔をゆっくりと上げた。
 その間にも距離を縮めていた俺は、ふと帽子から覗いた瞳と視線がかち合い、無意識に足を止める。
 ……いや、語弊を正す。勝手に、足が止まったんだ。

 まず何よりも、鮮烈な赤があった。
 黒とか茶とか青ではなく、ただ深い赤。薄暗いからか紅色にも見えたし、焚火の灯りで橙に、時折白く光っている。
 帽子の鍔を持ち上げて、黒髪の少年は俺を認識すると、その赤い瞳を僅かに細める。それからこてんと首を傾けて。

「……なに、トレーナー?」
「ぴちゃー」

 ………………。
 とりあえず、寒くないですかと聞きたい。





091028 連載開始



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