Hello World ! (……どこだ、ここ) 目をつむっているとはいっても、果てしなく真っ暗だ。足元が覚束ないというより、安定した足場すらないような浮遊感が、四方から奇妙な圧力を仕掛けてくる。気分が悪いし吐きそうだ。それでも、……軋む瞼を、ゆっくりとこじ開ける。 ――その存在は、俺の目の高さで浮遊していた。薄い桃色の体と真っ黒な瞳。今はコンクリートジャングルに埋もれることもなく、この空間における絶対の支配者として、そこにいる。 試しに、ぐるりと首を回してみる。 どこまでも宇宙を思わせる場所だった。遠くで青やら紫やらの光が明滅を繰り返していて、その傍で、輪状になった黒い点が機械的にまわっている。 その形状はいくつかあった。共通するのは大きな目玉が一つだけ。不気味さと愛嬌を兼ね備えたあの生き物は、なんだろう、どこかで見た覚えがある。あれは確か、あの子が見せてくれた……。 「――アンノーン?」 ぐわり――と。 瞬間、ひどい目眩に襲われる。きつく閉じた瞼に散る彩色。岩肌、雪、空、森、町、――人。赤と緑の明滅。口は金魚を真似るのに、まだ、まだ出てこない、ああくそじれったい! いよいよ呼吸がつらくて苦しくなって、ぶは、と咳込んだ。どこか懐かしい名前と一緒に。 「……っあああああ! レッ、ド、とグリーン! う、うわっ、そうだ思い出した!」 ああ、あああ! す、すっきりしたー! こんなに呼吸が楽になるなんて! でも無表情男とピジョット好きを思い出して安心するのも妙だなぁ文章的に! いやでもいよいよどっちが夢だか現実だかわかんなくなっ「みゅう」 「……みゅう?」 不意に現実に引き戻されてみれば、もう一度桃色のポケモンが鳴いた。 小柄でしっぽのついたポケモン。浮遊しているのは、多分エスパータイプか何かだろう。それにしてもこの距離この姿形に激しいデジャヴが。 「えっと……交差点にいたのも、遺跡にいたのもキミ、だよな」 朧げな記憶の中にいる同色の存在。目を合わせると、心なしかしょんぼりとしっぽが垂れる。 少し視線を重ねたあと、その子は小さな手を俺の額に伸ばした。例の交通事故で怪我をした場所(らしい)。確か包帯が巻かれてた気もするけど、今そのきつさは感じない。 ……ああ、そうか。きっとこの子が、俺を『あちら』に飛ばした張本人なんだろう。 もしそうなら、この子はもしかして。 「このとーりもう治ったし、大丈夫だって。でも道路は危ないから、もう入るなよー?」 無駄に手をばたつかせる人間を見て、『みゅう(仮。呼びづらいから鳴き声から拝借)』はくつくつと笑う。この子は多分、俺の怪我に罪悪感を抱いていたんだ。と、思う。 そういう問題なのかはともかくとして、なぜだか『こちら』に遊びにきたらしいポケモンに説教をかますというシュールな光景の中、『みゅう』は素直に頷いてみせた。……かわいいなあ全く! 「そうだ、もし会ったら聞こうと思ってたんだ。……おれを『あっちの世界』に送った理由をさ」 もしあるなら、叶えたい。俺はそれだけのものを貰ったし。……まあ、おれのできる範囲なんて高か知れるけど。 言葉が通じるかはさておき、これだけは外せない話だった。特殊な事態に陥ったにはそれなりの理由があるだろうし、テレパシーを期待したけど、『みゅう』は間を置いて首を振っただけで。 ぐっと目を閉じる。……正直、肩の荷が下りた。 「そっか。でも、ありがとな。楽しかった」 これで俺がいる理由も意味も無くなった。……無かったの方が正しいか。その上で望むのは、我が儘ってもんだ。 でも、そうだな……さよならとありがとうを言えなかったことは、結構、心苦しいもので。 『みゅう』は俺の肩に乗っかって、その小さな指を振る。 その軌跡から光の粒子が舞い、何かを察した俺は最後の最後に無茶ぶりをし、空間から姿を消した。 ――返す時は、前もって予告してくれると嬉しいんだけどなぁ。 ――― ――俺は、名前を呼ばれるのが好きだ。 生まれてから一族の呼称と個人の名前を貰う。親しい間柄の人間には愛称がある。誰かの口が俺の名前を紡ぐ行為も、脳を震わす声も好きだ。特別で不思議な響きをもっている。そんな気がして。 「……、……トキ……」 懐かしい声がする。まるですぐ傍にあいつがいるみたいだ。……まぁまず空耳に違いないけど、これは切ないなぁ全く……。 「――おーい、トキ君」 ………………は? 君? 激しい違和感に促され、重たい瞼を持ち上げた先には、赤ではなくて茶色があった。 栗色の瞳が驚いたように開かれて、けどすぐににこりと笑顔を浮かべる。 違和感が三波くらいきた。 「やあ。初めまして」 「……えっと」 「よかった。何をしても目を覚まさないから心配したよ」 何をしたんだ何を。……じゃなくて! 椅子に座ったまま覗き込んでくる少年は、かのレッドとそっくりの顔をしていた。はねぐせのある飴色の髪と、同色の目。なんだかヒビキ君に会った時と同じギャップを感じる。いや、これはもしかして。 「レッド、じゃないよな」 「そう。僕はファイア。よろしく、トキ君」 そのレッドの弟だよ。 ファイアは姫を膝に抱いて、じゃれ合いながらあっさりと告白した。 レッドとファイアは双子だという。最近双子遭遇率がやたら高い。 髪型やその色を抜いて、レッドとファイアの間にほとんど差異は見られなかった。強いて言うならファイアが若干背が高い(気がする)。きっとレッドも笑ったらあんな感じなんだろう。美形兄弟め。 「君のことは、オーキド博士から大体聞いてる。……それにしてもびっくりしたよ。久しぶりに帰ってきたら、三年も音信不通だったレッドが帰ってきてたし」 「はあ……」 「母さんが言うには、レッドが血相変えて君を連れ帰ったらしいけど、覚えてる?」 「全く」 レッドが顔色を変えるのも想像つきません。たぶん親だからこそ小さな変化に気づいたとか、そんな感じなんだろうけど、その……まあなんだ、口数の多いレッドを相手にしているみたいで妙に落ち着かない。正直に告げるとファイアは苦笑して、レッドを反面教師にしてたらいつの間にかね、と手を開かした。 「――トキ?」 珍しく伺うような声音に勢いよく顔を向けると、片手で扉を押し開ける、思った通りの人物がいた。 扉が軋んで、それに続いた声を漏らすことなくキャッチして。 「レッド!」 「あれ、今呼びに行こうと思ってたんだけど」 「……そ」 いやいやそんなそぶりなかった気がするんだけど。……案外食えないやつなのかもしれない。 レッドがファイアの隣に立つと、ファイアは徐に椅子から立ち上がり、姫を俺の枕元に下ろす。……そういやどこか見覚えあると思ったら、ここレッドの部屋じゃないか。いつの間に……。 「さてと……僕はもう行くよ」 「行くって、どこに?」 「そうだなぁ……。まあ、僕もポケモントレーナーだしさ」 君が旅をするなら、いつか道中で会えるかも。微かな可能性を提示して、ファイアは荷物を持ち上げた。軽い足取りで扉に向かい、しかしふと立ち止まって、やがては「危ない忘れてた」と慌ててこちらを振り返った。 なんだなんだ、忙しいな。 「『君が望む時に、僕はまた時空を繋げよう』」 「は……?」 「そう、『彼』が言っていたから伝えとく。レッドをよろしくね」 「いや、世話になってるのは俺の方だし……」 「じゃあまた、二人とも」 そうして兄弟瓜二つの片割れは、爽やかな微笑を残して部屋を去って行った。そして室内は急激に静けさを増す。 ……気まずくはないけど、気軽に切り出す雰囲気でもない。今更思い出したように上半身を起こし、手持ち無沙汰に姫と戯れること5分。先に口を開いたのはレッドだった。 「気分は?」 「いや、別に悪くないけど。よく寝たって感じ」 「…………」 「いはははは」 痛い痛い抓らないでって頼むから。両サイドは痛いってさりげなく爪食い込んでるっていだだだだ! それからレッドに、遺跡で俺が気を失った後の経緯を聞いた。……まだ頬がヒリヒリする。 観光客は疎らだったとはいえ、現地では結構な騒ぎになったそうだ。曰く、研究所から氷やら掛け布団やらをかき集めたり、病院に駆け込んだり。想像しただけで申し訳ないわ情けないわ……後で各位に謝らないとなぁ。 俺はともかく、結局遺跡でアンノーンに会えたんだろうか。ジョウトまで足を伸ばした結果が無駄足っていうのもなあ。 「……原因は、多分アンノーンじゃない」 「あ、その件なんだけどさ、『みゅう』って鳴き声のポケモンとか知ってる?」 「『みゅう』……?」 「そのポケモンが俺を飛ばしたみたいで……いや、別に何をしたいわけでもないんだけど」 「…………ああ、」 ふと、下がった帽子のつばの影、そこにある赤い瞳と視線が重なる。それから姫の茶色い瞳と。「そういうことか」って……いやいや何が。あといきなり撫でるなよびっくりした。あと何度も言いたいんだけど俺はポケモンじゃない。 目で探りをいれてみても、レッドはただまどろむ姫を見つめながら、なんでもない、と呟くだけで。 ……ファイアも意味深長なことを言い残していたし、もしかすると、この双子は俺の感知しない『何か』に気づいたんだろうか。って、何にだよおれ。まぁ落ち着け。 第一に、俺はどうして、まだこっちにいるんだろう。てっきりまた交差点に帰ったとばかり思ってた。けどあの子が間違えたとも思えないし、かといって目的も理由もない。 ……もう少し、居ていいってことか? それなら嬉しいんだけどなぁ。 とにかく、俺はもう一度会わなきゃならない。あの優しいポケモンに。居場所なんか見当もつかないけど。 「前途多難というか、ついていけなくて開き直ったっていうかなぁ。だいぶほっとはしたけど……これからどうすっかなぁ」 「グリーンが、回復したら話があるって言ってたけど」 「グリーンが? なんだろな。先輩からのアドバイスとか?」 レッドは相変わらずぼんやりとした表情で、さあ、とどうでもよさそうに相槌を打った。 俺は丸一日眠っていたようで、丁度今は昼過ぎになる。レッドのお母さんやナナミさん、博士に回復の報告をしてから、グリーンに連絡を入れた。お小言は先送りにし、余裕があるなら来いという言葉で締めくくられる短い通話。少し浮ついていた声がなんだかおかしくて、思わず笑った。 みんなみんな、この世界で俺が関わった人たちだ。夢であろうがなかろうが、今の俺にはリアルであり、そしてここは彼らの現実。この世界の存在云々じゃなくて、大事なのは俺の心構え一つだ。だから、いつか帰る日が来ても悔いのないように、俺は一生懸命この世界に向き合おう。 ……あー、うん。そうだな、帰るまでにレッドの笑顔を拝むことを一先ずの目標にしとこう。なかなかの難易度だけど、まあ何とかなる。向上心は大切だ。 凝り固まった背筋を伸ばして、姫を胸に抱きかかえて。少し離れた背中を追う。 遠ざかる赤いジャケットと、その先には緑の瞳。 今はとにかく、二人に追いつきたい。 隣に立って、同じ世界を見てみたい。 そして、それは不可能じゃないはずなんだよ。 「もう少し、よろしく頼むよ」 「……ああ」 ――だって今、俺はこの世界に立っているんだ。 (and my friends!) ――故郷の大地を、澄み切った風が駆けていった。胸を満たす故郷の空気というのは、どうしてこうも安心するんだろう。 この町はいつまでも変わらない。家族も友人も隣人も、自然の中で健やかに育っていく。開発の手も伸びず、緑が豊かでまっさらな土地が、僕らの関係を保ち続けてきた。 「でもまさか、家で会うとは思わなかったなぁ……」 君が楽しそうで、本当によかったよ。この町を気に入ってくれたのかな。……それとも、あの少年を? 僕はよく知らないけれど、レッドが戻るきっかけを作った人。君が見つけた異世界の人。この町が僕を待ってくれるように、君を受け入れてくれる相手がいる。だから僕は前に進めるし、君は新しい世界を見る。それはとても楽しいことだろ? 君とそのパートナーが、この世界で何かを見つけられたのなら……それはきっと、確かな一歩だ。 ――だから、また会えるよ。どんなに離れていようとも。 「いつか、きっとね」 '100517 END. back |