遺跡に着きました 記憶に焼き付いた道路のど真ん中に姫がいて、まずおかしいと思った。夢だとわかったのは一切の音が消失しているのに気付いたからだ。 見覚えのある住宅街。モデルハウスもなければ近場には広い空き地。……のはずが、いつの間に奥行きがぼやける白い町になっていた。 ……なんだこれ。 薄気味悪い。俺が立ち尽くす道路だって、冬には石焼き芋販売車が精を出す場所だったのに。 記憶に濃い住み慣れた町だ。半月も経っていないのにひどく懐かしい。見渡す限りの白というもので、純白が影を追い出し輪郭を失わせて、網膜で明滅する。 近所の風景に似てはいるけど、これは夢だ。 だってまだ、俺はアンノーンの姿さえ知らない。 首を振りかけて、ふと止まる。 原因に、確証なんてないはずだ。なのになぜ、俺は契機を決めつけているんだろう……? 不意に、さらさら、もしくはそれに準ずる物質が擦れる音を聞いた。耳障りのいい音に導かれて顔を上げる。 姫が交差点の向こうから駆けてきていた。にこにこと上機嫌に、俺の元へ、真っすぐと。 走行車はなかった。けど騒音が耳をつんざく前に、俺の足は無意識に動いていた。 車が走ってくる。――姫に向かって。 叫んだはずの喉は呼吸ができないことを自覚するだけで、無力さを浮き彫りにする。小さなその子を抱き込んだ直後に白の世界は反転。 最後に、何かが――。 ――― 「――トキ!」 誰かの声で心臓が跳ね、遅れて意識が覚醒した。次いでベージュの天井と、俺の顔を覗き込む仏頂面が映る。 おお、朝から珍しいしかめっつらだなー。……いや、初めて会った日も似たような表情を見た気がする。 「はよ、レッド……」 「……今、……」 「ん?」 「……うなされてたけど」 「うなされて?」 ……ああ、そうだ。夢、見てたんだっけ。 どんな内容だったろう。レッドは俺が唸っていたというし、嫌な内容なら思い出したくないなぁ。エンジュシティって、それらしい曰く付きの建物とかごろごろありそうだし。 記憶の採掘に躍起になるほど、求めるものは霞んでいく。ああでも、最後にポケモンらしい影があったような……。 「トキさん、大丈夫ですか? 顔色、すこし青白いですよ」 「大丈夫大丈夫。ちょっと夢見が悪かっただけだから。たぶん」 「夢、ですか。……もしかしたら、ゴースト系かエスパータイプの仕業かもしれませんね」 朝食の席で向き合うなり、ヒビキくんから「体調が悪くなったら言ってください。無理は禁物ですよ」と釘を刺された。旅人の心得なんだろうな。心配をありがたく受け取って、姫を膝へと抱き上げる。姫は嬉しそうに笑った。 滞在中、レッドはジムに挑戦しなかった。時間はあるけどいいのかと確認したけど、一瞬足元に視線を落として、レッドは一つ頷いた。つられて俯くと、姫が不思議そうに落ち葉を摘んでいた。相変わらずのかわいさだ。ははは、ぷりてぃーってこういうことか。 陽が昇りきる前にはエンジュシティを出て、年下ナビゲーターの示すまま、国道沿いに遺跡を目指した。アサギシティを出た時点で気づいたけど、地方によって生息するポケモンも全く違う。全国各地を巡るトレーナーは、何百というポケモンと出会えるわけだ。信頼する相棒たちと共に。 アルフの遺跡は想像よりも土地が広く、検問を潜ったすぐそこに、研究スタッフが滞在するという建物があった。迷わず研究所へ向かうヒビキ君の後に続くと、彼はスタッフと親しげに会話をしていた。遺跡の謎の解明に大きく携わっただけあって、なかなかにヒビキ君は評価されているそうだ。 それからヒビキ君は荷物から四角い石版を取り出して、そっと研究員に手渡す。きっと大事なものなんだろうな。それには鳥のような絵が彫られていた。 「ホウオウっていう、伝説のポケモンだそうです」 「へー、鳳凰か。そのホウオウもここにいたとか?」 「現在特定には至っていませんが、私たちはここが縁の深い土地だったのだと推測していますよ。 ところでヒビキ君、今日はどうしたんだい? もしかしてアンノーンの新型が……」 「あ、そのアンノーンのことなんですけど……えっと」 ヒビキ君からの目配せに応じて、研究員の男性に掻い摘んで事情を説明する。男性は興味深そうに耳を傾け、やがて快く協力を約束してくれた。いい人だな……! 「アンノーンの体格は一つじゃなくて、文字や記号の形に似てるんです」 「ヒビキ君を見込んで、データ採取をお願いしているんです。本当に助かっているよ」 「僕も楽しんでやっていますから。伝説のポケモンの石版を見れたり、隠し通路を見つけたり」 少し照れくさそうに笑みをこぼす少年。ほほう、兄に負けずアクティブだなぁヒビキ君。ジムに挑んでいないとはいえ、相応の実力を備えているんじゃなかろうか。 渡された冊子には、約十二体のアンノーンの写真。これでもまだまだ記録しきれていないらしい。他の出現には特定の条件を満たす必要があって、今後も相当な時間を要するんだそうだ。 慣れた様子で階段を下りていく二人に倣うが、薄暗い中での梯子というのは言うまでもなく足場が悪い。揺れが恐ろしい具合なんだが足滑らせて落ちて潰したらごめん二人とも。……無事に下りたけど! 地下に人工の明かりはなく、どこからか光が漏れているらしかった。慣れてしまえば視界に不便はない。 ちょうど昼に差し掛かったころだろうか。ふらふらと壁画に近寄ろうとした瞬間に襟首を掴まれた。 「レッド?」 「あまり、離れない方がいい」 「あ、そうか」 ……すっかり失念してた。アンノーンも野生のポケモンなんだよな、うん。下手に刺激しちゃまずい。大人しく二人の間に収まった。俺じゃ殿は務まらないし。 ヒビキ君からは一歩遅れ、レッドより一歩先に、遺跡の地下道を巡る。レッドはともかくとして、やっぱりヒビキ君もトレーナーなんだよな。彼が連れ歩くゴースと目が合えば、意地悪そうに笑ってみせる。仲いいなぁ。 地下の空気は湿っぽくて、冷えた大気が鼻腔を刺激する。外からは水辺も見えたしそのせいだろう。 そして、ここにはアンノーンがいる。もしかしたら重要な足がかりになるかもしれない。 そしたら、俺はみんなとお別れなのか。 霊妙な雰囲気の中をしばらく突き進んだが、やがてヒビキ君が唸って立ち止まった。いまだアンノーンはおろか、野生ポケモンの一匹だっていない。むしろ生命の息を感じない気がする。 「おかしいなあ……いつもはもっと……」 「どうかし、 ……ん? 姫?」 不意に、手のひらから温もりと毛並みの柔らかさが消えた。 すり抜ける冷やかな風にぞっとして、慌ててあたりに視線を走らせる。反証する足音を辿れば、姫はすぐに見つかった。 ああよかった、野性ポケモンと出くわしたらひとたまりもない。 安堵に胸を撫で下ろそうとして、はっと、思わず咳き込んだ。 ――あっち真っ暗なんだけど……! 「姫! そっちはダメだろ!」 「トキ!」 無用心に駆け出して、レッドの声がした時には、姫は俺の腕の中にいた。 駆け出す姫と追いかける俺と、細い道。酷い耳鳴りがする。デジャヴってそう頻繁に起こるもんじゃなかったはずだ。姫は無事だしぬくもりも確かにある。 ……でも、俺は何か、忘れてるんじゃないか? 地面が揺れる。大げさに脈打つ心臓を宥めようと腕の中を覗けば、そこには抱きかかえられるほどに小柄で、そう、肌は桃色の――。 「ひめ……?」 みゅう、と。 それは、とても楽しそうに笑った。 '100306 back |