昔、弟と、よくヒーローごっこをして遊んだ。
 紙を丸めて剣を作り、弟が正義の味方で、俺は街を荒らす怪獣だ。剣には精霊の力がこもっていて、一太刀浴びせれば、怪獣は呆気なく倒される。そんな、どこにでもある兄弟のごっこ遊び。
 けれど気の弱い弟は、芝居で倒れる俺を毎回心配して、怪獣に和解を申し出るような子だった。心優しい弟を可愛がりながらも、ドロドロの覇権争いを繰り広げる一族の中では生きづらいだろうと心配になる。
 俺も、スヴェント本家の長男として、愛する弟や家族を守ってやらねばと、幼心に使命感を抱いていたはずだ。


「──兄さん」


 新聞紙の剣を抱えた弟が、今日も不安そうに眉尻を下げて、俺の元へと駆け寄ってきた。明るい庭で、芝生が青々しく、健やかさを感じさせる風景だ。
 かわいい俺の弟。抱きしめて、大丈夫だと笑ってやらねばならない。


「アル──……」


 膝をつき、両手を広げる。駆け寄ってくる小柄な影に微笑み、ふと……押し寄せた違和感に息を飲む。

 弟の、髪の長さが変わる。体格が変わる。目の色が反転する。──いや。
 ──そもそも、弟は、どんな顔をしていたか。


「兄さん」


 高いような、低いような、男のような女のような。甲高い声が耳に突き刺さる。俺を責め立て、平衡感覚を奪っていく。その影が弟だと、確かに認識しているのに、俺はその姿を思い出すことすらできない。
 その事実に、呆然として、言葉も出ない。どの口が、愛しているだなんて言えるのか。


「兄さん」


 新聞紙が光沢を浴び、重量感を増し、その切っ先を鋭利に尖らせていく。エレンピオスじゃ時代遅れなそのディテールは、美しい芝生の庭にひどく不釣り合いだ。
 小柄な影が、重たいはずの得物を軽々と持ち上げる。その切っ先がきらめくのを、俺は。




×




「──ねえ、アレク、ねえってばー!」

「っ……」


 ぐわんと、天地がひっくり返るような目覚めだった。夢の内容はかき消えてしまったが、全身に、嫌な汗をかいている。
 大きく体を震わせながら顔を上げると、レイアが俺のシャツをつかみ、必死に引っ張っているところだった。


「レイア……?」

「ジュードがね、へんなの。ちょーしわるいの?」

「ジュードが?」


 言われて辺りを探せば、近くの芝生でへたりこんでいる子どもを見つけた。駆け寄ると、大きな目をとろんと潤ませて、しきりに瞬きを繰り返している。
 顔色は悪くない。俺が近寄って抱き上げると、ジュードは俺の胸に顔を埋めて、くたりと体から力を抜いた。体温がぽかぽかと温かく、眠たそうに目をこすっている。


「眠いのか、ジュード」

「……ん……」

「レイア、ジュードは眠いだけみたいだ。昼寝させてくるけど、お前はどうする?」

「ん〜……レイアも、おひるねするー……」


 つられて眠気に襲われながらも、一人で歩けるレイアの手を引き、部屋へと上がる。ジュードの靴を脱がせてベッドに寝かし、レイアもその隣に寝転ばせて、その上に軽い布団を掛けてやる。
 外で遊んで疲れたのか、二人はすぐに寝入ってしまい、すっかり部屋が静かになった。規則正しい寝息を聞きながら、汗でひたいに張り付く髪をどけてやる。

 昼寝自体は珍しくはないが、それにしては時間が早すぎるし、それが毎日だ。もしかすると、夜に寝付けていないのかもしれない。
 これだけ環境の変化が著しければ、大人でも無理はないのだ。子どもならなおさらか。しかし、それならばどう対策すべきだろう。せっかくジュードをマティス家に届けたのに、俺が寝かしつけに行っては意味がないし、家族団欒の邪魔なんかできない。……いや、そもそもだ。


「……こんなのも、要らぬ世話か」


 いつまでも、親気取りを続けたがる頭だ。
 大きく息をして、いつも通り本の世界に浸ろうとするものの、簡単な文字すら頭に入ってこない始末だ。俺はここまで過保護だっただろうか。いや、弟に対しては、特別だったかもしれない。
 けど、ジュードは俺の弟でなければ、血の繋がった家族でもない。
 ジュードは元々この街で生まれ、マティス夫妻の元で育ち、きっとレイアとも友達になっていた。長閑な街で健やかに育ち、勉学の機会を与えられ、危険とは無縁の豊かな生活を送っていただろう。
 俺はこの数年で、ジュードに何を与えてやれたか。エレンピオスへの希望だと思って嫌々匿い、何度も村で一人にさせた。親が見つかれば、こうして放り出して、自分のやりたいことをしている。なんとも中途半端で、身勝手極まりないことだ。


「……母さん……アルフレド……」


 思ったよりも、情けない声が漏れた。顔を覆って机に蹲る。日々、少しずつ、家族やジュードへの罪悪感が膨れ上がることから目を背けている。
 この8年で、家族の声も、顔も、表情も忘れてしまった。思い出だけは取りこぼさないように抱え込んでも、隙間から、ぼろぼろと溢れ落ちてしまう。ジュードの存在は、俺にとって免罪符だった。それが無くなった今、顔のない家族たちが、俺を言葉もなく責め立ててくる。

 父さんがいない今、ジランドール叔父さんにとっての一番の厄介者は、本家の跡取り息子である俺とアルフレドだ。中でも俺は叔父さんに気に入られていなかったから、アルクノアに取り入ったとして、まず良い扱いは受けないだろう。きっと、アルフレドも一緒だ。
 ミラと出会わなければ、きっと俺は、ジュードを送り届けた直後にアルクノアへと向かっていた。叔父さんに嫌われ、利用されて、汚れ役を引き受けることになっても構わない。第一優先は弟と母だ。なら、二人を守るのが兄の、当主の役目だ。
 なのに、俺は役目を先送りして、黒匣の勉強なんかに没頭している。エレンピオスを救う手がかりがあるかもしれないのだ。もしもエレンピオスに帰れたとしても、待ち受けているのは衰退と滅亡だ。俺は、弟の生きる世界を存続させたいという我儘を貫くために、弟を、見捨てている。

 ミラ=マクスウェル。お前に出会わなければ、俺はエレンピオスの俺のままでいられたはずだ。帰れる確率なんてほとんど無い、遠い故郷を救うだなんて夢物語を見るバカじゃない。愚直に家族を愛する、真っ当な男でいられたはずだ。
 けれど、それじゃ、先が無いと知ってしまった。思ってしまった。ありもしない希望を持たせ、夢を見させたのはお前だ。
 お前の夢が、きっと、俺に毒を回したんだ。


「……こんなこと、考えてる場合じゃないだろ」


 頭をかき回して、今日もまたページをめくる。知識をつけるたびに理解が広まるなら、思考を停止させている場合じゃない。この希望にすがると、俺は決めたのだから。
 一枚めくるたびに、子どもたちの寝息も遠のいていく。兄さんと呼ぶ声も、俺の頭を撫でる指も。

 焦るな。機を見ろ。
 牙を剥くのは、まだ先だ。


 



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