胃を潰すような曇天だった。
 四肢は末端まで冷え切り、耳鳴りが頭痛を起こす。
 岩壁からはいくつも、鉤爪の様に鋭い岩が飛び出して、俺を地の底に引きずり込もうとしている。

 ここはどこだろう。見渡してもその場所に覚えはない。
 そもそも俺は確か、そう、船に乗っていたのに。
 辺りを見渡せる場所があれば、そこまで行ければ、わかるだろうか。一緒に乗っていた家族もきっと。

 悲鳴を上げる体に鞭を打って、それから宛てもなく歩いた。
 跋扈する魔物を岩陰に隠れてやり過ごし、時折休んで痛む場所を水につけた。ひどく口の中が渇いて、恐る恐る水を汲むと、柔らかく甘い感覚がして驚いた。洗浄水でもないのに、こうも美味しい水があるなんて。
 大きな滝と、起伏の激しい地形の、奇妙な水辺だった。空に食らいつく牙の様な岩。それでも、悪天候でも分かるほど澄んだ水が辺りに満ちていた。砂浜にはみずみずしい緑もあった。
 空気にも不純物が含まれず、そのかわり、異質な“何か”が立ち込めている気がした。

 しばらく歩くと、集落の様な場所に出た。それはあまりに珍妙な情景で、どこかのアミューズメントパークに見えた。
 半球型の、扉があるから恐らく、家なのだろう。風をもした模様の殻が被っている。
 人々は似通った民族衣装を着込み、遠巻きに見てもどこか落ち着かないふうだった。

 ようやく人を見つけた。体はもう限界だった。けれど何か“妙”なのだ。
 例えばそう、正反対の思想を持つ場所に紛れ込んでしまった、あの居心地の悪さ。
 そこでの異物は紛れもなく、こちらだ。


「……おや、まあ、まあ! 坊や、大丈夫かい!?」


 不意に、町の入口で話し込んでいた婦人が大きな声を出し、思わずびくりとした。
 婦人が指す坊やとは俺の事だったようで、困ったような顔をして、こちらに歩み寄ってくる。
 言い知れぬ恐怖感に逃げ出したかった。けれど足は動かず、それどころかへたりと座り込んでしまう。見れば足首が真っ青になっていた。


「……ニ・アケリアじゃ、見ない顔だね。ひどい怪我だ、魔物にやられたのかい? 昨日から霊勢が乱れていて、魔物の活発化しているし……」


 ニアケリア? レイセイ?
 わけの分からない言葉を紡ぐ婦人は、動こうとしない俺を見兼ねて、近くの村人に声を掛けた。村人は俺を一瞥して、あまりいい顔をしなかった。
 彼はゆっくりとこちらに歩みより、俺の傍で膝をつく。
 俺に足を伸ばさせて、おもむろに、患部へ手を翳した。


「動くなよ」

「……っ!?」


 一瞬だったのか、数分たっていたのか分からない。男性の手元が光を纏ったかと思えば、患部が同じ光に包まれ、たちまち痛みが引いていったのだ。それが終わってしまうと、さっさと男性は消えてしまった。
 でも、今あの人は、何も持っていなかったのに――――



「もう平気かい?」


 肺がぞわりと粟立った。
 今のは一体何なのだ。同じ人の見た目をしているのに、あの男性は、さも当然のように何かを施した。
 技術自体は知っている。しかし人が単身で発動させるなど、そんなことはありえない。だから政府は必死になって、


「人間が争ってばかりいるから、マクスウェル様がお怒りになっているのかね……」


 ――およそ二千年前に起きた、マクスウェル派の大失踪。その存在が生きる世界。
 この世界での異物は、紛れもない自分。

 マクスウェルの化身、ミラ=マクスウェルが降臨したのは、この半節後のことだった。






'120220



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