きっと、恨まれるだろうと思っていた。
 あの日、愛息子が誰に拐かされたかなんて、彼女らは知らなかっただろう。突然息子を預かっていると申し出てきた俺こそが、誘拐犯に見えてもおかしくない。だからこそ、泣きはらした顔で俺を出迎えた奥方ーーエリンさんに、激昂される覚悟すら決めてきたのに。


「ああっ、本当に、本当にありがとう……!」


 俺の手を両手で握りしめ、医院の玄関口にへたり込む母親に、俺は何とも返せなかった。



 ×



 ディラック医師の出自を知らないエリンさんへは、真実を伝えることはできなかった。俺が到着する前に、ディラック医師が“その家の近所に住んでいた彼が、ジュードを連れて脱出してくれていた”と説明してくれたらしい。
 あの時ジュードを置いていかなければとか、そもそもついてくるなと言われたのに夫を追いかけてしまったことへの後悔を吐き出すエリンさんを、しばらくディラックさんと俺が宥めて。彼女が落ち着いたのを見計らってから、俺は今後の話を始めた。
 今後の話。ジュードを二人に返す、その為の話だ。


「俺の旅の目的は、一つがジュードを両親の元へ返すこと。そしてもう一つ、俺にとって大事な目的があります。だから、ここに滞在すると決めた四日間と、ジュードを迎えに行くためにかかる数日分、もう少し待っていてほしい」

「え……でも、ジュードは……」

「エリン、彼にも彼の都合がある。それに、今うちにはジュードを迎える準備が何も整っていないだろう。ジュードはまだ幼い。彼がジュードを連れて来てくれるまでに、部屋を片付け、必要なものを揃えておくんだ」

「そ、そうね、あなた。ジュードが私たちの元へ帰ってくるんだもの、危ないものはしまっておかなくちゃ。……服も、食器もいるわね。それから……」


 俺の発言で狼狽えたエリンさんを、ディラックさんが落ち着かせてくれるおかげで、円滑に話が進んでいく。しかし、安堵の後に訪れるのは猜疑心だ。まして俺は、面識どころか縁のない他人で、ただの子どもだ。怪しむなという方が無理だ。その気持ちが分かるからこそ、俺は彼女の目を真っ直ぐに見つめてやる。


「……ジュードの健康は、村のみんなでしっかり面倒を見ていますが、それでも……やっぱり両親のそばにいるべきだ。俺が責任持ってジュードを連れてくるから、どうか、安心してください」

「ええ……ごめんなさい、わたし、どうしていいかわからなくて」

「仕事終わりに色々と立て込んで疲れただろう。お前は先に休みなさい。私はまだ彼と話すことがある」

「そう……わかったわ、あなた。アレクさん、急かしてしまってごめんなさい。どうか、息子を……ジュードをよろしくお願いします」


 深々と、祈りを込めて下げられた頭に、俺は頷くだけしかできなかった。エリンさんはゆったりとした足取りで部屋を出て、扉を閉める前に、もう一度一礼した。
 ディラックさんに向き直る前に、出された紅茶へ口をつける。宿屋ロランドの食事は確かに美味かったが、申し訳ないことに、あまり記憶に残っていない。この話の件が気にかかり、気もそぞろだった。


「妻がすまない。急なことで、まだ整理がついていないんだ」

「それは、仕方がないことですから。……それで、俺に話したいことっていうのは? ジュードについてですか?」

「いや、違う。君自身に関係することだ」


 ますますわからなくて眉を寄せる。俺とディラックさんの共通点なんて、エレンピオス以外に無い。だが昼に、俺の家族については他に話すことが無いと言われたばかりだ。俺がリーゼ・マクシアで固執するものなんか、家族以外に無い。では、エリンさんを退出させてまで、ディラックさんは何を打ち明けようとしているのか。
 ディラックさんは、一瞬目を伏せたあと、俺の心臓に弾丸を撃ち込んだ。


「君の弟と母親は、今も生きている」


 ――ガタンと、椅子が大きな音を立てた。気づけば俺は乱暴に立ち上がり、息を詰め、呆然とディラックさんに詰め寄っていた。


「どうして昨日はあんな風に……!」

「すまないが、それは私の都合だ。彼らから逃げる私が、妻との生活を守るためには、君へ不用意に情報を渡すわけにはいかなかった。……すまない。だが、ジュードを守ってきてくれた君には、話しておかなければならないと思った」


 誠意を持って頭を下げられては、詰問なんかできやしない。カッとなって立ち上がった俺も、ぐっと押し黙り、息をついて腰を落ち着けた。
 ディラックさんは聡明な人だ。少しの会話でもそれは分かる。だからこそ、彼には息子の情報と引き換えにしか、教えられない事情があるのだと察した。そしてそれは、俺にとって悪い知らせであることも、なんとなくわかった。


「……その事情っていうのは、一体何なんですか?」

「君は、アルクノアという組織の名を、耳にしたことはあるかね?」

「いえ。けど、あなたが名前を出すなら……それはエレンピオス人の作った組織なんですね?」

「そうだ。ジルニトラと共に漂着し、リーゼ・マクシアという世界を知った私たちは、エレンピオスへ戻るために結束した組織……アルクノアを結成した。だが、数年前にリーダーが代わり、その男の指揮によって、アルクノアは少しずつ性質を変えていった。過激さを増し、一部はテロ集団といって過言ではない」

「テロ……それは、リーゼ・マクシア人が憎くて……?」

「私は早くにアルクノアを離れたから、詳しくは知らないが……エレンピオスに帰るためには、何かを壊さなければならないと、そう聞いている」


 ミラが時折四大を連れて村を出るのも、きっとアルクノアの起こしたテロを鎮圧するためだろう。霊力野の無いエレンピオス人が使う武器なんて、黒匣以外に無い。ミラが精霊の死を察知できるとしたら、テロ現場へ向かうこともできるはずだ。
 少しずつ糸が繋がっていくにつれ、嫌な予感が強まっていく。汗が滲み、手を強く握りしめる。
 俺に関係している、つまりは家族に関係する話のはずなのに、その内容はやたらと物騒だ。終着地店なんて予測ができるのに、脳が理解を拒んでいる。


「今、アルクノアの頂点にいるのは、ジランドールという男だ。彼は本家の当主が亡くなったとして、その令息から当主の座を譲り受けた。そして、名家スヴェントの当主として、現在はアルクノアを束ねている」

「ジランドール……叔父さん……」

「すまないが……私にわかるのは、君の弟が無事であること、そして、アルクノアの一員として活動しているということだけだ」


 ジランドール。ジランドール叔父さん。ああ、よく知っている名前だ。父の弟で、少し意地が悪く、俺とアルフレドは叔父の事が苦手だった。
 その叔父が当主の座を奪ったと聞き、沸々と怒りが湧いてくる。エレンピオスで俺たちに意地が悪かったのも、次期当主の座を約束されている俺たちが邪魔だったからだ。父なき今、選択の出来ない弟からその座を奪ったに違いない。そんな叔父の元で、弟が健やかに暮らしていけるなどと到底思えない。
 唇を噛み、意図的に体の力を抜く。激情に身を任せては、成功するものも失敗する。自分がすべきことのために、選択を見誤っちゃいけない。


「わかりました。最後に一つ、聞いても?」

「構わない」

「弟は……元気、でしたか?」

「……だいぶ捻くれた少年だが、健康状態に異常は無いと見える。数年前の話ですまないが……」

「そう、ですか」


 思い出されるのは、俺を純粋に慕う愛らしい笑顔だ。それから、泣きっ面と、拗ねた顔。素直で泣き虫な弟が、どうやら捻くれ者に育ってしまったらしい。そんな境遇に置かれているのだと、何もできなかった自分が歯がゆく、腹がたつ。
 だが、弟は弟で、確かに生きている。それがどんな道であろうと、死を選ばないでくれたなら、まだ未来を紡ぐことができるはずだ。

 それなら俺も、俺にできることをしよう。


「ありがとう、ディラック先生。必ずジュードを連れてくるから……一つだけ、頼み事をしてもいいですか?」

「ああ。私にできることなら、協力しよう」

「ありがとうございます。……ジンテクス、というものの技術を、俺に教えてもらえませんか?」


 俺の頼みが意外だったのか、ディラックさんは僅かに目をみはると、難しそうに眉を寄せた。


「黒匣の仕組みと、世界に及ぼす悪影響については、知ったうえでのことか?」

「はい。けど、エレンピオスからすぐに黒匣を取り上げて仕舞えば、今の人々は生きていけない。でとこのままじゃエレンピオスに未来はない。リーゼ・マクシアにはそれを改善する手がかりがありそうなのに、何もせずに帰るのは惜しいんだ」

「……君は、帰ることとエレンピオスの未来、両方を諦めていないということか」

「そんな、大層なものじゃない。ただ、そうしている限り……生きられるような気がするから」


 希望がなければ、自ら前に進むことはできない。俺は弱い人間だから、そうしないと生きてられない。弟が無事で安心したのも一因だが、それなら尚更、弟とエレンピオスに帰った時、待つものが終末だけだというのはあまりに酷いだろう。
 ディラックさんは思案して、だが拒否はされなかった。後から聞くに、物心のついたジュードが急に住処を移ったとして、すぐには安堵できないだろうと思ったのだそうだ。俺が近くにいるのなら、ジュードにも頼る場所ができると。それは俺にとっても願っても無い話だ。


「普段なら断るところだが、君に限っては特別に許そう。だが、黒匣は扱いの難しいものだ。そう簡単に理解できるとは思うな」

「もちろんです。ありがとう、よろしくお願いします」

「……私は、君が弟と再会し、アルクノアに入るのではと思ったが」

「俺は、アルクノアとは目指すものが違ってる。叔父が台頭しているなら尚更だ。家族を思うなら、アルクノアに入って弟たちを守ってやるべきなんだろうけど……それじゃ、できないことがあるから」


 それに、と。言葉を飲み込む。
 ようやく見つけた手掛かりを前に、諦めるわけがないだろう。




’170725



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