出迎えは大変愛らしく、泥がつくことも厭わずに擦り付けられた頬は子供の体温をしていた。すっかり独り立ちもできるようになり、更に目が離せなくなった幼児は、にかりと輝かしい笑顔で発言した。

「ぱぁぱ!」
「…………………、パパじゃない」

 突撃してきた幼子を、しゃがんで抱きとめたまま、アレイスは苦虫を噛み潰した。
 いや、ジュード視点ではおそらく育ての父に当たることは違いない、違いないが……思わず「そんな歳じゃない」と呟く。リーゼ・マクシアの意識は分からずとも、エレンピオス基準では、子どもなんて早すぎる。父に伝われば叱られるどころではなく、母さんが知ったらそれこそ倒れかねない。

「まあまあ、いいじゃないの。親代わりのようなものでしょう?」
「いや、でも、第一相手だっていないのに……」
「おや、ニ・アケリアに意中の娘はいないのかい? ああ、娘といっても、ミラ様に惚れちゃあいけないよ」

 にやりと探るような眼差しを向けられ、そうか、いわゆる年頃の少年ではある、と首を傾ける。そもそも、アレイスの中ではまだエレンピオスに帰る夢が潰えたわけではない。リーゼ・マクシアで所帯を持つこと自体、考えたことがなかった。
 村の人口はごく僅かで、妙齢の女性も限られてくるが、協議の必要なくミラが一番の美人で違いないだろう。そのように作ったと、本人が宣っていたのだから。

「あの方は大層な美人でいらっしゃるけれど、マクスウェル様なんだからね」
「まさか」

 剣を背に回し、ジュードを抱き上げて、ふと小さく口が歪んだ。笑みともつかない変化ながら、なんだかおかしくて仕方がない。俺が、マクスウェルに恋をする可能性なんて。

「ありえませんよ」
「そうかい? それも勿体無いね、あんたも整った顔をしているのに」

 そうだろうか。思わず顔を触ってみても、泥臭さしか分からなかった。外見や服装には人一倍気を使っているほうだが、仕事上がりばかりは汚れが目立ってしまう。早く顔を洗ってさっぱりしたいところだ。
 そういえば、あちらで成長しているであろう、従兄弟とも似ているだろうか。それも複雑だなと、アレイスは今度こそ苦笑する。きっと弟と俺はよく似ているだろう。少し垂れがちな目がそっくりだと母に言われた。

「ぱぁぱ、ねんね?」
「ん? ……ああ、いや、疲れてないよ」

 思いに耽っていたせいか、ぺちんと頬を叩かれた。ジュードも随分と髪が伸びていたから、近いうちに切ってやろう。我ながら、ここまで、順応し、案外悪くないと思っている状況こそおかしく、残酷だと感じるのに、なんだかくすぐったい気分になった。

「そうだ。アレイス、一つ頼まれてくれないかい」


ーー


「おい、ジュード。あまり遠くに行くなよ」
「あぁい、ぱぁぱ」
「……まあいいか」

 アレイスは、両親が健在の家に育ったためか、ただ自分一人で親と呼ばれる状態が、ひどく落ち着かないでいた。
 いつそんな言葉を覚えたのか、どうして俺を父と認識したのか不明だが、ともかく居心地が悪い。彼の本当の両親に対する罪悪感がどっと押し寄せてくるのだ。
 しかし、名前を呼ばせるには、まだ発音が難しいだろう。自分を納得させて、ひとまずその代名詞を受け入れる。

 おそらく2歳近くになった幼児は、独り立ちを覚えてやたらと活発に動き回るようになった。少し観察してみたところ、元気を持て余すというより、好奇心が特に強いらしい。雲の流れを睨んでいたり、千切った葉っぱをジロジロ観察していたり、ひたすら地面を眺めていたりする。例えば、今のように。

「何見てるんだ? ……風模様か?」
「くるくる?」
「みんなが毎朝箒で描いてるんだ。ほら、」

 後ろから手を握って、柔らかそうな地面に丸を描く。動きに合わせて、ふらふらと黒髪が揺れてちらつく。
 いくらか続けると、今度は小さな手が自ら動くようになり、アレイスはぼんやりと眺め始めた。単調な丸に飽きたらしい彼は、風模様の上に何かを書き始める。
 ……まあ、どうせ明日も描き直すのだから、構わないだろう。ふと頼まれごとを思い出し、肩がずっしりと重くなった。

「……ジュード。絵を描くの、好きか?」
「しゅき?」

 地面に向かったまま、ジュードは拙く復唱し、不意にパッと顔を上げた。そこにはあのマクスウェルでさえもタジタジにさせる、輝かしい魔の笑顔があった。

「ぱぁぱ、しゅきー」
「……やっぱ、直させる」

 父、好き、澄み切った笑顔。純粋な思いの籠る組み合わせは、何か激しく胃にくる物があり、アレイスの奮闘が始まったのであった。



'140610



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