“事件”の後しばらく、ミラ=マクスウェルは頻繁に社の外へ、村の外へ出掛けている様子だった。
 時には真昼に、時には深夜に。時間を問わず、世界情勢など知るよしもなく、まるで何かを追うように飛び回る。やがては幼子の体力とその非効率さを省みたのか、社での休息も増えた。……戻った、というのが正しいのか。

「……アレイス」

 微かなノック音の後、音を殺して扉を開けたのは、すっかり背の伸びた少女だ。
 飲食や睡眠も摂らないまま、少女はすくすくと成長し、俺がこの世界に漂着した時と同じ年頃にまで成長した。貪欲に知識を求め、日夜吸収する彼女の眼差しは落ち着きを持ち始め、理知的な光を宿しているようにも見える。

 そろりと室内に滑り込んだ少女――ミラは、静かに、ジュードの眠るベッド脇へ……俺の隣に歩み寄る。

「ジュードは寝てしまったのだな」
「ああ。……珍しく、大泣きした」
「まだ顔が赤いな。もう少しの辛抱だぞ、ジュード」

 幼児は体調を崩しやすい。小さな風邪でも命を落とすらしいと聞いて、食事を戻すわ寝つかないわと、なかなか気の休まる時間がない。
 幼子二人を眺めながら、凝り固まった眉間と肩をほぐし、アレイスは深く息をつく。

 最近二足歩行を覚えた幼児は、厄介なことに、とにかく忙しなく動き回るものだから、アレイスはすっかり育児疲れに困憊していた。そもそも自分は子供を持つ年齢ではないのだが、と、やり場のない苛立ちと焦燥感をもて余している。

 ジュード・マティスは、赤子にしては手のかからない子ども、なんだろう。ほとんど夜泣きもなく、ぐずることもあまりない。
 自分なんかの元にいては、言語や情操の発達に支障が出るのではないか。そう案じるものの、頼みの綱であった巫子の妻は、もう亡くなってしまった。赤子の世話など、気軽に頼めるものではない。そもそもそんな相手、アレイスにはさっぱり思い付かない。

 マクスウェル降臨の直後よりは穏やかであるものの、村人と余所者の間には隔たりがある。俗世から隔絶された村人は溝を掘り、世界に弾かれた余所者は壁を作る。そんな調子で、アレイスは未だに村と距離を置いていた。お前が悪い、なんて誰にも言われたくはなかった。
 巫子から譲り受けた育児書の手引きになんとか従っているものの、赤子の成長は一様でない上に、とても早い。人の勧めでとり始めた成長記録も、もう何冊目を数えるだろう。こんなものを大切にして、俺は何を願っているんだか。

「泣かないのは、アレイスの方だな」

 反射的に見下ろすと、ミラが妙に目元を柔らかくしていたものだから、思わずパッと目をそらした。

「お前はちょっと前まで、ビービーと声を上げて泣いてたな」
「む、ビービーとまでは泣いていないぞ」

 言い知れぬ胸のざわつきに、吐き気が込み上げてくる。ミラの真っ直ぐな眼差しを受けながら、俺は見返してやることができない。
 年不相応に落ち着きをはらった、大志を宿す澄んだ瞳。大切なものたちを守るために、己が悪に立ち向かう意思。まだ、その刃の矛先が俺を捉えていないことに、俺はまさか、安堵しているのだろうか。
 親身に慕ってくる彼女が、強固たる敵意を以て俺を捉えたとき、俺は……。

「あの頃のわたしは、四大や周りに守られるばかりだった。それではいけないと、今は理解している」
「――泣かなくなったな」

 なんだ、と見上げてくる少女に、ジュードを見つめながら、ぽつりと呟く。
 まだまだ拙くて、世界の創造主なんてこんなものかと、無意識に見下していた。それが今、主体性を持ち、善悪を判断し、世界悪を選定した。
 そうして、立ち止まるばかりの俺を、嘆くばかりで動かない俺を……笑うでもなく叱るでもなく、ただじっと――見据えるような。

「かわいくない、ガキ」
「む、それは困った。私の体は、人の美的観念に合わせてより魅力を持った肉体としたはずなのだが」
「……ほんと、」

 かわいくねえ。
 吐き捨てるように呟き、赤子の黒髪をわけ、額をなぞる。俺と故郷を繋ぐ糸。俺の、言い訳。
 きっと、変わらなければならない。何かを得たいなら、進むために、――変わらなければ。

 はあ、と、重苦しい一息を。そろりと少女に目を合わせると、珍しい、とばかりに丸々と開かれた双眸があり。
 ミラの瞳に映るのは、きっと、リーゼ・マクシアの空の色なのだろうと、ぼんやり思った。



'140218



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